「はぐれちゃったね。」
「冷静だな。」
「焦る理由もない。ヒナタが負けることなんてないし。」
周りに細心の注意を払いながらも、2人は、犯人の居場所まで着実に進んでいた。縷籟警軍の侵入は既に、全員に伝達されているようだ。途中で数回、男たちに襲われたが、紺は怯むことも無く淡々とのしていった。
「そういえば、コンは、どうしてそんなに灯向に熱心なんだ?」
敵を縛りながら、光は紺に質問した。
「……どうして、か。」
「ヒナタが凄い奴っていうのはもちろん知ってるけど。お前、凄いから尊敬してるとか、そういう次元じゃないじゃん。」
「そう?俺はただ単に、ヒナタが素敵な人間だから、好きなだけだけどね。もちろん尊敬もしてる。」
こういうこと、話していいのかわからないけど……と、紺は続ける。
「警軍を受ける時、ヒナタは環境的に勉強道具を揃えることの難易度が高くて、俺が使い終わった問題集とかを貸して勉強してた。ヒナタよりも良い環境で勉強してた俺は落ちてるから、ヒナタはやっぱ天才なんだよ。」
「それは……確かに、天才としか言いようがないというか……。ヒナタに暗い過去があるだなんて思いもしなかった。」
「うん。ヒナタはしんどくても、後輩に弱いところを見せないから。そこがかっこいい。昔から笑顔を絶やさない人だったし、俺はそんな、ヒナタの笑顔が好き。」
「警軍になろうとしてるのも、ヒナタと一緒にいるためか?」
「うん。ヒナタには、警軍になる以外の選択肢がなかった。俺はついてきただけ。俺にはヒナタがいないと駄目だから。」
これでいい。紺はそう言って、またアオに少しのおにぎりをやると、光を振り返った。
「心配しなくても、ヒナタは大丈夫。ナギを守るし、全員やっつける。たぶん敵は今、ヒナタに集まってる、今のうちに頭の首取るよ。」
「ああ、わかった。ヒナタの期待を裏切らないようにしないとな。」
「そうだね。」
紺はどこか、気分が良さそうに微笑んだ。
灯向の話をしている時の彼の表情はとても明るく、彼がいかに灯向のことを尊敬し、愛しているのかがよくわかる。全てにおいて自分よりはるか上位である存在を好む紺の思考が、光には理解できなかった。腹が立つのと同時に、とても羨ましく思えた。
光にも昔、幼い頃から苦楽を共にした、自分よりもはるかに優れている男がいた。彼の顔を見ることはもうない。しかし光はいつまでも、その男の亡霊に取り憑かれている。自分に向けられた屈託のない笑顔、泣き顔、絶望顔を、光は忘れられないままでいた。むしろ絶対に忘れてはいけない、光の中にある倫理が、そう叫んでいる。
いくら人を助けようが、いくら国のために尽くそうが、過去は無くならない。
静かに進む2人の後ろには、汚い窓から照らされる淡い太陽光が、拳銃の黒にキラキラと光っていた。
「トラちゃん、ついて来なさい。」
先程まで大勢を相手にしていた大きな虎が、その一声で、方向を変えて走り出した。男たちはそれに続き、ぞろぞろと追いかけていく。
「ねえ、ヒナタ、敵の数が多すぎない?コンを呼ばなくていいの?」
「うーん、そうだね、キリがない。でもカッコつけておれが相手する、なんて言っちゃったからさ、やっつけるしかないよ。最悪、ナギだけは守らないといけない。」
「そんな事言わないでよ。」
「縷籟警軍なんて、いつ死ぬかわからないんだから。」
ずっと走っていると、一番最初に通った受付に出た。すぐに近くの部屋に入り、静かにドアを閉める。その瞬間に虎が姿を消し、虎ばかり追っていた一行は、灯向たちを見失った。
「あまり悠長にしてる時間はない。あいつらが諦めて、紺たちのところに行っちゃうのだけは避けたいからね。」
室内に再び虎を喚び、灯向はその毛をそっと撫でる。
「トラちゃんはナギを守りながら、この病院から出なさい。」
「反対。言ったよね、私、国から追い出されるって。」
「報告は捏造すればいい。1番の優先事項は犯人の確保よりナギの安全だからさ。」
凪は納得していない。
「ナギはどうしたい?」
「私も戦う。」
「却下。縷籟警軍である以前に1人の大人として、だめ。」
「縷籟では19歳はまだ子供じゃないの?」
「15から19までは、厳密には大人でも子供でもありません。」
灯向はドアの隙間から、そっと外を伺った。
「そろそろ出ないと。」
「……わかった、ヒナタの言う通りにする。けど約束ね、死なないで。」
真面目な顔で言う凪に、灯向がふふっと笑う。
馬鹿にされたような気がして、凪は顔を顰めた。
「何、変なこと言った?」
「心配しなくても、人はそんな簡単に死なないよ。」
「心配して損したよ。君は死ななそうだね。でも人って、簡単に死ぬよ。」
凪の表情が明らかに曇った。それに気がついたのか、灯向は顔から笑みを消して、真剣に言う。
「おれは警軍になりたくてなった訳じゃない。とある人たちに借金があるんだ。この借金を返しきって、1人で生活できるようになったら、コンと一緒に辞めるつもり。」
「………だから?」
「国が辞めさせてくれるかは知らないけど、おれは、この夢が叶うまで死ねないから、大丈夫。」
「そういうの、死亡フラグって言うんだよ。」
「作中最強のキャラは、死亡フラグをいくつ立てても、大抵最終決戦まで生き残るんだ。」
「君の自己肯定感を見習いたいと思った。」
「そうするといい。」
灯向は再びニコッと笑うと、そっとドアを開けた。本当に笑顔を絶やさない男だ。灯向の笑顔を見ると、凪は変な気分になる。
灯向たちを探していたのだろうか、周辺に散っていた1人の男がそれに気付き、大声で周囲に呼びかける。
「トラちゃん、ナギを守りながら、外まで走りなさい。」
掛け声とともに、虎が走り出した。虎を追おうとする男たちを、灯向は高い声で呼び止める。
「おじさんたちの相手はおれですよ〜!」
その瞬間、人の叫び声と痛ましい音が、太陽で暖かい受付に、大きく響き渡った。
記憶の中にある我が家は、今思えば、とんでもない場所だった。
夜な夜な出かけては、面のいい男に、父親が稼いできた財産の殆どをつぎ込む母。昼こそ仕事に出かけるが、夜になれば残り僅かな金を手に、やけに楽しそうな顔で「増やしてくる」と、賭け事に明け暮れる父。
灯向は賢い子だった。灯向は自分の本当の苗字が「鈴村」でないことにも、父親がその事に一切気がついていないことにも、薄々勘づいていた。最も、もし血が繋がっていようと灯向にとってこの男は父親などではない。ひとつ屋根の下に暮らしているだけの他人である、それは母親も然りだ。昼間は近所に住んでいる土風家にお邪魔して、親が出かけた時を見計らって家に戻り、夜中は固く冷たい押し入れの中で寝ていた。
少なくとも親である自覚はあったのか、もしくは勝てたことを灯向に自慢するためかはわからないが、たまに押し入れの中に少しの金が入っていることがあった。灯向はそれを自分の食費にまわした。学業にかかる費用は土風家が負担してくれた。彼ら3人家族は、小さく痩せ細った灯向のことをとても心配し気にかけてくれていた。学費の礼になればと、灯向は自分の食費を削って土風家に贈り物をしたが、土風家がそれを灯向がいない時間に食べることはなかった。手に力が入らなくて、紺が口元まで運んでくれた温かい味噌汁の味を、灯向が忘れたことはない。
灯向が縷籟警軍を受けると決意した時、紺の両親は、反対した。自分たちが面倒を見てやる、君は紺とともに幸せになるべき人間だ。しかし灯向はそれを拒否した。
「これ以上、迷惑はかけられません。劣悪な環境に生まれたからといって、周りに甘えて生きたくはありません。」
そして、警軍になって稼いだお金で、学費を返し切りたい、灯向はそう言った。それを聞いて、紺までも「ヒナタと警軍になりたい。勉強させてくれ。」と言い出すものなので、紺の両親は困ってしまった。彼らの決意を踏みにじるのも気が引けたのか、その三日後、紺の両親は2人の警軍学校受験に対して、首を縦に振った。
灯向は紺が使い終わった勉強道具をひとしきり借りて勉強することにした。しかしどうしても足りないのが、紙だ。借り物に直接書き込む訳にも行かないので、灯向は渋々、押し入れの壁に字を書いた。勉強で腹が空いたら、鉛筆を齧った。
土風家のサポートのおかげか、縷籟警軍を受験する頃には灯向の体重は少し増え、顔色も良くなっているような気がした。それでも受かることは難しいだろう……その後首席合格して帰ってきたものだから、紺の両親は驚いた。灯向は前々から自分の賢さを理解していたのか、大して驚いたような表情を見せることもなく、いつも通りの調子で紺と喋っていた。
灯向は生まれてから警軍に受かるまで、人の前で、その笑顔を絶やしたことが無かった。いくらお腹がすいていようと、苦しかろうと悲しかろうと、泣いたところで何も変わらないことを、灯向は痛いほど理解していた。彼は劣悪な環境を言い訳に人に泣きついてばかりいる人が、温かい麦茶と同じくらい苦手だった。
「おれは警軍をやめたいとナギに言ったけど、何も犯罪者に興味が無い訳じゃない。人生を棒に振っている人を見ると、心底イライラするんだ。」
灯向は、床に気絶する十数人の男たちを縛りながら、独り言のように呟く。
「おれは努力をしたと思う。だからって努力してない人を見ていられないのは、完全な自惚れなのも自覚してるけど、こんなに良い体格を持っているのに、どうして人の為になることをしようと思わなかったんだろう。栄養を採らなければ身長は伸びないのに。」
こんなことを男たちに言ったところで、彼らは縷籟の言葉を理解していないし、そもそも今は意識すらない。いや、だからこそ、心置き無く、思っていることを言えるのかも知れない。
「おれ、おじさんたちには更生してほしいと思ってるんだ、雇われているだけで縷籟で犯罪をした訳じゃないのなら、警軍が殺すことは、ないからさ。」
縛り終わった灯向は、紺たちの後を追おうと、通路に出た。しかし、ふと、凪のことを思い出す。
凪は相当、自分のことを気にかけてくれていた。彼女に生存報告をするのが先だ、灯向はそう、来た道を戻っていった。
「あの、カイト先輩。」
その声に、海斗だけでなく、隣のささめも振り返った。2人でいるところを邪魔して良かったのか、幸い鬱陶しく思われている様子は無さそうだが、どこか背筋が凍るような不安がある。
「ササメ先輩とご一緒のところすみません。お聞きしたいことがあって、お時間いただけますか?」
海斗はにこにこ笑って、快諾してくれた。
「いいよ。ササメくんは先に行ってて。」
「うん。じゃあね、カイト。」
意外とあっさり行った気がする。この2人はいつも一緒にいるが、離れることに抵抗がないのか。相思相愛でいつでも会えるからこそ、そこに拘りがないのかも知れない。
人の少ないところに出た。わざわざ時間を取ると事前に伝えているということは、きちんとした質問や話、或いは悩みがあるのだろう。海斗もそれを察している様子で、呑気についてくる。
「こんなに人が少ないところに行く必要があるの?質問ってなにかな。僕に答えられるものならなんでも答えるよ。」
人が完全に居なくなったところで、みずなは足を止めて、海斗に言った。
「コン先輩がササメ先輩のことを怖がっている理由が知りたいです。」
海斗は驚いたような顔をした。
まずはささめと海斗の関係を……などと色々考えたが、結局はこの質問がいちばん手っ取り早いことに、みずなは気がついた。奥ゆかしい質問をしたところで、答えまでの時間が長くなるだけである。あくまでみずなの目的は、ささめと紺の仲を取り持つ事でも、海斗とささめの関係性を把握する事でもない。この生産性のない調査の目的、それは紺がささめを恐れている理由を突き止めて、自分の好奇心を満たすことだ。
海斗の口から出た言葉は、意外なものだった。
「コンくん、ササメくんのこと怖がってたの?どうして……?」
こっちもそれが知りたいんだよ……そうツッコミたくなるような返事だった。
みずなはてっきり、紺が本当に怖がっているのは、海斗だと思っていた。ささめに逆らえば、彼のことを大切に思っている海斗に何かされるのではないかと。もちろん、海斗がとぼけている可能性もある。顔が隠れている上にずっと笑っているので、彼が嘘をついているか見透かすのは、みずなにも不可能だろう。
回答は想定外ではあったが、詳しいことがわからないのは想定内だ。本命の質問はこちらではない。
「そういえば、カイト先輩、この前の任務終わりに、ササメ先輩に電話かけられてましたよね。」
「うん、かけたね。」
「タイミングが役所を出たドンピシャで驚いたんです。あれは偶然なんですか?」
「ううん、偶然じゃないよ。ササメくんはまだ偶然だと思ってるけど。鈍感だよね。」
「……えっ?」
海斗は今、偶然ではないと言ったか。つまり、あの時、彼はこちらの状況を把握した上で、適切な時間に連絡を寄越したということだ。
「ええっと、どうやって把握されていたんですか?」
「どうやってだと思う?」
海斗はにっこり笑った。みずなはその不気味さに思わず1歩後ろに下がる。
ふと思い付いた自分の考えに、寒気がした。
ささめの腰に付いていたあのキーホルダーは、恐らくGPS、または盗聴器。或いはその両方かも知れない。気味が悪いが、少しおかしくないだろうか。
海斗の先程の口ぶりから察するに、ささめは、自分にGPSや盗聴器を付けられていることを知らないのだろう。相手に秘密でそれらを付ける際、大抵の人は、見えにくい場所に付ける。本人や周りの人間に気づかれたら意味が無いからだ。
しかし海斗は、キーホルダーという形で、それをささめに渡した。ささめに怪しまれることは無かったとしても、柄や色が入っている訳でもないため疑問には思うだろうし、みずなのように、それらの存在に気がつく人間も少なからずいるだろう。
そして何より、この事について訊かれても、海斗は焦っていなかった。いや、最早、指摘されることを望んでいそうな表情に見える。
怯えるみずなに、海斗は言った。
「自分の物には、見えるところに名前を書かなきゃいけないでしょう。」
この感覚、久しぶりだ。全身に寒気がする。“あの家”に戻ったみたいだ。
紺の忠告の意味を完全に理解した。それと同時に、みずなはもう二度と、必要な時以外ではささめと会話しないと決めた。
「質問はこれで終わり?」
「………あと、1つだけ。」
「なに?」
これ以上、この何を考えているのかわからない人間と話したくなかった。それでも、確認したい事がある。
「コン先輩は……この事を、知っているんですか?」
「それはコンくんに訊いてみないと。」
「カイト先輩に教えてほしいです。」
「……わからない。でも、コンくんがササメくんを怖がってる理由は、多分わかる。嘘ついてごめんね、知らないのは本当だった。」
その言い草に、疑問を覚えた。
「キーホルダーの事ではないんですか。」
「コンくんはそんな事で怯えるような人間じゃないよ。ささめくん以外の人間にあのキーホルダーを渡したことはないし。」
みずなの中に、またひとつの好奇心が芽生えてしまった。
紺がささめを怖がっている理由は、ささめのことを過剰に愛している海斗を恐れているからだと思う。ささめに逆らえば、海斗から何をされるかわからない。
では紺はどこで、2人の関係がここまで歪んでいることを把握したのだろうか。ささめが海斗を麻薬に例える事やキーホルダーの事を知らなければ、この2人は、少し不気味ではあるものの、仲のいい親友のように見える。後輩にわざわざ「逆らうな」と忠告する程だ、勘などとは違う、紺にとってトラウマになるような出来事が、実際にあったのではないか。
紺は、この2人の、何を見たのだろうか。或いはこの2人に、いや……海斗に、何をされたのだろうか。
「まるで犯罪者を見るような目だね。」
「そんなつもりは。」
「ササメくんは、コンくんが怖がるような何もしていないよ。」
「ササメ先輩“は”、なんですね。」
「僕は嘘をつくのがあまり得意じゃない。」
海斗はそう笑うと、じゃあね、とみずなに背を向ける。みずなはその背中を見つめながら、苦笑した。
(この学年に、足、突っ込むべきじゃなかった。)
海斗は、自分の母親に、どこか似ている。身長も話し方も全然違うのに、海斗と話すと、あの時と同じような気持ちになる。素肌を這いずる蛞蝓のように、どこか暖かくも気持ち悪くて、気分が悪い。
それにしても困った。紺が海斗を怖がっている理由を知りたいが、それを突き止めるためには、3人の過去の出来事を知る必要がある。唯一、手がかりになりそうなことといえば、3人が1年生の時に受けた“いじめ”だ。これは少なくとも、海斗とささめを繋げるきっかけになっている。調べてみる価値はありそうだ。
この探偵ごっこも、これを突き止めれば終わりだ。そう上手くはいかないだろうが、幸い、3年生は全員、口が軽い。
この時、好奇心を押し殺して、もう3年生と関わらないようにしていれば良かった……みずなは、後にそう後悔することになる。世の中には「知らぬが仏」という言葉がある、この言葉ほど、特待3年生を表すのに適した言葉はないだろう。
しかし、そんなこと、今のみずなには知る由もないのだった。
続く
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!