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千紘は眉を上げて凪の方を向いた。
「珍しい。凪がそんなこと言うなんて」
「聞いてみようと思っただけ」
「んー。別にいいんだけど、その場合は技術の保証はしないけど」
「わざと失敗するヤツだ」
「そ。んで、お直しはお店ね」
千紘は軽く笑って言った。凪には、プライベートでは切らないと言っているように聞こえた。
反対の立場でも凪はそうする。プライベートでセックスをする時、仕事をするかのように丁寧な前戯などしないかもしれないと思った。
マッサージをしてやるなんて以ての外だ。
凪がじっと千紘を見ていると、それに気付いた千紘はクスクスと笑う。
「俺はプライベートに仕事を入れるのが嫌いなんだよ。特別感がなくなるでしょ」
「別に何も言ってない」
「凪が俺だけ特別にしてっていう顔するから」
「都合のいい解釈だな」
「違った? でも仕事とプライベートは分けたいからなぁ。だから、お客さんとは付き合わない。凪もそうじゃないの?」
「そうかも」
凪は考えるまでもなくそう答えた。今まで付き合いたいと思った客はいなかった。ただ、セラピストと客としてでなく、プライベートで会っていたら好きになってたかも。と思った女性は何人かいた。
「それと同じ」
「ふーん。じゃあ何で俺とは付き合おうと思ってんの?」
「これはややこしい話で。凪は客だけど付き合いたいんじゃなくて、付き合いたいから手段の1つとして客にしたんだって」
「言ってることめちゃくちゃだな。その定義で言ったら、お前は元々俺の客だから付き合うこととか絶対ないぞ?」
凪が正論を言えば、千紘はこの世の終わりみない顔をして硬直した。
「いや、でも俺男だし」
千紘は何とか定義を覆えそうとする。
「男でも金払ったろ。つーか、違反ばっかして俺のこと犯したじゃねぇか」
「だからそれはさ、ごめんって」
「……プライベートで会うつもりもなかった」
凪は未だにベッドに仰向けになりながらポツリと呟いた。客なんてごめんだし、男なんて有り得ないし、付き合うなんて絶対にない。そう思うのに、もう既に何度も会っている。
「定義とか理屈じゃないんだねぇ。凪だけはしょうがないよね。好きになっちゃったから」
千紘も自分の定義を覆された側に変わりはない。店で見かけた客に手を出すつもりはなかったし、今後プライベートで髪を切ってやる気もない。
ただ、凪にもしお願いされたら断らない気がした。
「理屈じゃない……」
凪はポツリと呟く。自分の中の常識では今まで有り得なかったことが実際に起こっている。1年前の自分だったら、男に抱かれるなんて考えもしなかったし、抱かれるかもしれないとわかっていて部屋に入ったりもしなかった。
こんな女みたいな考え方、せずに済んだ。そう思うのに、千紘の部屋に入った時点で体を許しているものだといい加減認めなければならない。
「何? 凪も理屈で説明できないこと納得した?」
「……」
千紘はからかうように凪の顔を覗くが、凪は千紘との視線を合わそうとはせずにその向こう側を黙って見つめていた。
少し無神経だったか、からかい過ぎたか……と、軽く反省した千紘はゆっくりと離れて指先で頬を掻いた。
玩具を使って凪をいたぶるつもりは毛頭ないが、好きだという気持ちが先行して密着した途端に下半身が反応してしまったのは事実だ。
あれに嫌悪を感じたんじゃないかと今になって心配になったりする。
帰ると言って必死にもがいていたから、もう二度と触らせたくないと思ったかもしれない。少しずつそんな不安が湧き上がる。
しかし、千紘も黙ったところで凪の口が開いた。視線は未だに天井に向けられたままだが口が動くのは見えた。
「千紘」
不意に名前を呼ばれ、千紘はピクリと反応した。素早い瞬きをして凪の顔を見る。こんなに自然と名前を呼ばれたのは初めてで、一瞬自分の名前じゃないような気がした。
「……千紘?」
こてんと顔を千紘の方に向けた凪は、なぜ返事をしないのかとでもいいたげに顔をしかめた。
「え? は!? え?」
二度も名前を呼ばれて動揺する千紘に対し全く動じない凪は、なぜ千紘がそんなふうに慌てているのかもわからないようだった。
「とりあえずすんならお前はシャワー浴びた後な。俺、仕事終わりにそのままとか無理だから」
無表情でそう言われたら、また何のことだかわからなくなる。しかし、ようやく動き始めた思考回路が凪からお許しが出たことを教えてくれた。
「えっと、うん……もちろん。ちょっと、待ってて」
千紘はふらっと立ち上がり、何も考えられないまま寝室を出た。パタンとドアが閉まった途端、千紘はぶわっと顔を真っ赤にさせた。
え!? なにこれ、どういう状況!? 凪から誘ってくれた? シャワー浴びなきゃ無理ってこの後抱かせてくれるってことだよね!? そういう解釈でいいよね!? しかも俺のこと名前で呼んだし……。千紘って言った。あんなに呼んでって言っても嫌がってたのに、千紘って呼んだ。
千紘は心の中でぶわーっと叫んで、その場にしゃがみ込んだ。
「うわぁ……好きだぁ……」
千紘は、両手を床について声にならない程の声で呟いた。
シャワーを浴び終えて戻った千紘は、寝室の明かりを薄暗くして、凪に触れた。
いつもならしっかりと乾かす髪も、逸る気持ちを抑えきれず湿ったまま切り上げた。
数十分前まで寝室はとても散らかっていたのに、淡々と片付けをしたから凪を抱けるスペースも確保された。
凪を招くとわかっていたら、もっとしっかり片付けて、シーツだって洗ったばかりの綺麗なものに変えておいたのにとそれだけが心残りだった。
それでも千紘の頭の中はもう凪でいっぱいで、ホテルに行くことすら渋っていたはずが凪の方から誘って名前を呼ばれた経緯を思い出せばあとはこの好きという気持ちのまま凪を抱くだけだった。
凪は仕事で疲れているのか、千紘がシャワーを浴びている間に少しだけ目を閉じていた。完全に眠りに落ちてはいないが、千紘が触れた時少しだけ反応が遅れた。
「眠い?」
「ん……そんなことない。今日はそこまで仕事入れてなかったし」
いつもはギチギチに仕事入れてるくせに。そう思う千紘は、今日は自分と会う約束をしてたから制限したんじゃないかなんて都合のいいことを考える。
けれど、それが本当だとしたらこの上なく嬉しくてそんなに幸せなことはないと思えた。
千紘が優しく凪にキスをする。凪は薄ら目を開けたが、すぐに閉じてそれを受け入れた。とても自然な流れで、千紘は気持ちを満たすようにして何度も凪と唇を重ねた。
いつもなら照れ隠しに凪からの悪態が飛んでくるのだが、今日はそれもない。今からセックスをするのがごく当然かのように抱き合った。
凪の腕は千紘の首に回され、距離を縮める。千紘の指と舌が凪の体を滑る度に体は反応する。
凪が口元を押さえて声を我慢するのはいつものことだが、それも最初の内だけで次第に千紘の動きに合わせて声を上げた。
「まっ、奥無理っ……千紘っ」
まるで恋人のように名前を呼ばれ、千紘の余裕などなくなった。指を絡め合ってシーツに沈め、体の奥深くまで繋がった。
「ん……凪、好き」
堪らず千紘がそう言えば凪は複雑そうに目を逸らすが、千紘からの愛撫は全て受け入れた。
休憩することもなく、お互いに何度も欲を吐き出し、シーツが汚れることも気にせずに行為を続けた。