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約束の時間に指定されたお店へ行くと、カウンターに腰掛けた禄朗の姿が真っ先に飛び込んできた。マスターと話しながらくつろいだ様子でグラスを傾けている。

地下にある薄暗いバーは彼のお気に入りで何度もここに連れてこられたことがある。別れてからは一度も来ていなかったので七年ぶりか。


入口にたたずむ優希に気がつき、手を挙げた彼は悔しいくらいかっこよくて泣きたい気持ちになる。マスターも覚えていてくれたのか微笑みかけてくれた。


「優希」


差し伸べられた手を払うことなんかできない。


並んでカウンターに腰掛けると「同じの出して」と勝手に頼まれた。優希の都合なんかお構いないしなところも変わってない。

緩くカールした髪を無造作に結い、太くて黒いふちの眼鏡越しの瞳が懐かしそうに優希を捉える。


「元気そうだな」

「……禄朗も」


隣にいることが信じられず、言葉が詰まる。


「まあまあ、な。優希も……変わってないな」


探るような視線に体中が熱くなる。

地味なスーツ姿の自分が場違いな気がして優希は視線を泳がせた。それに比べてラフなスタイルなのに目を引いてしまう禄朗のセンス。

昔からオシャレでかっこいい彼と一緒にいることがいつも不安で嬉しくて恥ずかしくて幸福だった。


「どうぞ」

ニコリと微笑まれ前に置かれた琥珀色に口をつけると、深いお酒の味がした。焼ける熱さがしみわたっていく。


「再会に、乾杯する?」

「もう飲んじゃったよ」

「早いな」


クスクスと笑いながら顔を覗き込んでグラスを合わせてくる。


「とりあえず乾杯」


「乾杯」と返したら満足そうに笑みを浮かべた。


「おまえのスーツ姿って初めて見た気がするけどやっぱいいよね。ストイックでそそる」

「何言って……っ」


思わずむせかけた背中を面白そうに叩かれる。


「大丈夫かよ」

「変なこと言うから」


「……ホントだよ」と声のトーンが下がり耳元で囁かれる。


「触りたくなる」

「……バカ」


大きな手のひらの熱がスーツ越しに伝わってきてたまらないのはこっちだった。この熱を体はまだ覚えている。


軽く笑いながら何でもないように、禄朗は手をどけた。熱が遠ざかって背中がすうすうとさみしい。いつだってそうだ。勝手に火をつけておきながらすっと身を引くのは禄朗の方だ。それを気取られないよう、優希も澄ました表情を浮かべた。


「いつ帰ってきたの?」

「さっき」

「さっき?」


思いがけない返事に優希は飲んでいたお酒を吹き出しそうになる。いくらなんでも、さっきってことはないだろう。

だが禄朗は航空チケットを証拠だといわんばかりに目の前に差し出した。

確かに日付は今日で、つい数時間前に日本に到着している便だった。


「ほんとだろ。で、ここに来て、おまえの連絡先探して__勝手に電話変えただろ」


探すの大変だったんだぞーと、彼は唇を尖らせた。


「とりあえず同級生の知ってるやつ全員にかけた」

「全員に?!」

「うそ。そんなにかけてないけど、でも懐かしかったなー」


不満そうにしながらも顔は笑っている。


「同窓会するかって話にもなったから、おまえも来るだろ?」

「考えとく」



優希と禄朗は大学の同級生だった。

一緒にいたころを思い出して切なさが襲ってくる。ただ幸せで満たされて世界は自分のためにあると信じてしまいそうな日々。同時にすべてを失った時の喪失感も、もれなくセットでついてくる。

勝手に優希を捨てて海外に行ってしまったことも忘れたかのような態度にため息をついた。


「お気楽だな」

「そうか?」

「人の気も知らないでさ」


気まぐれに旅へ出る事には慣れていた。

本業の勉強より写真に夢中になり、撮りたい景色があればどこにだってフラっと行ってフラッと帰ってくるなんて、日常茶飯事。その都度騒いでいたら身が持たない。最初こそ不安を抱えたけど、いつだって優希のもとに帰ってきたのだ。

そのたび美しい景色を見せてキラキラとした瞳で旅の話をする禄朗が大好きだった。

それがある時いなくなったままいつまで経っても帰ってこなくなった。一カ月がたち、半年が過ぎいよいよおかしいと思っていた時、風のうわさで大学も辞めアメリカに渡ったらしいと聞いた。

側にいたはずの優希は何も聞かされておらず、まさか他人から彼の足取りを教えられるとは思っていなかった。

電話も通じなく、音沙汰一つないままようやく「捨てられたんだ」と気がついたときの衝撃を今も覚えている。

見回すと禄朗の身の回りのものは何一つなかった。身軽にどこにでもいけるよう持ち物なんてほとんどない男だった。彼は優希さえいつでも置いていける程度にしか、思っていなかったのだ。


全てを理解した時、まっさきに携帯は解約し、引っ越しもした。

もうかかってこない電話、くるはずもない男を持っていることほどつらい事なんかない。いつか、もしかしたら、なんて期待をしてしまうから。彼のことをずっと待ち続けてしまうから。

そんな自分が怖かったから必死の思いで捨てたのに、これだ。


「それにしてもさー、電話繋がんなくてビックリした。寂しかったぞおい」


大したことではないような響きで、禄朗は優希の頭をコツンと小突いた。痛い、と文句を返して頭に触れる。

あんなに苦しんでいた自分はバカみたいだ。


優希は琥珀色のお酒を口に含むと、ふ、と笑った。優希の連絡先が変わったことに今の今まで気がついていなかった。

七年間一度も接触を取ろうとしてこなかったことがわかってしまう。

あのまま来ない連絡を待ち続けなくて本当に良かった。バカらしくて涙が出そうだ。


「それならよかった」


にこり、と笑って見せる。


「ビックリさせたかったし、寂しがらせたかったから」

「……おい」


酷い男だなーと、禄朗は肘でつつきながら楽しそうに体を揺らした。


「憎たらしい」

「お互い様だよ」


もう禄朗だけを見つめて彼のためだけに生きていた自分ではないのだ。あのころとは違う。


揺れかける気持ちを飲み干すようにグっと一息飲み干し、お代わりを頼んだ。アルコールが全身に回っていく。


「もう禄朗の知ってるぼくじゃないんだよ。七年も経てば」


だから、禄朗のためだけに生きていた優希とは違う。自分に言い聞かせるように声を出したが、彼は笑みを浮かべた。


「七年ねー、早かったな。あっという間だった。つい最近ここで一緒に飲んでた気分だからなんかおかしいのな」


くくっと可笑しそうに笑いながら、突然優希の腕を掴みひねりあげた。瞳が獲物を見つけて、細く光る。


「これ、どういうこと?」

「どういう、って……」


優希の左手の薬指に光るものを禄朗はそっとなぞった。武骨で長くて繊細な指が優希の指の間をたどる。ゴクリとのどが鳴った。


「そのまんまの意味だよ。結婚したんだ」

「へえ?結婚ねえ、おれは別れたつもりなかったんだけどな」

「……えっ?」

「さすがに七年はないだろって自分でも思うけど……別れたつもりはなかったよ。迎えに来るつもりだった」

「な、にを……言って」

「まあ信じないだろうけど」


なあ、と囁きながら禄朗の指が優希のそれを撫でていく。持ち上げて口元へ運び唇に触れた。その艶めかしさにとっさに手を引っ込めようとしたが、彼は離してくれなかった。


「っ……」

「誰と?」

「誰とって、禄朗の知らない人」

「ふうん、可愛いの?」

「うん、可愛くて優しい人。だから」


もう禄朗と関係を持つことはできないと言おうとした。ここで踏ん切らなきゃダメになると、本能が訴える。

ボロボロになっていた優希に手を差し伸べ救ってくれた明日美を裏切ってしまう。彼女がいなきゃ、今頃どうなっていたかもわからない。

半分死人のように過ごしていた彼を見ていられなかったのか心配した友人に紹介され、自棄になっていた優希を見捨てずそばにいてくれた明日美を裏切れない。だけどそんな決心は砂の上の城のように、もろく儚いこともわかっていた。


「関係ない」と禄朗は指輪に舌を這わせた。ざらりとした感触に官能が目を覚ましかける。とっさに離しかけた手をきつく捕まれ、視線に囚われる。


「だから何だっていうんだ?」


彼を見つめる瞳の色が獰猛に光る。体中から発散されるオスの気配に優希は息を飲んだ。だめだ___。


優希は降伏してうなだれた。禄朗がそばにいて逆らえるはずがないのだ。どんなに虚勢を張ったところで、本心はもう。


「だから……」


ギリギリのラインを揺れながら震える声で振り絞る。『だから、こんなことはやめよう』___そう言わなければならないのに。


「なあ」


甘く耳をかむような声で囁きながら、発情を含んだ手が腕を伝い体をたどりだす。

腰まで降りてグっと抱かれたとき、優希は今まで自分が築いてきたものが崩れようとしていることを理解した。


「優希」

「……っ」

「行こうか」


今守るべきものが何なのか。それが一瞬でわからなくなり、目の前から消えていく。耳朶に直接注ぎ込まれた欲望になすすべもない。

誘われるまま立ち上がり、禄朗の後をついて店を出る。

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