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第35話「エルフの彼女の家に泊まった翌日」
午前九時十一分。
営業企画部。
森野リリカは。
パソコンを見ている。
いや。
見ているふりをしている。
耳。
真っ赤。
田中美咲が。
森野を見る。
相沢直人を見る。
また森野を見る。
「同じコーヒーの匂い」
田中がもう一度言った。
森野。
「気のせいです」
ぴく。
田中。
「耳」
「気のせいです!」
神崎レオンが。
静かに言う。
「リリカ」
「何?」
「今日、服」
森野が止まる。
「何ですか」
「昨日と同じですね」
営業企画部。
沈黙。
森野。
自分の服を見る。
昨日。
白いブラウス。
紺のスカート。
今日。
白いブラウス。
紺のスカート。
「……」
相沢が小声で。
「本当だ」
森野が睨む。
「相沢さん!」
「俺は何も」
月島セシルが言う。
「森野さん」
「何ですか」
「もしかして」
「違います」
「まだ何も聞いてません」
「違います!」
ぴくぴく。
部長が顔を上げる。
「朝から何?」
田中。
「森野さんと相沢さんが」
森野。
「田中さん!」
「昨日」
「仕事!」
「同じ」
「仕事してください!」
部長は。
数秒。
二人を見る。
そして。
「ああ」
森野。
「何ですか、その『ああ』は!」
「いや」
部長はパソコンへ戻る。
「大人だから」
「何もありません!」
ぴくぴくぴく。
神崎が。
森野の耳を見る。
「説得力がありませんね」
「耳を見ない!」
午前十時。
会議。
新商品の販促企画。
部長。
森野。
相沢。
月島。
神崎。
田中。
真面目な話。
のはずだった。
部長。
「若年層向けの訴求を強めたい」
相沢。
「SNS広告を増やして」
森野。
「動画も短くしたほうが」
月島。
「十五秒版を用意しては?」
神崎。
「海外展開も考えるなら」
普通。
完全に普通。
田中が資料をめくる。
「ところで」
森野。
「田中さん」
「何ですか」
「今、絶対関係ないこと言おうとしましたね」
「まだ何も」
「顔で分かります」
「森野さんも成長しましたね」
「百四十三歳です」
「昨日はよく眠れました?」
森野。
「田中さん!」
会議終了。
午前十一時半。
森野は。
給湯室へ。
相沢も入る。
「森野さん」
「何ですか」
「大丈夫?」
「何が?」
「朝から」
「相沢さんのせいです」
「俺?」
「同じコーヒー飲んだから」
「森野さんが淹れたんじゃん」
「そうですけど」
「服も」
「言わないでください」
「でも」
相沢が笑う。
「本当に何もしてないのにね」
森野が。
ぴたりと止まる。
「その言い方」
「何?」
「ものすごく誤解を招きます」
「実際」
昨夜。
手紙を読んだ。
二人で夕食を食べた。
映画を見た。
森野が少し泣いた。
相沢が隣にいた。
時間が遅くなった。
相沢はソファ。
森野は寝室。
それだけ。
「本当に」
森野が言う。
「泊まっただけです」
「うん」
「それ以上は」
「うん」
「何も」
給湯室の入口。
田中。
立っている。
森野。
「……」
田中。
「……」
相沢。
「……」
田中が言う。
「何も?」
森野。
「田中さん!」
「偶然です!」
「絶対違う!」
昼。
社員食堂。
森野は。
相沢から一番遠い席に座った。
田中。
「何で離れるんです?」
「偶然です」
ぴく。
神崎。
「耳」
森野。
「もう今日は耳の話禁止!」
月島が笑う。
「森野さん」
「何ですか」
「私も最初は」
「はい」
「人間と付き合ったとき」
少し考える。
「周囲に知られるのが恥ずかしかったです」
森野。
「そうなんですか?」
「はい」
「何歳のとき?」
「七十六歳」
相沢。
「七十六で初々しい」
月島。
「エルフですから」
田中。
「相手は?」
「人間です」
「何歳?」
「二十四歳でした」
相沢が。
箸を止める。
「五十二歳差」
森野。
「うちは百十二歳差です」
全員。
森野を見る。
森野。
「……」
田中。
「勝ったみたいに言いましたね」
「違います!」
午後三時。
森野のスマートフォン。
メッセージ。
昨日訪ねてきた。
橘宗一郎から。
『昨日はありがとうございました。父のことで、もう一つお渡ししたいものがあります』
森野の表情が変わる。
相沢が気づく。
「どうした?」
「橘さんです」
「何て?」
「もう一つ」
「うん」
「渡したいものがあるって」
その日の夕方。
会社近くの喫茶店。
森野。
相沢。
橘宗一郎。
宗一郎が。
小さな箱を持っている。
「昨日」
宗一郎が言う。
「手紙だけでいいと思ったんですが」
「はい」
「家に帰ってから」
箱を見る。
「これもあなたに返したほうがいいと思いまして」
森野が受け取る。
古い木箱。
開ける。
中。
銀色の。
小さな髪飾り。
森野の表情が。
止まる。
「これ……」
相沢が見る。
「知ってる?」
「私のです」
「いつの?」
森野は。
髪飾りを指で触る。
「昭和二十年代」
宗一郎が言う。
「父がずっと持っていました」
森野。
「……」
「あなたが置いていったものだと」
森野は。
思い出す。
昔。
まだ。
人間の男性を好きだったころ。
耳を隠すため。
髪をまとめるのに使っていた。
小さな。
髪飾り。
「返してもらう資格」
森野が言う。
「ないと思います」
宗一郎は首を振る。
「父のものではありません」
「でも」
「あなたのものです」
森野は。
受け取る。
「ありがとうございます」
宗一郎は。
しばらく森野を見る。
「一つ」
「はい」
「聞いてもいいですか?」
「何でしょう」
宗一郎が。
相沢を見る。
「この方は」
森野。
耳。
ぴく。
「今の恋人です」
相沢が。
少し驚く。
以前なら。
同僚です。
そう言っていた。
今日は。
迷わない。
宗一郎が笑う。
「そうですか」
「はい」
「父が聞いたら」
森野。
「怒りますか?」
「いえ」
宗一郎は笑った。
「安心すると思います」
森野の耳。
少し上がる。
「もう」
宗一郎が言う。
「黙っていなくならないでくださいね」
森野は。
髪飾りを握る。
「はい」
耳は。
動かなかった。
宗一郎と別れる。
夜道。
相沢と森野。
森野は。
髪飾りを何度も見る。
「つけてみる?」
相沢が聞く。
「今?」
「うん」
「古いですよ」
「いいじゃん」
森野は。
少し迷う。
そして。
髪の横。
銀色の髪飾り。
つける。
耳は。
隠れない。
むしろ。
長い耳の横で。
小さく光る。
相沢が言う。
「似合う」
ぴく。
「昔も?」
「昔?」
「その人にも言われた?」
森野は。
少し考える。
「言われました」
相沢。
「そっか」
森野が横を見る。
「嫉妬しました?」
「少し」
「七十年以上前ですよ」
「分かってる」
「亡くなってます」
「分かってる」
「それでも?」
「するものはする」
森野は。
少し笑う。
「相沢さん」
「何?」
「かわいいですね」
「三十一歳だけど」
「私から見れば」
「赤ちゃん?」
「はい」
「またそれ」
森野は。
相沢の手を握る。
「でも」
「何?」
「今」
少し間。
「私が手をつないでいるのは」
相沢を見る。
「相沢さんです」
耳は。
動かない。
翌朝。
会社。
森野は。
銀色の髪飾りをつけて出社した。
田中。
すぐ気づく。
「森野さん」
「はい」
「それ、かわいい!」
耳。
ぴく。
「ありがとうございます」
月島も見る。
「アンティークですね」
「はい」
「いつごろ?」
森野。
「七十年以上前です」
田中。
「ヴィンテージ!」
森野。
「私物です」
田中。
「どこで買ったんです?」
森野。
「覚えてません」
神崎が。
髪飾りを見る。
表情が変わる。
「リリカ」
「何?」
「それ」
「知ってる?」
「……はい」
相沢が神崎を見る。
森野も。
「どうして?」
神崎は。
少し黙る。
「それを買った店」
「はい」
「私も一緒にいました」
森野が止まる。
「え?」
神崎は言う。
「あなたがそれを買ったのは」
一拍。
「橘さんと出会う前です」
森野。
「……」
「そして」
神崎は。
少し笑う。
「代金を払ったのは」
自分を指す。
「私です」
相沢。
「……」
森野。
「……」
田中。
「……」
月島。
「……」
神崎。
「忘れてました?」
森野の耳。
ぴく。
「……完全に」
神崎。
「でしょうね」
相沢が。
銀色の髪飾りを見る。
昔の恋人が。
七十年以上持っていた。
しかし。
買ったのは。
元婚約者。
そして。
今。
それをつけている森野の隣には。
現在の恋人。
田中が。
小さく言った。
「この髪飾り」
「何ですか」
「恋愛関係、複雑すぎません?」
森野は。
髪飾りを押さえ。
深くため息をついた。
「もう」
耳が。
ぴく。
「普通の髪飾りとして使わせてください」
百年以上生きていると。
小さな髪飾り一つにも。
いろいろな人の思い出が。
重なってしまうらしい。
コメント
1件
もう森野さんの耳がぴくぴくしすぎてこっちまで照れるんだけど!?😂✨ 同じ服問題からの同僚たちの畳みかけが面白すぎたし、最後の髪飾りの伏線回収が神がかってた…神崎さんが買ってたってオチ、完全に予想外でしたわ😭💕 「今つないでるのは相沢さん」って過去受け入れつつ現在選ぶ森野さん、推せる…!!