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店を後にしてからしばらく歩いた後、後ろを振り返る。そこには当然誰もいない。
だが、私は確信を持って言うことができる。
――彼女は間違いなくいる。
何故なら、彼女には影がないからだ。
影が無いということは、つまり実体を持たないということである。だから本来であればその姿を見ることなど不可能なはずなのだ。
なのにどうして見えてしまったのかと言えば、おそらくは彼女の力によるものだと思う。
その証拠に、今もなお視界の端にちらつくようにしてその存在を主張し続けている。
恐らくではあるが、彼女は誰かに目撃されることを望んでいるのではないだろうか。でなければ、わざわざあんなわかりやすい方法で存在を示し続ける必要なんて無いはずだ。
そこまで考えたところで、僕は思わず声をあげそうになった。
目の前の女性の顔に見覚えがあったからだ。
以前、僕が通っていた高校の演劇部の部室にいた幽霊の正体は、彼女だったのではないだろうか? あの時の彼女が実は生きていたとしたら……その可能性を否定することは誰にもできないはずだ。
それにしても何故今になって現れたのかは不明だが、ここで会えたのはとてもラッキーな出来事かもしれない。
「あら?」
僕の反応を見て、女性が首を傾げる。
「私を覚えていますか?」
もちろん、と答えようとした瞬間、急に身体の自由がきかなくなった。
まるで金縛りにあったみたいだと思った直後、意識までも遠ざかり始める。
薄れゆく視界の中で、女性の口元だけが妙に大きく見えた。
それからしばらくして、ようやく我に帰ることができた。
そうだ、今はそんなことに現を抜かしていられる状況ではないはずだ。
それにしても、なぜ今になって彼女が現れたのだろう。まさかとは思うけど、僕に会いに来たとかじゃないよね?
「あの、どうしてあなたがここに?」
思い切って聞いてみると、彼女は不思議そうに首を傾げた後、「あっ!」と言って、手に持っていたバッグの中を漁り出した。
一体何を探っているのかと思ったら、突然その中から一冊を取り出して、僕に差し出してきた。
「これは?」
表紙には何も書かれておらず、中身を見てみても白紙が続いているだけだった。
パラパラと捲ってみると、最後のページを除いて全て真っ白なままだ。
不思議に思って尋ねてみると、彼女は淡々と答えた。
「貴方宛の手紙よ。私が書いたものなのだけれど」
手紙という言葉を聞いて思い当たる節があった僕は、慌てて本を受け取った。
中を開いてみたものの、やはり文字らしきものは見当たらない。ただ一枚だけ紙のようなものが入っているだけだ。
取り出して開いてみると、そこには絵が描かれているようだった。
ただ、どういう意味なのかはよくわからない。
真ん中に描かれている人物が、その両脇の人物によって両手を押さえつけられていて、さらにその上からナイフが突き立てられようとしているところまではわかった。
つまりは、処刑される寸前の絵ということらしい。
これを描いた人物は、間違いなく何らかの意図を持ってこれを僕に送ってきたんだと思うけど、そもそもどうして彼女がこんな物を持っているんだろうか。
色々と疑問はあるけれど、今ここで聞くことでもないと判断して、僕は質問を飲み込むことにした。
「ごめんなさいね、急に声をかけちゃって。私、こういうところに来る機会がほとんど無いものだから、ちょっと緊張してしまっているみたい」
「いえ、気にしないでください。それにしても奇遇ですね。まさかこんなところで会うなんて思いませんでしたよ」
正直な話、僕は彼女と再会したことに驚いていた。僕自身は彼女に会ったことがあるわけではないけど、彼女の名前くらいは知っているからだ。
「本当よね。あなたもこのレストランによく来られるんですか?」
「いえ、今日が初めてですよ。ただ、知り合いの紹介で来てみようと思っただけです」
「あら、そうだったの。私は、あなたとは初対面よ?」
その言葉を聞いて、僕はようやく理解することができた。
つまり、僕が彼女と会うのはこれが初めてなのだということを。
だが、それでも納得できない部分がある。
何故ならば、僕の記憶の中には確かに彼女が存在しているからだ。
それも、とても鮮明な映像として残っている。
僕は彼女に会ったことがあるはずだ。
絶対に間違いないはずなのに――
目の前の女性からは、一切の反応がない。
ただただ無表情のまま、じっと見つめてくるだけだ。
まるで心のない人形を相手に話をしているかのような感覚に陥る。