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#現代ファンタジー
裏五条
56,382
巨大な角を持つ影が、闘技場へ足を踏み入れた。
一歩。
その足音だけで、闘技場の床が低く震える。
二歩。
石の高台に積もっていた砂が、ぱらぱらと落ちた。
巨大な扉の奥から現れたそれは、最初は影にしか見えなかった。
けれど、闘技場の中央へ近づくにつれて、その輪郭がはっきりしてくる。
まず目に入ったのは、角だった。
大樹の幹を無理やり曲げたような、太く、黒い角。
左右に大きく広がり、先端は鋭く尖っている。
次に見えたのは、黒鉄のような脚。
踏みしめるたびに、床石が軋む。
足首から膝にかけては、鎧のような外殻で覆われていた。
そして、上半身。
牛頭。
赤く光る目。
鼻先から漏れる白い息。
岩を積み上げたような首と肩。
全身を覆う黒鉄色の筋肉と、ところどころに張り付いた鎧のような外殻。
身長は、十五メートル……いや、もっとあるかもしれない。
五階で戦ったギガントミノスを思い出す。
あいつも十分すぎるほど大きかった。
十分すぎるほど重かった。
そして、一撃で砦を砕くような威圧感があった。
だが、目の前のこいつは違う。
同じ牛頭巨人系でも、明らかに格が違う。
右手には、大戦斧。
刃だけで人間の身長を超えている。
柄は太く、表面には無数の傷が刻まれていた。
左手には、鎖付きの巨大鉄球。
鉄球の表面には棘が並び、ぶら下がった鎖がじゃらりと重い音を立てて揺れる。
闘技場の主。
そう呼ぶしかない姿だった。
フィーネが、小さく息を呑む。
「……魔力が……大きすぎます……」
ノエルも、さすがに軽口を一瞬忘れたようだった。
「……ちょっと待って。さっきの中ボス三体のあとに出すサイズじゃないでしょ」
クロエがロッドを握り直す。
「うわぁ……これは、さすがに本命だね」
セリナは何も言わず、俺たちの前に出た。
二枚盾を構える。
その背中はいつも通り落ち着いている。
だが、尻尾の先がわずかに揺れていた。
警戒している。
セリナですら、真正面から受ける前に相手の重さを測っている。
俺は剣を握り直し、配信画面の端に流れるコメントを見る。
『でっっっか!?』
『これ鹿島のラスボスだろ』
『斧と鉄球は反則』
『中ボス三体のあとにこれは鬼畜』
『セリナでも受けられるのかこれ』
コメント欄のざわつきは、いつもより少しだけ緊張を含んでいた。
それも当然だ。
画面越しでも分かるのだろう。
こいつは、ただの大型魔物ではない。
闘技場の奥から現れた牛頭の巨王は、ゆっくりと大戦斧を持ち上げた。
赤い目が、こちらを見下ろす。
喉の奥から、低い唸り声が漏れた。
「……鹿島ダンジョンの主、か」
俺が呟くと、そいつはまるで答えるように、足を踏み鳴らした。
ドンッ!!
衝撃が床を走る。
次の瞬間。
巨王が、大戦斧を横薙ぎに振った。
◆
速い。
巨体からは想像できない速度だった。
大戦斧が空気を裂く。
ただの斬撃じゃない。
刃そのものが届く前に、横薙ぎの衝撃波が闘技場の床を削りながら迫ってくる。
「セリナ!」
「承知いたしました!」
セリナが二枚盾を構えた。
盾と盾を重ねるように前へ出し、真正面から衝撃波を受ける。
そこへ、巨王の一撃が叩きつけられた。
ガァァァンッ!!
音が爆発した。
セリナの盾が震える。
床石が砕け、足元に亀裂が走る。
それでも、セリナは受けた。
受けた、はずだった。
だが。
「……っ」
セリナの足が、後ろへ滑る。
一歩。
盾を構えたまま、押された。
「セリナが……押された?」
思わず声が出た。
セリナの防御は、これまで何度も見てきた。
五階のギガントミノスの一撃も受けた。
バックアタックも止めた。
大型の突進も、斧も、牙も、爪も受け流してきた。
そのセリナが、今の一撃で押された。
「……重い、ですね」
セリナが小さく言った。
いつもの「問題ございません」ではなかった。
重い。
そう認めるほどの一撃。
けれど、セリナは崩れていない。
膝もついていない。
二枚盾はまだ前を向いている。
「ですが、受けられます」
その声は静かだった。
「皆様の前は、わたくしが守ります」
頼もしい。
だが、同時に分かった。
このボスは、セリナ一人に受けさせ続けていい相手じゃない。
「ノエル、次からセリナの防御に合わせて結界を入れてくれ。正面から全部受けさせるのは重すぎる」
「分かったわ! でも、今の一撃かなり雑に重いわ!」
「クロエ、無理に大技を撃つな。まず様子を見る」
「オッケー。燃やしてから考えるのは我慢する♪」
「フィーネ、危険な行動があれば教えてくれ。攻撃の前兆でも、魔力の動きでもいい」
「……はい……!」
俺は巨王を見る。
大戦斧。
巨大鉄球。
黒鉄の外殻。
そして、この広い闘技場。
嫌な予感がする。
こいつは、ただ殴ってくるだけのボスじゃない。
◆
その予感はすぐに当たった。
巨王が左腕を振った。
じゃらり、と鎖が鳴る。
巨大鉄球が床を引きずり、火花を散らす。
次の瞬間、鉄球が弧を描いて飛んできた。
狙いは、正面のセリナではない。
後衛。
ノエル、フィーネ、クロエのいる位置だ。
「後ろ!」
俺が叫ぶより早く、ノエルが動く。
「来ると思ったわよ!」
光の結界が後衛の前に展開される。
そこへ、棘付きの鉄球が叩きつけられた。
ドゴォンッ!!
結界の表面にヒビが入る。
ノエルの顔が歪んだ。
「っ、重っ!」
鉄球は結界に弾かれ、後衛の少し手前で床へ落ちた。
だが、それで終わりではなかった。
巨王が鎖を強く引く。
床にめり込んだ鉄球が、がりがりと石を削りながらこちらへ戻ってくる。
しかも、ただ真っ直ぐ戻るのではない。
鎖に引かれた鉄球が、横薙ぎに近い軌道で後衛の足元を払おうとしていた。
「……戻りも来ます……! 避けてください……!」
フィーネの声が飛ぶ。
クロエが即座にフィーネの腕を引いた。
「フィーネ、こっち!」
「……っ」
二人が横へ飛ぶ。
ノエルは前に出していた結界を消し、結界を張り直した。
戻ってくる鉄球に対しての壁だ。
鉄球が結界にぶつかり、軌道が外へずれる。
それでも、勢いはまだ死んでいない。
鎖がしなり、鉄球がもう一度後衛側へ流れそうになる。
俺は《跳空のブーツ》で踏み込み、鎖の横へ入った。
切るのではなく、叩く。
剣の腹で鎖を横から打ち、戻る力の向きをさらにずらす。
鉄球は後衛のすぐ横をかすめ、石床を砕きながら通り過ぎた。
破片が飛び、ノエルの足元を転がる。
「今の、かなり危なかったわよ……!」
ノエルが息を吐く。
「まだ来るぞ!」
巨王が鎖を引いた。
鉄球が床から抜け、再び左手へ戻っていく。
斧で正面を押す。
鉄球で後衛を狙う。
しかも、戻りにも攻撃判定がある。
単純なパワー型ではない。
かなり嫌な組み合わせだ。
『鉄球が後衛狙い!?』
『戻りも危ないのえぐい』
『フィーネちゃん危なかった』
コメント欄の反応も速い。
だが、見ているだけなら分かりやすいかもしれない。
実際にここに立つと、分かりやすいどころじゃない。
前から斧。
横から鉄球。
戻りの鎖。
ただ攻撃を避けるだけでも、かなり神経を使う。
◆
俺は巨王へ向かって走った。
大戦斧を振った直後。
鉄球を戻した直後。
その隙を狙う。
地上からまっすぐ行けば、斧の間合いに入る。
だから、途中で《跳空のブーツ》を使う。
床を蹴る。
体が跳ねる。
斜め上から、巨王の腕へ向かう。
黒鉄の外殻。
肩。
首。
どこでもいい。
まず一太刀入れて、感触を確かめる。
だが、巨王の赤い目がこちらを向いた。
大戦斧ではない。
左腕が動く。
鎖鉄球が、空中の俺へ向けて跳ね上がった。
「空中も潰してくるか!」
俺は空中で体をひねり、軌道を変えた。
鉄球がすぐ横を通る。
風圧だけで体が流される。
着地。
その瞬間、今度は大戦斧の柄が横から来た。
刃ではない。
柄だ。
近づいた相手を、刃ではなく柄で払う動き。
「くっ!」
剣で受ける。
衝撃が腕に響く。
踏ん張るより早く、斧の刃が返ってくる。
連撃が速い。
大きい。
重い。
なのに、遅くない。
俺は後ろへ跳ぶ。
刃が目の前を通り過ぎ、床を削った。
石の破片が飛ぶ。
頬に小さな痛みが走る。
「シンゴさん!」
ノエルの声。
「大丈夫だ!」
返事をしながら、俺は距離を取る。
俺の剣なら斬れる。
それは間違いない。
だが、問題はそこじゃない。
巨王は、近づかせない。
地上なら斧。
空中なら鉄球。
懐へ入れば柄で払い、戻る鎖で追撃する。
大振りに見えて、隙が薄い。
しかも、身体が大きいせいで、こちらが少し避けても攻撃範囲の外へ出きれない。
巨王が、低く唸った。
赤い目が、こちらを見ている。
まるで、闘技場に入ってきた挑戦者を値踏みしているようだった。
その直後。
巨王が、顔を上げた。
喉の奥が赤く光る。
次の瞬間、闘技場全体を揺らす咆哮が響いた。
「グオオオオオオオオオオッ!!」
空気が震えた。
鼓膜を叩く音圧。
胸の奥まで響く低音。
ノエルが顔をしかめ、クロエが耳を押さえる。
フィーネの耳がぺたりと伏せる。
セリナは盾を構えたまま、俺たちの前から動かない。
「……来ます……!」
フィーネが叫ぶ。
闘技場の壁際で、金属のこすれる音がした。
ギギギギギ、と重い音を立てて、小さな鉄格子がいくつも上がっていく。
「嘘でしょ!?」
ノエルが叫ぶ。
鉄格子の奥から、黒い影が飛び出してきた。
ブラックドッグ。
小型ゴブリン。
コウモリ型の魔物。
数は、さっきより多い。
しかも、今は最悪のタイミングだった。
目の前には、闘技巨王バルグラン・ミノス。
正面には大戦斧。
横には鎖鉄球。
そこへ、雑魚まで追加される。
「本体だけに集中させてくれないタイプか……!」
俺は舌打ちした。
こいつは、闘技場そのものを使って戦っている。
斧で前衛を削る。
鉄球で後衛を狙う。
咆哮で雑魚を呼ぶ。
広い闘技場を、まるごと自分の武器にしている。
『雑魚追加!?』
『しかも多いぞ!?』
『ボス戦中にラッシュ再開はきつい』
『これ完全に闘技場ボスだろ』
『本体だけでもヤバいのに!』
コメント欄が一気に流れていく。
俺は剣を握り直した。
このままでは、押し切れない。
闘技巨王バルグラン・ミノス。
鹿島ダンジョンの主は、ただ強いだけじゃなかった。
この闘技場そのものを使って、俺たちを潰しに来ていた。
コメント
1件
裏五条さん、第116話読了です! もうもうもう、鹿島ダンジョンの主、格が違いましたね…! 大戦斧の横薙ぎを受けたセリナが初めて「重い」と口にした瞬間、私も息を呑みました。鉄球で後衛を狙い、咆哮で雑魚まで呼ぶ戦術の狡猾さに「これが闘技場の主の戦い方か…」と震えました。ただのパワー型じゃなくて、空間ごと攻略させる設計が本当に憎いし、熱いです!