◻︎お守り代わりの離婚届
その日、晩御飯を用意して、貴の帰りを待つ。
今日は樹がとてもはしゃいでいたから、樹が眠くなる前にお風呂に一緒に入った。
「ただいま…」
「おとうさん、おかえり!」
パジャマの樹が玄関へ走って行く。
あとを私も追いかける。
「おかえりなさい、お疲れ様。残業だったの?珍しいね」
「あ、うん、ただいま、ってか帰ってたんだね、おかえり」
私が帰ってるとは思わなかったような貴の反応。
「先にお風呂入るでしょ?樹を寝かせたら話したいことがあるから、寝ないでね」
「……わかった」
「さぁ、樹、ご飯食べようね」
「わぁーい、きょうはにくだんごだ」
樹が楽しそうだ。
家族3人揃っての晩ご飯が、そんなにうれしいのかといじらしくなった。
樹は、おしゃべりをたくさんしてお腹いっぱいになったからか、あっという間に寝てしまった。
歯磨きはギリギリできたけど。
お風呂上がりの貴が、リビングでテレビを見ていた。
「あのね」
「…うん」
「とりあえず、テレビ消してもいい?」
「あ、ごめん」
私は貴の正面に座った。
「まずは、家を空けてごめんなさい」
「……」
何も答えない貴に、イラッとした。
「侑斗君のことは誤解だったでしょ?まずはそこ、謝ってくれないかな?私にじゃなくて、侑斗君にね。私の相談にのってもらってただけなのに、怪我させてしまったし」
私はスマホを出すと、侑斗に電話をかけた。
『もしもし?裕美さん?』
「侑斗君?、このまえはごめんなさいね、怪我はどう?」
『もう平気ですよ、たいしたこともなかったし』
「ちょっと夫と代わるわね」
『え?』
ほら!とスマホを貴に渡した。
「いや、もういいから」
「何が?ちゃんと謝ってよ、侑斗君に」
「いいってば」
『もしもーし、裕美さん!ご主人のことならもういいんですよ、昨日、丁寧に謝罪がありましたので。かえってこちらが恐縮しちゃいました』
「ん?そうなの?」
『はい、謝罪もしてもらえたし、果物まで持ってきてくださいました。治療費もと言われたんですが病院に行くほどの怪我でもなかったので、そこは断ったんだけど』
「そうなの?」
スマホを押さえて貴に聞く。
「うん、昨日行ってきた、お母さんも連絡先知ってたから聞いて」
「なんだ、じゃよかった」
「もしもし?ごめんね、こっちの勘違い。怪我が治ったのならよかった。また、続きの相談にのってね」
『はい、あらためて伺いますね。じゃ』
「はーい、おやすみなさい」
プチとスマホを切る。
「一つ、オッケー。で、次は、と」
私は引き出しから離婚届を出した。
私の分は、あとは署名捺印で終わり。
「えっ?」
貴は、目の前に出された離婚届に驚いていた。
「離婚、したいの?」
「ううん、私は離婚したいわけじゃない。でも、なんていうかお守りみたいなもの?」
「どういうこと?」
「私ね、貴さんが何を考えてるのかわからないの。もしかしたら、結婚した時からわかってなかったのかもしれない」
「…」
「私も、ちゃんと話し合うとかしなかったからいけないんだけどね」
「…」
「貴さんが考えていることはわからないままだけど、私は私がこれからどうしたいか?はわかったの。だから聞いて」
答えてもくれない貴に、改めて正座をして向き合う。
「貴さんのこと、好きよ、私。めちゃくちゃに好きとかと違うけど。だからいい奥さんになろうとしてきた。でも、今回のことで気づいちゃった。いくら貴さんを好きだと思っても、貴さんだけに振り回されて生きるのはイヤ。だって、貴さんは私のこと、そんなに好きじゃない気がするし。今回の家出だって何も連絡してくれないし、本当は貴さんは、私なんか必要としてないんじゃないかって思った」
「…」
「ほら、ね?どうして何も言ってくれないの?ね!」
勝手に涙が出てくる。
泣いてたら言いたいことが言えなくなるのに。
止めようと思えば思うほど、感情のほとばしりのように涙が止まらない。
ひとしきり泣く、こうなったら、泣く。
なんとなく、焦っている、気配でわかる。
ふわっと近づいてきた。
「ごめん、なんていうか、とにかくごめん。どうしたらいいのか、どう言えばいいのかわからなくて。必要じゃないわけない」
正面からぎゅっと抱きしめられた。
「…え?」
「この前、あの侑斗君と仲良くしてるように見えた時、頭にきたんだ、なんていうか俺の大事なモノ、その…嫁さんを取られたような気がして」
「え?」
「裕美は当たり前にそばにいてくれて、なんでもやってくれて、俺は好きなことしていられて。それが全部なくなる!なんて思ったら殴ってしまってた」
少し貴の声が震えている。
「呆れただろ?そんなふうに思ってたなんてさ。すぐに気づいたよ、俺はなんて勝手な人間なんだって。裕美に甘えっぱなしの、まるで裕美をお母さんとして見ているようだったんだと気づいた。でも、裕美は出ていってしまったあとで、探そうにも、裕美の行きそうな場所が思い当たらなかった…愕然としたよ。俺はおまえのこと、何も知らないってことに」
「聞かれなかったから言わなかっただけなのに。興味ないんだと思ってた、私のこと」
「うまく言えないけど、誰かをすごく好きになるって感情を、ずっと抑えてた気がする。そのせいで、本当に好きになってもうまく表現できないというか…。でも、そんなこと言わなくてもお前はここにいてくれた、そのことに甘えていた俺が悪い」
「もしかして、昔、なにかあったの?」
感情を抑えていたという、貴の言葉が気になった。
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