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凛はそっと長い溜息を吐き、腕の力を解いた。
胸の奥に渦巻くどうしようもない衝動を押し殺し、わずかに視線を逸らす。
「すまない。おかしな事を言った」
そう呟いて、凛は静かに蓮から距離を取った。
「……ま、そう言う事だ。俺の本心なんて聞いたって気持ち悪いだけだろ」
「兄さん……」
きっとこれで、今までどうりの関係ではいられなくなる。だが、それも仕方ない。
「もう、俺に関わるな」
それだけ言って踵を返そうとした瞬間、グッと腕を引かれて凛は足を止めた。
「……なんだ」
「兄さんはどうしていつも自分の感情を押し殺して完結しようとするんだ……」
「仕方ないだろ。実の弟に邪な感情を抱く方がどうかしてる」
蓮の言葉に凛は自嘲気味にそう吐き捨てた。だが、蓮は納得いかないと言った様子で首を横に振る。
「僕の答えも聞かないまま、勝手に自己完結しないでよ」
「……っ」
真っすぐにこちらを見てそう言い放つ蓮に、凛は言葉を失った。
そんな事を言われたら、もしかしたら、なんて期待してしまいそうになる。だが……夢を見てはいけない。
蓮がそんな目で見ている相手は自分ではない。頭ではわかっているのに、それでももしかしたら、と思ってしまう自分がいる。
「確かに僕は兄さんの要求を受け入れることは出来ないけど、気持ち悪いだなんて思わない。むしろ、兄さんも一人の人間だったんだってわかって安心したというか。……なんならむしろ、話してくれてちょっと嬉しかったし」
そう言ってふわりと微笑む蓮を見て、凛の心臓が大きく跳ねた。
そうやって無防備に人の心を掻き乱すような事を言って……。一体、何のつもりだ。
蓮の真意がわからずに、凛はただ黙って蓮を見つめ返した。
「そんなに警戒しないでよ兄さん。僕、人を好きになるってどういうことか最近まで全然よくわかってなかったんだ」
「……」
「物心ついた時から大抵のものは手に入ったし、なんなら好意を寄せられるのは当たり前だと思ってる節すらあった」
凛は何も言えなかった。それはある意味事実であるからだ。蓮のモテ具合は半端なものではないのは凛もよく知っている。悪い虫が付かないように目を光らせていないと、直ぐによからぬ奴らが群がって来る。そんな蓮が、実は恋をした事が無いなど、誰が想像するだろう。
だが、なぜ今その話を自分にするのだろうか?
「僕は両親からも、そして兄さんからも愛情を一身に受けて育ったし、それを疑った事も無かった。自分が望めば何でも手に入れることが出来る。自分の事を好きにならない奴なんていない。って天狗になってた時期があって。好きになって当然って、今思えば笑っちゃうくらい歪んでるし怖い話なんだけど……。でも、たった一人だけ、手に入らない奴がいてさ……。かなりソイツに執着していた時期があって、まぁ、最終的にはフラれちゃったんだけどね」
蓮の言葉を凛はただ静かに黙って耳を傾ける。一時期、廃人のようになっていた時があったが、当時はなんだか聞いてはいけないような気がして敢えて深く追求しようとはしなかった。
そのうちに吹っ切れたのか、前を向くようになっていたのでもう自分の中では終わった事なのだと思っていたのだ。
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「フラれるって、凄く胸が痛いんだよね。苦しいしさ……。僕は一度逃げたんだ。自分の感情を認めるのが怖くて……。ちゃんと向き合おうとしなかった。だから、気付いた時には既に相手にはパートナーが出来ててさ、もう、笑うしかなかったよね。沢山後悔したし、悔やんでも悔やみきれなくて、酷い手段に出た事もあったけど、結局そいつらの仲を引き裂くことなんて出来なくってさ、逃した魚は大きいってこの事を言うんだって思ったよ」
蓮は、まるで他人事のように淡々とそう語る。だが、その目はどこか遠くを見つめているようで。凛はそんな蓮をただ見つめる事しか出来なかった。
そして、蓮は一呼吸置いてから再び口を開いた。
「でさ、結局何が言いたかったかと言うと……。思ってるだけじゃ、いつか絶対後悔する日が来る。フラれるのは怖いし、辛いけどさ……その先には絶対、新しい出会いがあると思うから。だから、その……」
そこまで言って、蓮は急に口ごもる。そして、少し逡巡した後、意を決したように再び凛の目を真っ直ぐ見つめた。
「兄さんには、いつまでも僕に執着してないで、前を向いて生きて行って欲しいんだ。そしていつか、僕じゃない誰かと新しい恋をして、幸せになって欲しい……。これは僕の本心だ」
蓮の言葉に、凛は言葉を失った。
まさか、そんなことを考えていたなんて思いもしなかった。
目の前の弟はただ真っ直ぐに、凛の未来を案じている。その視線に射抜かれ、胸の奥底で燻っていた暗い感情がわずかに揺らぐ。
(――俺に、お前以外を愛せる日が来るのだろうか)
凛は答えを見つけられないまま、ただ静かに蓮を見つめ返すことしか出来なかった。
「……簡単に言ってくれる」
「ごめん。兄さんにとっては、きっと、身を切られるよりも辛い言葉だと思う。コレは完全に僕のエゴかもしれない。でも、先に進まなきゃ。何時までも立ち止まってたって仕方がないだろう?」
凛は深い溜息を吐き、天井を見上げてじっと目を閉じた。
何時までもこのままでいいとは流石に凛だって思ってはいない。ただ、長年秘めて来た思いが叶わなかったからと言って、直ぐに切り替えられるほど、容易い想いではない。
「はぁ……なんで俺は、お前の兄貴なんだろうな……」
兄弟ではなく、ただの同級生とか、幼馴染だったのなら良かったのに。何度そう思った事か。もしそうだったなら。こんな苦しい思いをすることもなかったし、蓮を傷付ける事だってなかっただろう。
叶わないとわかっていても、そんなもしもを考えずにはいられない。
「……蓮、悪いが、酒持って来てくれないか」
「え……? いいけど、飲んで来たんだろう?」
「いいから」
今日はもう何も考えたくない。酒に溺れて全てを忘れてしまいたかった。
蓮が部屋を出て行ったのを確認して、凛はソファに深く身を沈める。
「前を向いて……か」
蓮の言葉が、まだ耳に残っている。蓮は、凛が自分と違う誰かを好きになる日が来ると信じている。
だが、恐らくそんな日は来ない。凛が好きなのは今も昔も蓮だけだ。
その気持ちが変わる日がいつか本当に来るのだろうか?
「……いい加減、弟離れしないといかんなぁ……」
そう呟いて、凛は目を閉じた。蓮の言うとおり、何時までも立ち止まっていたら、きっと何も変わらない。いつかは前を向いて進まなければならないのだ。
自分には、その覚悟が足りなかっただけなのかもしれない。
「蓮、俺は……」
そこまで口にして、凛は言葉を飲み込んだ。
続きが、どうしても出てこない。
本当は“お前だけだ”と叫びたいのに、声にならない。
この思いを告げた瞬間、すべてが壊れてしまう気がして――。
静まり返った部屋に、時計の針の音だけが響く。
凛は深く息を吐き、手の中の空虚を確かめるように拳を握りしめた。
(……やはり俺は、一生この想いを抱えたまま生きていくんだろうな)
胸の奥がずしりと重くなる。
それでも、蓮の言った「前を向いて」という言葉が頭から離れなかった。