テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
どのくらい経っただろう。枝垂れ桜の下、煌は朱雀の重みを受け止めたまま、庭の闇をぼんやりと見つめていた。
さっき静遠が消えた方向を、もう一度だけ振り返る。
そこには、ただ揺れる木々の影があるだけだ。回廊の先はどろりとした闇が溜まり、人の気配はもう微塵も残っていない。
(……気のせいか)
一度は自分に言い聞かせたが、胸に刺さった棘のような違和感は消えない。
けれど、今はそれを確かめる術も、その余裕もなかった。
「……童」
腕の中で、朱雀が低く呼んだ。耳元に響く声はまだ掠れていて、吐息には熱がある。
「なに」
「……礼を言う。お主が来なければ、わしは今頃、この桜の根にでもなっていたかもしれん」
煌は少しの間、沈黙した。
朱雀の言葉が冗談に聞こえなかったからだ。
「……礼とか言うな。気持ちわりぃ」
吐き捨ててみたが、自分の心臓もまだバクバクと騒がしい。この神様の図体はデカいくせに、弱っている時は驚くほど脆く感じる。
「では、何と言えばいい。……わしの救い主よ、とでも呼ぶか?」
「何も言わなくていいっつってんだろ。そう言うの苦手なんだよ。 いいから、さっさと寝ろ。……部屋まで肩貸してやるよ」
朱雀はゆっくりと、惜しむように身体を起こした。支えがなくなった煌の腕に、夜風がひんやりと通り抜ける。
月明かりの下で見上げた朱雀の顔は、さっきの死人のような青白さからは脱していた。けれど、深く刻まれた目の下の隈は消えておらず、その黄金の瞳は、まるで底なしの沼のように暗い。
「……おい。お前、最近ずっとこうなのか」
「何がだ」
「しらばっくれんな。俺がこの世界に来た時より、どんどん酷くなってるだろ。無茶してるんじゃねぇの?」
最初は気のせいかと思った。近くにいると落ち着くというのは嘘ではないようで、朱雀は煌の隣にいる時だけは、波の引いた凪(なぎ)のような穏やかな顔を見せる。
白虎と居る時などは特に弱っているようには見えないのだが、それはきっと、同格の神の前で「王」としての虚勢を張っているだけなのだろう。
二人きりになった途端、その虚勢がパラパラと剥がれ落ち、隠しきれない疲弊が露呈していく。
結局のところ、その安らぎは「回復」ではなく、砂漠が水を吸い込むような「一時的な補填」に過ぎないのではないか。
注いでも注いでも、底の抜けた器から命が零れ落ちていくような。そんな予感が、煌の胸をじりじりと焼いていた。
「……無茶、か。そんなふうに言われたのは、いつ以来だろうな」
朱雀はふっと細く息を吐き、重い身体を預けるように煌の肩へ頭を乗せた。
はだけた寝衣の隙間から覗く肌は、やはり火傷しそうなほどに熱い。それなのに、彼を包む空気だけがひどく冷たく、湿っている。
「わしは、この地の火を司る者。火が絶えれば国が死ぬ。……わしが身を削るのは当然の対価だ。神としての、な」
6,178
「対価だか何だか知らねぇが、お前が消えちまったら元も子もねーだろ。……バカじゃねぇの」
煌は、肩にかかる朱雀の長い髪を邪魔そうに払い除けながら、一歩一歩踏みしめるように回廊へと歩き出した。
朱雀の腕が煌の首に回され、その大きな手が、無意識にか、あるいは本能か。煌の鎖骨のあたりを、壊れ物を確かめるような手つきでぎゅっと掴む。
「……童。お主の体温は、やはり不思議だ。わしの業火よりずっと低いのに、どうしてこうも……芯まで解かされるような心地がするのだろうな」
朱雀の熱い吐息が耳元を掠め、煌は思わず首をすくめた。
「……っ、うるせぇ。俺は平熱なだけだ。お前が熱すぎんだよ、エロ鳥」
毒づきながらも、煌は朱雀の腰を支える手に力を込めた。
寝所に向かう、薄暗い回廊。
ふと、先ほど静遠が消えていった闇の残像が脳裏をよぎる。
(たく、静遠の野郎。自分の主人がどんどん弱ってんのに、夜這いに勤しむとはいいご身分だな。それとも、気付いてねぇのか?)
あんなに「朱雀様、朱雀様」と崇め、人の事を悪魔の申し子だのなんだのと邪険にしていたくせに、肝心な時に不在とは。
呆れを通り越して、煌の心には冷ややかな不信感が微かに混じる。それとも、朱雀が弱ることで都合が良くなる「何か」が、あいつを遠ざけているのだろうか。