コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
物腰柔らかな、とても鬼人と呼ばれる魔物だとは思えない雰囲気。手先も起用で、見目以外は人間と全く同じ、振る舞いも繊細で落ち着きがある。姿見の前で着物の着付けをされながら、ヒルデガルドは不思議な気分になった。
「こうしていると、君たちが魔物に見えなくなってくるよ」
「そうですかね? だとしたら嬉しい言葉です」
フヅキが照れ笑いを浮かべて言った。
「主君様が言うには、あちきらは元々人間と近い、ううん、人間から生まれた魔物だそうです。魔物の血を呑んだ赤子が変異して、鬼人種が生まれたとか」
「へえ、面白い話だな。ヤマヒメはどれくらい生きてるんだ?」
うーん、とフヅキは顎に指を添えて。
「あちきらもよく知らねえんです。ただ、鬼人を増やし続け、千年はとうに過ぎたと聞きやしたよ。あちきらは新参者なんで、まだまだ自分たちのことすら分かってねえんですよ、ごめんなさい」
自分たちが鬼人という種であるのは分かっていても、その起源を知らない。どこまでも不思議な魔物だ。だったら、とヒルデガルドは長い髪を結われながら。
「本人に全部聞くよ。答えてくれるだろう」
「ええ、きっと教えてくれるはずです。さあ出来ましたよ」
長い髪が綺麗に纏められ、彼女は初めて見る飾りのついた串のようなもので束ねられているのに感動して、指でそっと触れる。
「これは髪留めか? 面白いな。煌びやかで、大陸にはないものだ」
「かんざしと言うんでござんすよ、きれいでしょう」
「気に入ったよ、着物というのも悪くない。風通しは気になるが」
「あはは、慣れますとも。お荷物は風呂敷に包んでおきますね」
「ありがとう。この都は素晴らしい文化があるな」
着付けが終わった頃に、ヤマヒメがぬっと顔を出す。
「おお、きれいだなあ。丈も合ってるようだのう、美しいもんだ。てめえの顔立ちが良いもんで、鬼人ってなあ女好きで惚れっぽいから、注目の的だな」
「ふふん。では君はどうだ、惚れそうか」
切り返されて、きょとんとしてから。
「カッカッカ! こりゃあ気の強い! たしかに、わちきでも惚れるくらいの良い女だ。ガキみてえに、どうしても欲しくなっちまう!」
掛け値なしにヤマヒメはヒルデガルドが欲しくなった。冗談めかして笑いながら、背を向けた時にはひっそりと舌なめずりをして。
「さて、んじゃあ、わちきの家に行こう。都の中央にあるが、ちいせえから初めて来る奴にゃあ目立たねえんだよ」
呉服屋を出て、イッテツたち親子と別れて、通りを再び散策がてらに歩く。やがて見えてきたのは、十字の通りの真ん中に立つ、少し大きめな家だ。指差したヤマヒメが、「あれがわちきの家だ、ちいせえだろ」とからから笑う。
たしかに鬼人たちの頭領が住むにしては小さく、利便性に重きをおいて、池のある庭が外からも見えるような背の低い柵で囲んでいるだけ。イルフォードなどでは安く買えるだろうな、とヒルデガルドは無意識に値踏みした。
「ほれ、何してんだ。入りな、酒でも飲んで話そう。縁側で待ってろ」
指を差された場所にちょこんと座って待つ。隣で座ったイルネスが、慣れない服の着心地を気にしながら、落ちかけの陽を眺めた。
「なんじゃあ、思いのほか平和な国じゃのう」
「君は危険な場所だと考えていたようだが」
「ぬしはどう思うんじゃ。ヤマヒメの奴、中々恐ろしくはないか」
「……ああ、そうだな」
腕を組んで、ヒルデガルドは複雑な表情をした。
ヤマヒメを含む鬼人たちの生活は人間と同じで、独自の文化まで持っている。穏やかな者もいて、人間に対して敵対的というわけでもない。ただ、頭領であるヤマヒメを中心に『仲間意識が薄い』と感じた。必要が無ければ容赦なく殺し、それについて自分たち以外が誰も不思議に思わない。当たり前なのだ、それが。
「一度目は許す。だが二度目はない。鬼人たちはそういう方針で生きているんだろう。もちろん、死への恐怖は拭えるものじゃないだろうが、あくまでルールに則っていれば問題などないから。……だからといって、あんなにあっさり殺すとは、正直思っていなかったが。やはり、根本は魔物なのかもな」
とん、と小さな平たい器が置かれ、横には大きな酒の瓶が何本か用意された。ヤマヒメはニヤニヤしながら「そりゃあそうだ」と、話を途中から聞いていたのか、どすんと胡坐をかいて座り、酒瓶の木栓を指でつまんで抜く。
「てめえらにしたら納得いかねえだろうなあ。仲間の頭を簡単に吹っ飛ばすなんつうのは。だけどよ、この国はちいせえ島ひとつで成り立ってる。生意気なことする馬鹿は、許してやったら何度も繰り返すもんだ。だからたとえ蟻だろうが、二度目はねえ。わちきのシマを荒らす馬鹿は、生きてるだけで迷惑だ」
二人に酒を注ぎ、ヤマヒメは瓶のまま飲む。
「まあ、わちきより強い奴はこの世界にゃおりゃあせんがよ? しかし、そりゃあ、今、こうして治安を守ってるからに他ならねえ。もし追放でもして、力を付けた奴が、わちきを殺したとする。じゃあ、ここはどうなる。考えるべくもなく、わちき以上の恐怖が敷かれることになる。それが魔物ってもんが根本に抱える問題だ」
力による支配は崩壊を招く。ゆえに、ヤマヒメは危惧した。自分がいなければ、鬼人という種は滅んでしまう。それはあまりにも残酷で、沼の中に沈んで誰にも気づかれず忘れ去れる未来が待っているだろう、と。
「それだけにざわつくんじゃあ、わちきの血は。種を絶やすなという生物としての本能が滾っていやがる。……鬼人つうのは、やっぱ、元が人間だからよう」