テラーノベル
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アレクが眠る重傷者用の個室には、静かな祈りの声が満ちていた。ベッドに横たわるアレクの顔色は、相変わらず死人のように白い。
(大丈夫。きっと私が助けるから)
背後で、大神官が呪文を唱えた。空中に淡く白い魔法陣が展開され、光の粒子がベッドを囲むように広がっていく。
呼応するように、アレクの冷え切った手の甲に、黄金に輝く小さな魔方陣が浮かび上がった。
「まずは手を重ねてくだされ。お互いの魔力の経路を繋ぎますぞ」
私はアレクの大きな手に、自分の掌をそっと重ねた。こんなにも冷たくなっているなんて。胸がぎゅっと痛んだ。
「……ここから先はバイオレッタ様、あなたにしかできません」
大神官はそう言い残し、静かに部屋を出て行った。 二人きりになった室内。
私は意を決してアレクの隣に横たわり、彼の大きな手を、今度は指を絡めるように深く握りしめた。
最初は、温かな水が指先から腕へと流れ込んでくるような、心地よい感覚だった。 けれど次の瞬間――私の脳内に『アレクの記憶と感情』が流れ込んできた。
冷たい。重い。暗い。底無しの闇。そして──視界は暗転した。
***
――ベルシュタイン家は、今すぐ国境へ向かえ。気がつくと、私は王城の謁見の間にいた。
「まだ立っていられるのですね。さすがは、王家の忠犬」
薄笑いを浮かべた現王妃が、玉座からアレクと、その横に立つアレクの父親へ向けて、扇を投げつける。
「拾いなさい。犬なら命令を聞くことくらい、慣れているでしょう?」
王国建国の功臣であり、王家に匹敵するほどの強大な軍事力を持つベルシュタイン公爵家。前王妃派の筆頭であった彼らは、王妃にとって目障りな存在だった。だからこそ、死地へ向かえと、理不尽な命令が下される。
場面が、雨の音と共に切り替わった。
しとしとと降る冷たい雨。黒い馬車。屋敷の前に、喪服を着て整列する家臣たち。 そこには、今よりもずっと幼いアレクがいた。彼の腕に抱かれているのは、父の剣だった。
無茶な出征命令。わざと遅らせされた補給。孤立無援の戦場。
『ベルシュタインの跡取りなら、泣くな』
年老いた家臣の言葉通り、幼いアレクは泣かなかった。一滴の涙も流さなかった。 けれど、剣を抱きしめる小さな手のひらは、痛々しいほどに細かく震えていた。
次の記憶は、少しだけ温かかった。
柔らかな日差しが差し込む、ベルシュタイン家の庭園。小さなアレクが、亡き母と一緒に、白い子犬を抱いて笑っている。今の彼からは想像もできないほど、やわらかな、笑顔だった。しかし、その幸福な光景は瞬く間にかき消される。
すこし成長したアレクは、その小さな手に、すでに剣を握らされていた。
――また出征命令だ。
鼓膜を震わせる砲弾の音。怒号と悲鳴が飛び交う、戦場。その地獄の真ん中に、いまよりもずっと幼いアレクが、感情を殺した目でぽつんと立ち尽くしていた。
次に見えたのは、見覚えのあるウィステリア伯爵家の応接間だった。私の父親が、アレクの前に立っている。
『ベルシュタイン公爵……どうか、あの子を……を守ってほしい』
私は目を見開いた。
(お父様が……?)
ゲームのストーリーでは、バイオレッタの父親は娘をただの政略結婚の道具として、公爵に差し出しただけだと思っていた。それなのに、記憶の中の父親は、アレクの前で、深々と頭を下げている。
『王妃派の動きが不穏だ。 私は、いつまであの子を守れるか分からない……』
記憶の濁流は、さらに加速する。
婚約後、初めて私とアレクが会った日。
応接間で向かい合う二人。転生する前の、私が転生する前のバイオレッタが、彼を見上げて冷たく言い放つ。
『閣下からは、戦争の匂いがしますわ。おぞましい』
アレクの表情は変わらなかった。
――やはり、そう見えるのか。 ――誰にとっても、人間の皮を被った獣にしか見えないのか……。
「違うわ……!」
思わず叫んでいた。 今の私は、そんなこと微塵も思っていない。けれど、あの一言は、彼の心に消えない呪いのようにずっと刺さっていた。
野獣公爵。戦争の狂犬。恐ろしい。 アレクはそれらの評判を、当然のように受け入れて生きてきた。
そして――記憶は、あの仮面舞踏会の夜へと流れ込む。
きらびやかな王城のシャンデリアの灯り。人々のざわめき。廊下で二人きりになり、仮面の奥から私を見つめるアレク。
そして──あの夜、私が告げた言葉。
『アレク、愛してるわ』
その瞬間、アレクの記憶の中で、世界が止まった。彼の中で、その言葉だけが何度も反響する。
誰も近づかない。誰も触れようとしない。誰も彼を、人として見ようとしなかったのに。
私にとってはその場の勢いで口にした言葉だった。
でも、彼は違った。彼はその一言を、命綱みたいにずっと握りしめていたのだった。
(私……なんてことを……)
罪悪感が、胸に沈む。
その次に流れ込んできたのは、剥き出しの感情だった。
失う恐怖。
私が自分の手の届かない場所へ行ってしまうかもしれないという、狂いそうなほどの恐怖。
――守らなければ。
――もう二度と、失いたくない。
――俺には、もう、お前しかいない。
戦場から帰らなかった父親。戦場で失った仲間たち。もう二度と失わないように。
「アレク……っ」
私は彼の名前を叫んだ。すると、目の前の景色が音を立てて崩れ落ちる。
そこにぽつんと座り込んでいたのは――戦争で、初めて剣を振るったときの、小さな子供のアレクだった。剣を握りしめ、全身を震わせている。
「こっちに……来るな。俺は、化け物だ……」
怯えた目で私を拒絶する子供のアレク。
「違うわ」
震える背中を、両腕で包み込んだ。
「あなたは、化け物なんかじゃない。もう、大丈夫よ」
暗い記憶の底に、淡い光が差し込んだ。
Jasmine
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コメント
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**美月ゆめかだよ〜🌸 第72話読んだんだけどもう胸がぎゅううってなったぁ〜😭💕** 魔力交換でアレクの記憶が流れ込んでくる演出、すごくエモかった…!特に小さいアレクが父の剣を抱えて「泣くな」って震えてるシーンとか、お母さんと子犬と笑ってた記憶との対比で泣ける。そして「愛してる」の一言を命綱みたいにずっと握りしめてたってとこ……もうずるいよ、ひよりさん!!🥺💖 最後に小さなアレクを「化け物じゃない」って抱きしめるシーン、私も一緒に泣きそうになった。続きが気になりすぎる!