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「……さん!! 母さんッ!!」
小さな子供の喉が張り裂けんばかりの叫びが、夜気に虚しく響いた。
子供の視界の先──床一面に、濃い赤がじわりと広がっていく。鉄の匂いが鼻を突き、温かいそれは、じきに冷たい闇へと溶け込もうとしていた。
その赤の中心に、女が一人、立っていた。
乱れ切った髪は黒い糸のように顔に張りつき、虚ろな双眸はまるで何かを見ているようで、何も見ていなかった。その姿は、まるで山姥──人ではない何か。
「……か、母さん……っ!」
子供は震える手を伸ばす。だがその小さな手は、空を切るだけで何も掴めない。
指先がかすかに血溜まりに触れ、ぬるりとした感触にびくりと体が跳ねた。
女がこちらを向く。
裂けた口元が、ぐにゃりと不自然な弧を描いた。
「ワタシ……キレイ……?」
低く、壊れた玩具のような声。
手に握られた巨大なハサミが、月明かりを受けてぎらりと光った。
そして──女はためらいもなく、その刃を振り下ろす。
血が噴き上がり、赤い飛沫が壁と子供の頬を染めた。
そこにあったのは、母の体。
声にならない悲鳴が、喉の奥で潰れた。
子供は、俺は……ただ立ち尽くすことしか、できなかった。
俺がまだ四つの頃、父親は他の女と浮気して家を出ていった──と、母方の祖母から聞かされた。
そのときは、よく分からなかった。ただ、母さんが夜になると一人で泣いていたのだけは、覚えている。
そして……俺が六つのとき。
母さんは、殺された。
犯人は、いまだに見つかっていない。
俺は何度も何度も、警察に同じことを訴えた。
「口が裂けた女に……殺されたんだ!」
けれど、大人たちは俺の言葉を信じなかった。
「幼い子供の混乱だ」「作り話に決まっている」
そうやって、俺の証言は軽く、簡単に、片付けられた。
──嘘じゃない。
あの夜に見たものを、俺は鮮明に覚えている。
血の匂いも、裂けた口の女の笑い声も……昨日のことのように。
だから、俺は誓った。
母さんの仇を、必ず自分の手で見つけ出すと。
そして──犯人を、あいつを、母よりもずっと悲惨な目に遭わせてやると。