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片付けもようやく一段落し、俺たちは神薙の机を囲むように座っていた。
「まったく……この顔だけ番長め……」
霜月が呆れ顔で神薙を睨む。
「悪かったって。次はちゃんとやるからさ〜」
軽い調子で笑う神薙に、反省の色はまるでない。
「はぁ……」
霜月が深くため息をついたところで、神薙が話題を切り替えるように声を上げた。
「で、依頼の内容って?」
その言葉に、俺も自然と身を乗り出した。
霜月は机の上に置いていた大きめの茶封筒を取り上げ、中から資料を数枚引き抜く。
「正直、私もまだ詳しくは分からないんだけどね〜」
そう言いながら封筒の中身を広げると、数枚の写真と書類が机に散らばった。
俺と神薙は顔を寄せ合い、その内容を覗き込んだ。
以下はファイルの内容である。
怪異事件ファイル No. 089
件名:渦人形(うずにんぎょう)
依頼人:某高校 部活動合宿参加者・匿名
調査担当:霜月探偵事務所/霜月・神薙
概要:
山奥の合宿所付近にある廃屋(旧別荘)で、和服を着た人形のような存在と“ホホホ…”という抑揚の無い笑い声”が目撃された。確認者の一人が意識混濁・失禁状態となり、家屋から脱出困難な状況に陥った。
現場記録:
• 夜間、合宿所裏手に空き家を発見。ドアはわずかに開き、人影(子どもまたは人形)がこちらを覗き込んでいた。
• 家屋内部探索中、2階より「アハハ…アハハ…」という笑い声。同行者E介が、笑いながら無表情で泣き出すという異常な状態に。
• 逃走時、屋根上および窓越しに、和服・おかっぱ頭・首が棒状に伸びた人形の姿を確認。黒い瞳・三日月状の口を持つ顔だった。
• 残骸から「寛保二年」「渦人形」という文字の痕跡を確認。呪術的な模様が棒部分に刻まれていた。
考察:
初動では地域伝承の妖怪「ひょうせ」が疑われたが、姿かたち・笑い声・発生頻度が伝承と異なり、別個の呪物・人形的存在と判断。渦人形は、所有者/創作者不明の呪具で、被接触者を精神・身体的変調へ導く。
「…残骸ってことは、実物はもうないってことか?」
資料を一通り目を通した俺は、素朴な疑問を口にした。
霜月は顎に手を当てながら、少し考え込むように言う。
「どうだろ…。依頼が来たってことは、完全に消えた確証がないってことかもしれないね。」
「別に、あったら斬ればいいだけだろ。」
隣で神薙があっけらかんと言い放つ。
そのいかにも脳筋な発言に、俺は苦笑いを零した。
そんな中で、ふと前から気になっていたことを思い出す。
「そういえばさ、アンタら二人の武器って何なんだ?」
ここが一番気になる部分だった。
俺はまだ自分の武器すら持っていない。
となれば、命を預ける二人の戦力を把握しておくのは当然のことだ。
「あぁ、言ってなかったな。」
神薙がそう言うと、押し入れから一本の刀を取り出した。
「これが俺の得物。」
静かに鞘を引き抜くと、銀色の刀身が淡く光を反射した。
「この刀は……なんでもよく斬れる。」
そう言って、神薙は刀身を軽く撫で、再び鞘へと戻す。
その仕草は、まるで長年の相棒に触れるかのように慎重で、どこか誇らしげだった。
神薙の武器紹介が終わると、霜月がすっと立ち上がった。
「で、私の武器はこれ。」
そう言って彼女が玄関から持ってきたのは、一見ただの和傘。
ぱっと開かれた瞬間、視界いっぱいに赤い花模様が咲き誇った。
艶やかな朱の傘に、細やかな金糸が差し込まれている。
「綺麗でしょ?でも、これ…見た目以上に痛いんだよ?」
霜月がイタズラっぽく笑う。
彼女らしい――華やかで、どこか危うい――そんな武器だった。
神薙の車で目的地へ向かう。
行き先はT県の山奥にある別荘だ。高速に乗ること七時間半——ようやく高速を降り、郊外へと進む。さらに二十分ほど走ると、辺りに民家は一本も見当たらない深い山中に入っていた。
助手席の霜月が欠伸をしながら窓の外を眺める。
「ん〜、天音、もう少し?」
運転席の神薙――天音が少し首を傾げて答える。
「多分、もう少し……か? 山すぎてどこが道か分かんねぇ」
その答えに、俺の不安は増すばかりだった。山道は暗く、道標もほとんどない。雑木林が車のヘッドライトに黒い筋を落とす。
ぽつりと、我慢していたことが口から出た。
「……トイレ、行きたいです」
霜月が慌てて目を見開る。
「えっ!? ど、どうしよう!?」
神薙は呑気に肩をすくめる。
「そこら辺で済ませりゃいいだろ。待ってるから、さっさと行ってこいよ」
膀胱が限界を迎えた俺は、ありがたくその提案に甘れることにした。車を降り、ライトで辺りを照らしながら少し奥の茂みへ入る。冷たい夜気が肌に刺さる。茂みに身を潜めて用を足し、終わると胸の中にすっと軽くなる感覚が戻った。
身を起こして前方にライトを向けると、闇の中に一軒の家が浮かび上がっていた。
あれが今回の目的地――別荘なのだろう。
用を済ませ、俺は来た道を足早に戻った。車に近づくと、二人の姿が見えた。呼びに行くときの胸の高鳴りは、単なる移動の疲れ以上のものだった。
「二人とも、別荘があったぞ!」
思わず声が少し上ずった。
「おっ、でかした赤坂!!」
「赤坂くんナイス〜!!」
二人から褒められたが、正直、ただ“ついでに”見つけただけだ。
少しばかり気恥ずかしさを覚えながらも、三人で車を降り、例の別荘へと向かう。
近づくにつれ、その異様な存在感が強まっていく。
外壁は蔦に覆われ、ところどころに亀裂が走っていた。
窓は板で打ちつけられ、内部の様子はまったく見えない。
息を呑む俺の横で、霜月がぽつりと呟いた。
「…ずいぶん荒れてるね。」
「何年も放置されてたんだろうな。」と神薙。
その落ち着いた声が、逆に場の不気味さを際立たせる。
俺は唾を飲み込みながら二人の後に続いた。
神薙が玄関のノブに手をかける。
どうせ開かないだろうと思っていたが――
「ギィ…」
という鈍い音と共に、あっけなく扉が開いた。
その瞬間、腐った空気のような、重く淀んだ“何か”が流れ出した。
「うっ……」
反射的に口元を押さえる。
吐き気と、背筋を這い上がるような嫌悪感が全身を包んだ。
「……やっぱり、いたみたいね。」
霜月が低く呟く。
神薙は眉をひそめ、腰の刀に手をかけた。
二人は小さく“真名”を唱える。
その瞬間、和傘がかすかに光を放ち、刀身がわずかに形を変えた。
氷見のような派手な変化ではない。
だが確かに、空気が変わる――戦う準備が整った合図だ。
俺は息を殺して二人の背中を見つめた。
胸の奥が、静かにざわついていた。
「天音、慎重に行くよ。赤坂くんも、絶対傍から離れないでね。」
霜月の声は静かだったが、確かな緊張を孕んでいた。
「分かってるよ。」
神薙が軽く返す。
俺は声を出すことすらためらわれて、ただ小さく頷いた。
自分の喉が乾いているのが分かる。息を吸うたび、埃と湿気が混ざった臭気が鼻を突いた。
一歩、また一歩と足を進める。
床板がミシリと鳴るたび、心臓が跳ねた。
家の中は外観そのまま――否、それ以上に荒れていた。
崩れた家具、破れた壁紙、カビの浮いた天井。長年、誰の手も入っていないことが一目で分かる。
そんな中、不意に――
「ホホ……ホホホ……ホホホホホホ……」
不気味な声が、家全体に反響した。
まるでどこからともなく響く、乾いた笑い声。
その瞬間、背筋が凍るような感覚に襲われ、俺の体は動かなくなった。
金縛りにあったように、全身が固まる。
「……奴さんのお出ましかぁ?」
神薙が、面白がるように口角を上げる。
「お出ましのようね。」
霜月も同じように笑った。その瞳の奥には、獲物を見つけた捕食者のような光が宿っている。
二人は互いに得物を構えた。
静かに、だが確実に、音の発生源――階段の方へと歩を進めていく。
俺も息を殺してその後ろを追った。
視線の先、暗闇の中に、影がひとつ――。
「……あらあら、可愛いおカッパ頭だねぇ。」
霜月がくすりと笑う。
「あれだろ、ク〇ラップのやつ。」
神薙が刀の柄に手をかけながら、いつもの調子で言った。
二人の口調には緊張がない。
だけどその瞳は、鋭く、冷たく、獲物を狩る者のそれだった。
俺だけが――まだ、この異常さに体を馴染ませられずにいた。
先に動いたのは、神薙だった。
刀を握り直し、一直線におカッパの子供の顔目掛けて振り下ろす。
しかし、その一撃は、まるで風を切るように空を斬った。
スッ、と。
目の前から子供の姿が消える。
「なっ……!?」
驚く俺の視線の先、子供は床を滑るように後退していた。
その異様な動きに息を呑む――そして、ようやく気づいた。
あの顔には、「目」も「鼻」も「口」もない。
のっぺりとした皮膚に、あるべき穴がぽっかりと穿たれている。
そこから、闇のような空洞がこちらを覗いていた。
さらに、首――異様に長い。まるで人間を模して作られた何かのようだ。
「……なんだよ、あれ……!」
神薙が再び刀を構え、踏み込もうとした瞬間――
ドサッ。
天井から何かが落ちてきた。
反射的に神薙は身を引く。
床に叩きつけられた「それ」は、子供ほどの背丈を持つ、毛むくじゃらの獣だった。
全身を覆う黒い毛の合間から、所々にこびりついた赤黒い染み。
乾いた血だ。
そして――その両腕に生えた爪は、まるで刃物のように鋭く光っていた。
「チィッ!」
神薙が刀を構え直す間もなく、獣が跳ね上がる。
振り下ろされる爪。
それを――
「させない!」
霜月が階段を駆け上がり、傘でその爪を弾き飛ばした。
金属音に似た甲高い音が響く。
「キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!」
獣の喉奥から、耳をつんざく悲鳴が上がる。
霜月は顔をしかめながら、その体を押し返し、窓際まで追い詰めた。
「うるさいなぁ。耳元で叫ばないで貰える?」
言葉と同時に、霜月の赤い傘が横薙ぎに振られた。
ドン――!という音とともに、獣の体は窓ガラスを突き破り、外へと投げ出された。
ガシャァァン……
静寂が戻る。
霜月は、髪を整えながら軽く息を吐いた。
「……天音、コイツは私が貰ってくね。」
神薙はそんな霜月を見て、口角を上げた。
「あぁ、頼んだ。……怪我すんなよ。」
「当たり前でしょ。天音も気を付けてね。」
霜月はそう言い残し、窓の外へと飛び出した。
赤い傘の残光が、夜闇に一瞬、花のように散った。
霜月が消えた窓を一瞥した神薙。
「マジで、長ぇ首してやがんのに、速ぇ奴だな。」
神薙は息を弾ませながらも、口の端を吊り上げて笑った。
その目は、まるで獲物を前にした獣のように輝いている。
「ホホ…ホホホ…ホホホホホ……!」
渦人形の首が、狂ったように上下左右に打ち付けられ、床や壁を叩き割っていく。
木片と埃が舞い、視界が一瞬、灰色に染まった。
神薙はそれを愉快そうに眺めながら、刀を軽く構え直した。
「よく動く首だな。だが……本体はどうだ?」
そう言うと、神薙は一気に地を蹴った。
風を裂き、首の猛攻を潜り抜ける。
鞭のように唸る長い首を紙一重で避けながら、
正座するように座っている“本体”の懐へと踏み込んだ。
「終わりだ」
刀が走る。
刃が首の付け根をかすめた瞬間――
ズガンッ――!!
刃を中心に、渦人形の身体が膨張した。
次の瞬間、体内から無数の“逆刃”が突き出す。
それはまるで、内部から破裂するようにして全身を切り裂く罠だった。
破壊音が止んだ時には、渦人形の体は既に形を保っていなかった。
その残骸は、黒い泥のように床に溶けていく。
「これが……神薙の武器……」
後方で呆然と立ち尽くす俺――赤坂は、思わず呟いた。
刃が切った“対象の内部”に、同じ刃を再現して破壊する。
それが神薙の刀――《鏡刃(きょうじん)》の能力だった。
神薙は刀を軽く払って血を落とし、肩越しにこちらを振り返る。
「なぁ赤坂。怪異ってのはな、斬るまでが仕事だ。」
その笑みは、戦場に生きる人間の、静かで恐ろしい笑みだった。
そして、神薙はすぐに窓際へと歩み寄り、
「このまま時雨んとこ行くぞ。」
とだけ言い残すと、ためらいもなく窓から飛び降りた。
俺は慌てて駆け寄り、下を覗き込む。
……二階からだぞ!?普通の人間ならためらう高さだ。
俺にはそんな勇気はない。
結局、階段を駆け下りて外へと飛び出した。
外に出ると、すぐに「キィンッ」という金属音が木々の奥から響いた。
あの音――間違いない。霜月が、あの獣とやり合っている。
「うるさいってばぁー!!」
獣の咆哮に混じって、霜月の怒鳴り声が聞こえる。
相変わらず元気そうだ。
音のする方へと急いで駆けつけると、
そこには――すでに腰を下ろして戦闘を“観戦”している神薙の姿があった。
「お、おい!助けなくていいのか!?」
俺が思わず声を荒げると、神薙はニヤリと笑って答えた。
「大丈夫だろ。時雨は強い。あいつが本気出せば、あの猿ぐらい一瞬で終わる。」
そして少し間を置き、真顔で続けた。
「……それに、この角度だと時雨のパンツがよく見える。」
「お前、何言ってんだよ!!」
俺は思わず叫んだ。
「だってさ、これも観察だろ?」
神薙は悪びれもせず、ニヤリと笑う。
目の前では霜月の赤い傘が、鋭い弧を描いて獣の腕を弾いていた。
戦闘の緊張感と、神薙の間抜けな台詞の落差が、
なんとも言えない空気を作り出していた。
霜月がようやく傘を開いた。
深紅の布地が夜気に広がり、そこから――ぽたり、と雫が地面に落ちた。
血のように赤いその雫が、黒い土を染め上げていく。
その瞬間だった。
染まった地面から、無数の“手”が伸び上がった。
男の腕ほどの太さを持つそれらは、まるで生きているかのように蠢き、獣へと襲いかかる。
獣も危険を察知したのか、狂ったように後退しようとする。
しかし、間に合わなかった。
絡みつくように伸びた手がその足を掴み、次々と身体へと巻き付いていく。
「キィィィィィィィィィィィィィィィィィ――ッ!」
咆哮を上げる獣の姿が、次第に紅に染まる。
やがてその姿が完全に手の群れに覆われた時――
ボキッ。
乾いた骨の砕ける音が、森の静寂に響いた。
霜月がゆっくりと傘を閉じる。
すると、血の手も、地面を染めた赤も、霧のように消えていった。
そこに残されたのは、原型を留めない肉塊だけだった。
「ふぅ。終わり終わり。」
霜月は神薙の横に腰を下ろすと、軽く伸びをして言った。
「やっぱり血を吸わせてからだと、反応が早いな。」
神薙は苦笑しながら、自分の上着を脱ぎ、彼女の肩にかける。
「相変わらずだな。あの傘、ちゃんと手入れしてるのか?」
「してるってば。紅が落ちたら映えないしね。」
そう言って霜月は笑った。さっきまでの殺気が嘘のように、柔らかい笑みだった。
神薙はそんな彼女を横目に見ながら、俺の方へと顔を向けた。
「コイツの武器は“血を吸う傘”だ。
傘に敵の血を吸わせることで、ああやって式を顕現させる。
……まぁ、初見じゃ何が起きてるか分からねぇだろ?」
「……あぁ。正直、何がなんだか。」
俺は小さく息を吐いた。あの惨劇を目の前で見せられて、理解できる人間の方がどうかしている。
神薙は小さく笑ってから、月の方へと視線を向けた。
「ま、慣れりゃどうってことねぇよ。俺たちはそういう仕事してんだからな。」
夜風が少しだけ冷たく吹いた。
霜月の赤い傘が、閉じたまま月光を受けて、微かに光っていた。