炎の中
時也は震える喉で詠唱を始めた。
「高天原に神留ります⋯⋯」
その声は、呪詛ではない。
それは──⋯
神々へと通ずる祈り。
「皇御祖 神伊佐那岐命
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に……」
時也の周囲に
無数の護符が宙へと舞う。
炎の残光に照らされ
護符はまるで桜の花弁のように
天に舞い上がっていく。
雪音の首を抱いたまま
もう片方の手で印を結ぶ。
刹那──
「⋯⋯っ!!」
地響きが起きた。
大地が揺れ、空気が軋む。
空が震える。
「時也様っ!何をなさいます!!」
青龍の声が、切迫した響きを持つ。
だが、時也は応えなかった。
ただ、続ける。
詠唱を。
神への呼びかけを。
そして──⋯
それは応えた。
「──ガァァアアアアアッッッ!!!!!」
彼方此方から
獣のような咆哮が轟いた。
それは
ただの獣の声ではない。
時也の護符によって
強制的に引き摺り出された
神々の声。
十二の方角から——
〝十二神将〟が現れる。
その姿は、巨大な獣。
ある者は、虎。
ある者は、蛇。
ある者は、鷹。
ある者は、猪。
神々の化身たちが、今
この場に召喚された。
それは本来
他の陰陽師達が
代々祀り、制御し続けてきた式神。
それを──
「⋯⋯私以外の⋯十二神将⋯⋯っ!?」
青龍の声が、驚愕に震えた。
時也は
彼らを制御する権限など持っていない。
だが──
無理矢理に、喚び出した。
すべての陰陽術師が代々受け継ぎ
制御し続けてきた存在を。
その神威に空が揺らぎ
屋敷の廃墟が崩れ落ちる。
「⋯⋯青龍」
時也は
雪音の首を強く抱きしめながら
ゆっくりと青龍へ視線を向けた。
その目は、修羅そのもの。
「お前の主である⋯⋯
櫻塚家当主である〝俺〟が命ずる」
青龍の身体が、僅かに震える。
「全ての十二神将を⋯⋯喰らい尽くせ」
その瞬間──
青龍の中で、何かが弾けた。
時也の陰陽術が
青龍の中へと流し込まれる。
その体が、異形へと変わる。
銀白の髪が、無数の光の線となり
龍そのものの姿へと変貌していく。
その体が巨大化し
夜の闇に漆黒の鱗が閃いた。
「グアァァァァアアアッッ!!!!」
龍が、目覚めた。
神を喰らう、龍として。
目の前に現れた十二神将達は
まだ完全には目覚めきっていない。
その一瞬の隙
青龍は、我を忘れ
襲い掛かった。
最初に狙われたのは
獅子の姿を持つ神将。
青龍の牙が
その首元へと喰らいつく。
「ギャアァァアアアッ!!!」
獅子神将が悲鳴を上げる。
だが、青龍は容赦しなかった。
鋭い爪が
青龍の眼前に振り下ろされる──
だが
時也の術が青龍をさらに強化する。
爪を受け止めた青龍は
そのまま空へと跳び上がった。
「ガァァアアアアッ!!!!!」
──神が、神を喰らう。
夜の空には
咆哮と肉を裂く音が響き渡る。
その巨体から溢れた鮮血が
龍の爪に掻き出された臓腑が
紅い津波となって周囲を飲み込む。
それは
誰も制御することができない
神々の殺戮劇の始まりだった。
時也の体が⋯⋯悲鳴を上げた。
式神の強制顕現。
本来
己の権限を持たぬ神を喚び出す事など
あってはならない。
神々の宿りし獣達を
その主達の許可もなく
無理矢理に顕現させる。
その負荷は
尋常なものではなかった。
時也の口から、血が噴き出す。
掌から、腕から
皮膚の下の血管から──⋯
無数の裂傷が走り
赤い霧が舞った。
それでも、時也は止めなかった。
止める事など、許されなかった。
青龍が
十一もの獣を喰らい尽くすまで。
青龍の咆哮が響く。
その銀白の鬣が
狂ったように閃き、空を裂く。
「グァァアアアアアアアアアッッッ!!!!」
空を駆ける龍。
その眼は
もはや理性を持たぬ獣そのもの。
龍が、神を喰らう。
青龍の牙が
その獣の喉元に喰らいつく。
「ギャアアアアアッ!!」
血と神威が、同時に飛び散る。
青龍の顎が、骨ごと砕く。
そのまま、丸ごと喰らい尽くした。
そして⋯⋯
その力を吸収した瞬間
青龍の体から
黄金の光が迸る。
獣の神威が
龍の体へと取り込まれた。
「グルルルルル⋯⋯ッッ!!」
その瞳が、次の獲物を探す。
空を翔ける鷹の神将。
それが翼を広げ
急降下してきた瞬間——
「ガァアアアッ!!!!」
青龍の尾が一閃。
空気が震え、閃光が走る。
そのまま
鷹の神将の翼が断ち切られた。
「ギィィイイイィイッ!!!」
悲鳴。
墜落。
そして、その瞬間──
青龍の顎が、鷹の頭を喰い千切った。
「⋯⋯ぐ⋯ぅ⋯っ!!」
時也の喉が、また血を噴いた。
額の汗が、血に濡れる。
呼吸をする度に
肺の奥が焼けるように痛む。
それでも──
「喰らえっ!!喰らい尽くせっ!!!」
彼は、止まらない。
止める心算など、最初からない。
その血を以て
神々を穢し 喰らい尽くすまで。
雪音の居ない世界に
価値など無い⋯⋯⋯。
蛇の神将が襲い掛かる。
巨躯を誇るその獣が
大地を割る勢いで山を這い上がり
青龍に襲いかかる。
しかし
「⋯⋯オソイ⋯」
青龍は
冷笑するかのように牙を剥いた。
その体に獅子と鷹の力を宿した青龍は
既に神々の力を超えつつあった。
蛇の神将が飛び掛かると同時に
青龍の爪が
その腹を縦に捌き開く。
「ギ⋯シャアァアアアァアアッ!!!」
そのまま
青龍の牙が蛇の神将の頭を噛み砕く。
一口、二口、三口。
神の肉を喰らい尽くし
青龍の体躯は
ますます神威を高めていく。
その様子を
他の神将達が震えながら見ていた。
彼らは理解した。
ーこの龍は、もはや止まらないー
ーこの龍は、神すらも喰らい尽くすー
逃げようとした者達が
青龍の殺戮の眼に映る。
「グアァアアアアアアアッッ!!!!」
咆哮。
そして──
喰らう。
喰らう。
喰らう。
十もの神が、次々と貪られた。
血に塗れた牙を剥き
狂気に満ちた咆哮を轟かせた。
時也の膝が、ついに崩れる。
視界が赤黒く滲む。
自らの血が、地を濡らす。
しかし──
まだ終わらせない。
「⋯⋯喰らい、尽くせ!」
最後の一体
猪の神の獣に向け
最後の命が⋯⋯告げられた。
血の月が
神々の最期を見下ろしていた──
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神を喰らい尽くした龍と、復讐に堕ちた陰陽師。 二人は全てを捨て、光の渦へと消えた。 誰にも縛られぬ世界へ── これは、哀しみと誓いが導いた、終焉と始まりの物語。