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凪川 彩絵
#独占欲
弁当の件が片付いた夜は、不思議なほど気持ちが軽かった。
キッチンの片付けを終え、湯上がりの髪をタオルで押さえながら、瑠璃香は小さく息を吐く。肩の力が抜けているのが自分でも分かった。
リビングでは、晴永がソファに腰を下ろし、タブレットに目を落としている。
「今日は……ありがとうございました」
ふと口をついて出た言葉に、晴永は視線だけを上げた。
「何の礼だ」
「いろいろ、です」
曖昧に笑うと、晴永はほんの少しだけ目を細める。
「気にしなくていい。俺がお前の盾になるって言っただろ?」
「はい」
本当に、終わったのだ。
瑠璃香を縛っていた小さな棘は、もう抜けている。
あのあと日下からも正式に謝罪を受けた。知らなかったとはいえ、悪かった、と。
ついでのように『俺の体調もたまには気遣ってくれると嬉しい』などと言われたのは困ったが、そこは曖昧に笑って誤魔化しておいた。
軽口ばかり叩く日下には、お願いだから悦子の気持ちに気づいて欲しい。
悦子と日下の恋模様は気になるが、晴永の機転のお陰で、彼と同じ弁当を持って行くことに抵抗がなくなったのは本当に助かった。
瑠璃香としては、なまこ――ハムスターとともに居候させてもらっているお礼はキッチリ果たしたかったから。
だから今夜は、そういう諸々が解決できて、とても穏やかな気持ちでいられた。
「……おやすみなさい」
自室へ戻る前、晴永の方を振り返って律儀に声をかけたのは、気にしなくていいと言われてもなお、晴永に対してなんだかよく分からないけれど、湧き上がってくるホワホワした気持ちを止められなかったのだ。
「ああ、おやすみ」
短い返事。
今までも幾度となく交わしてきたやり取りのはずなのに、今夜はそれだけでやけに胸の奥が満たされていく。
最初はどうなることかと思った、鬼課長(晴永)との同居。でも、今は同じ屋根の下にいるという事実が、こんなにも安心感をくれる。
瑠璃香は自分の心の変化に戸惑いつつもベッドへ向かった。
ベッドに腰を下ろすと、部屋の明かりを落とそうとシーリングライトのリモコンへ手を伸ばす。
窓の外は静まり返っていた。なまこがカラカラと回し車を回す音だけが静かな室内に響いている。
――その時。
視界の端で、何かが動いた。
最初は錯覚だと思った。
けれど、壁の白にひとつ、シミを落としたみたいな黒い影が、ゆっくりと形を持つ。
息が止まる。
天井近く。
じわり、とソレが動いた。
「……うそ」
声が震えた。
そんなに大きくはない。
なのに何であんなにも、存在感があるんだろう。
ピョンッと跳ねるように壁を動く小さな影は、視線を逸らした瞬間に見失ってしまいそうで目を離せない。
でも……だからといって近づけないし、ましてや排除するだなんて論外だ。
(どうしよう?)
――逃げる?
――部屋を、出る……?
数秒の葛藤のあと、瑠璃香は勢いよくドアを開けた。
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ゴキ?