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誰にだって、ひとに言えない秘密のひとつやふたつはあるよ。仕方ないよ。人間は正しくは生きられない。
――有香子のかけてくれた言葉が、水萌の気持ちを楽にした。
てっきり、大学時代の、ひとの間違いが許せなかった正義感の強い有香子ならば、水萌の隠していた罪を知れば必ず、お説教をするかと思ったのに。
でも違った。
『水萌が頑張っているのはみんなが分かっている。……無理しなくていいから。大丈夫だよ。
子どもがいるだけでお母さんは守ってあげたり、お世話をしたりと大変だから。……誘ってくれるように指輪が輝いていたんでしょう? 無理もないよ……』
大学生の頃。優先席にて携帯をいじりたおす若い男がいれば有香子は平気で注意した。といっても、妊婦さんは気まずそうだった。座ったものの、有香子にはなにも言わず頭を下げるだけで。
水萌は、ある意味、有香子に感心した。優先席など、言ってしまえば無法地帯だ。スマホを弄り倒し、譲るべき相手に見向きもしない若者が多い。特に男性に。
大学生ながらにその世の不条理に気が付き、きちんと注意が出来る有香子を、水萌は立派だと思った。
ただ、先日の女子会でその話が出たときに、真由佳や朝枝は、あぶないよ、いつか刺されるよ、と逆に有香子のほうを心配していたが。流石にいまはしないよ、と有香子は苦笑いをしていた。
あんなにも――正義感の強かった有香子が。
仕方ないよね、と言ってくれた。
『水萌だって辛かったんだよね。人間、生きていれば色々あるから……。疑ってごめんなさい』
水萌は有香子の夫と不倫をしたわけではないが、違う若手社員と不倫をしたのは事実なのだ。
打ち明ける勇気はなかった。罪滅ぼしというわけではないが、水萌は、有香子に手紙を出すことにした。
調べてみると、有香子と真由佳は、電車で数駅程度離れているだけの、案外ご近所さんだった。市が違うから、年賀状でぱっと見、住所を見るだけでは分からないのかもしれない。
有香子夫婦は車は持っていないし運転も出来ないと先日の女子会で言っていたが、真由佳は確か車を持っていてドライブをするはず。となると益々真由佳が怪しく思えてくる。
真由佳が指輪を女子会の一週間後にわざと置き忘れにし、水萌に盗ませた。そのことで誰が得をする?
しかし、人間を動かすのは必ずしも理屈とは限らない。女子会で見せつけるように赤い指輪をしていたことといい、真由佳が別の赤い指輪で仕掛けた、と考えるほうが妥当だ。
そして、その指輪をしていた金髪の女性が有香子の夫である知宏《ともひろ》であり、その金髪女の正体が真由佳ならば。しっくり来る。
となると証拠集めが必要だ。相手は、有香子の宅に、変装までしてやって来る人物――自分によほど自信があるのか? 有香子の顔見知りか。有香子に激しい憎しみを抱いており、バレないという自信でもあるのか?
思い切って、水萌は、二週間の休暇を取得し――そして真由佳宅の見えるアパートに部屋を借りて、真由佳の行動を見張ることにした。そのために、水萌は、トレードマークだったボブカットのパーマヘアをばっさりカットしてショートカットにし、金髪に染めた。次に出社した際にみな、驚くに違いない……想像すると面白かった。
水萌は車を持っておらず、運転が出来ない。真由佳を観察するうちに彼女の一日のスケジュール感がおおよそ掴めてきた。
朝。ゴミ出しをする。ご近所さんに挨拶をする。郵便受けに新聞を取りに行く。いまどき新聞をとる人間がいるのかと、水萌は驚いてしまった。通勤電車のなかで、スマホで読むのが一般的だ。
八時前には息子を玄関で送り出し。ランドセルを背負う息子さんは学校に向かうのだろう。
以降は洗濯物を干す、掃除機をかけるなど、一般的な専業主婦が行う家事を行い。お昼前には車を出してスーパーへと向かう。
ここで、疑問に思った点がひとつ。……真由佳の旦那さんはどこだ? 先日の女子会では、特に、離婚したという話は聞いていない。
となると、介護をする相手は誰だ? 益々疑問が湧いてくる。
二週間、真由佳の生活を見張り続け、もう、タイムリミットが迫り、いよいよ無理かな、と思ったあるとき。……真由佳が、やけに、おめかしをして出掛ける日があった。
不倫経験のある水萌にはピンと来た。……浮気相手に逢うのだ。
水萌は慌ててアプリでタクシーを呼び、真由佳の運転する車を尾行した。
到着した先はなんと。
「……ホテル?」
しかし、いわゆるラブホテルではなく。郊外の質素な、ビジネスホテルといった印象だ。水萌は、物陰に隠れて、真由佳が会う相手が誰なのかをじっと見守る。
そこに現れたのは、……おそらく同年代の女、だった。
すかさず写真を撮る。望遠も出来るデジカメを用意しておいてよかった。スマホだとあんな遠くの写真は撮れないし不鮮明だ。
集まったのは三人の女だ。この中に、有香子の知り合いは、いるのか? この時点で水萌は、いま撮った写真を現像して、有香子に送ることを決めていた。これらの写真が、有香子を救う糸口となることを願いながら。
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