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チャイムが鳴るより前に、遥はすでに自分の席にはいなかった。
教室の隅、ロッカーの影。
四人ほどの男子に囲まれて、座り込むようにして跪いていた。
誰かが笑い、誰かが動画を撮っている。
だが──
彼の顔には、怯えも拒絶も、苦痛もなかった。
むしろ、“してほしかった”ことをやっとしてもらえたかのような、
あどけないほどの笑みが浮かんでいた。
「──あ、これ? 昨日、けっこう“ウケ”よかったから、ちょっと練習してきたんだよね」
声も態度も、異常なほど軽い。
その手は、誰に指示されたわけでもなく、勝手に動いている。
「ほら、“今日の分”はこっちでいい? それとも、もっと……わかりやすいやつの方が“絵”になる?」
誰かが爆笑する。
「マジで……やる気ありすぎだろ、コイツ」
「てか、何その顔? やっぱ好きなんじゃねえの? こういうの」
「おい、次、“アンコール”頼むわ」
遥はその声に、首だけを傾けて振り返った。
くしゃりと笑った顔のまま、肩をすくめてみせる。
「えー、でも俺、“そういうキャラ”じゃなかったはずなんだけどなあ」
一瞬だけ、演技の“薄皮”が剥がれそうになる。
だが、すぐに言葉で塗り固める。
「……ま、いっか。言われる前に動くのが、優等生ってやつだもんね」
その目は、誰も見ていない場所を見ていた。
──自分が自分を壊す場所。
──命令される前に、“命令の形”を予測し、差し出すことでしか存在できない場所。
誰もそれを読み取ろうとはしない。
動画の再生音。笑い声。囁き声。
そして──スマホのフラッシュ。
遥は、その全てを浴びながら、まるで「そこにいない人間の真似」をしていた。
「ほら、次は誰? “順番”とか決めた方がいい?」
誰も命令していないのに、遥は立ち上がり、膝を払って言った。
「サービス業はさ、回転率命なんだよ?」
そう言って、口元に笑みを貼りつけたまま、
すぐそばの男子に向かって、首を傾けた。
「……あれ? “やらない”の? じゃあ、“俺の方”から行っていい?」
瞬間、場がざわついた。
彼の言葉が、“してもらう”ではなく“してあげる”ものにすり替わったとき──
支配の構図は、すでに彼の掌に乗せられていた。
ただ、それに誰も気づかない。
いや──
日下部以外は。
彼だけが、その空気の違和感に気づいていた。
だがそのとき、彼は教室の外にいて、それを止めることはできなかった。
“演技を止めてはいない”。
だが、“完全に掌握された支配”ですらない。
遥はただ、“壊れていく過程そのもの”を演出し、
それを笑いに変えて見せている──
観客の前で、自ら進んで地獄の階段を降りていく俳優のように。