台本は即日完売となった。
黒猫一座の裏方だけでなく、不在城の使用人たちをフル稼働しても生産が追いつかない盛況ぶりだ。
製本するとコストがかさむので本当にただ紙の束なのだが、その分安くできたのがよかったのだろう。第二城壁に住む人々でもなんとか買える額だった。
もちろん、台本は市井で複製され出回ることにはなったが、紙が高価であること、文字を書ける人間が少ないこと。そして人に頼んで書いてもらうにしても、結局はお金がかかることが幸いした。
必要なのは紙とインクと人件費だけ。
連日書き続けても、片っ端から売れていくので生産が追いつかない。
これまで一座の主な利益は劇場への入場料くらいで、物販をするという考えはなかった。商人連中は劇にかこつけて勝手に関連商品を作るし、質もいいので一座が素人仕事で何か作ってもどうせ敵わないと思われていたからだ。
今回の台本もどうせどこかの商人連中が安価に量産し、いずれ価格競争に負けるだろう。この盛況は一時のものだ。一座の誰もがそう思っていたが、商人達はなかなか手をだしてこなかった。
市井の連中は自力で写本しているというのに、なぜ大手商人がやらないのか。
それもそのはず。
この台本を書いたのは令嬢である。
どこの生まれともわからぬ一座の台本ならばともかく、王侯貴族の著作物を勝手に偽造して、タダで済む訳がない。販売などもっての他だった。
正規の台本を僅かにずらしながら横並びにすると王家の証たる竜の刻印が見える。
これを偽造するということがどういうことか、わからない商人たちではない。
しかも、特に稼いでいる商人たちは兵役の免除という優遇措置を最近受けたばかりなのだ。せっかく優遇してもらっているのに恩を仇で返せば何が起こるか。
誰かが抜け駆けすれば、商会全体が不利益を被る可能性もある。商人達は相互監視によって台本の偽造販売を防止し、罰則規定まで作られた。
もちろん、駆け出しの商人が偽造品を作ることはあったが、駆け出し程度では生産量もたかが知れている。材料費も高く作成に時間もかかる上、大量に紙を仕入れれば商人仲間にすぐ通報されてしまう。苦労ばかり多く大した儲けにならないことがわかると、偽造はすぐに沈静化した。
こうなるともはや黒猫一座の独壇場である。
令嬢のオリジナル台本が売れたのを見て、過去の台本や小話を紙束に書いて売り始めた。
令嬢の台本ほど売れるわけではなかったが、紙は紙だ。そう腐る物でもない。商人たちにとって苦労して偽造するほど価値がなかったのも相まって、黒猫一座のよい収入源となった。
一座のかしこかったところは、台本の販売は劇の公演の後にしたことだろう。
台本目当てであったとしても、どのみち劇場の入場料を支払わなければならない。まぁどうせ入るならもう一回観るかという客も現われた。
一度観た劇をもう一度観るというのは、よほどの観劇好きで無い限りそうない。だからこそ、驚きがあった。
(……あれ? これ、令嬢死んでね?)
前回と演出が変わっている。
初公演の時の令嬢は地下で絶望し、死ぬ寸前のところで猫王子に助けられ、猫に変身することで難を逃れたはずだ。猫になったが令嬢は生きている。後で人間に戻ったり、猫になったりもする。
だが、今回は猫になった令嬢とは別に令嬢の死体が残っているかのような演技だった。
この解釈だと、猫になったのは令嬢の亡霊なのではないか?
そう考えるとラストで悪役達が疫病に襲われるのも納得できる。あれは非業の死を遂げた令嬢の祟りだったのだ!
(うおおお、マジかよ)
一度しか観劇しない者には気づけないことだったが、劇というものは必ずしも毎回、同じ演出が行われるとは限らない。演出家の解釈によって、細部が変更されたり。時にはラストが変わることすらある。
これは台本にはないことなので現地で観る他なく。今回を逃せば次は別の演出になるかもしれないのだ。
すべてを知りたくなったなら、もう立派な観劇好きである。
全公演を網羅するのは難しくても、台本は買って帰ることになるだろう。
幕が下り、幕が上がり。
役者は同じ役を演じ続ける。
細部が変わり、時に結末すら変わりながら、同じ役を繰り返す。
その有り様は、すべての人間が同じ人生を繰り返すこの世界にどこか似ていた。
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