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巨人ベッターに踏み潰された家々の中心で、あのごろつきたちが小男ベッターを押さえつけ、頭の前に跪かせていた。
「てめえ。ベッター。何を隠してやがった?」そう言うと頭はベッターの腹を蹴り上げる。
肉を抉る重く鈍い音とともにベッターが苦々しい嗚咽を漏らす。
小さな裏切り者は何か喋ろうとするが、痛みのために出てくる呻き声が邪魔している。
「てめえ如きに使える魔法じゃねえよなあ? それとも何か? 俺に実力を隠してやがったのか?」
頭がベッターの頬を殴りつける。
「やめてください!」見ていられなくてユカリは叫ぶ。
頭は荒々しい息を溜息で抑えてユカリの方に視線を向ける。「ああ、嬢ちゃん。あんたが言うならやめよう。俺も命が惜しい。とんでもなく強い魔術師だったんだな。よければ俺たちのことは見逃してくれないか? 頼むよ」
「その人はあなたたちに危害を加えたわけじゃないでしょう!?」とユカリは語気を強めて言う。
「それに関しちゃあ分からないぜ、嬢ちゃん。俺に分かることは、こいつが牙を隠し持ってやがったってことだ。野心という牙をな。これから危害を加えるつもりだったのかもしれない。いや、ともすれば既に受けている危害に俺がまだ気づいていないだけかもしれない。悪いが俺たちの問題だ。俺は魔法に関しちゃ素人だが、こいつの程度はよおく知っている。こいつにあんな魔法は使えねえ。そして嬢ちゃんの持ち物を持って逃げた、こいつの力は見違えるばかりだったってわけだ。嬢ちゃん、あんたが一番よく分かってるんだろう? 俺だって、いや、この国の誰だってそれくらい知ってる。魔法の力を底上げする武器になる何かについては、坊主どもに繰り返し説教されるんだ。それは悪いことなんだぜ? それを持ち逃げするってのがどういうことか、分かるだろう?」
苛立ちは伝わってくるがユカリにとってはどうでもいいことだった。目の前の痛ましい出来事を見過ごしたくないだけだ。
「だからって暴力を振るわなくても――」
「善人ぶるなよ、嬢ちゃん。歪みを正すのは力だけだぜ。それとも何か、俺を止めるか? 力づくで」
皮肉を言われるも気にせずユカリは杖を構える。「そうした方が良さそうですね。私がやめろと言ったのは他に手がないから、ではありません」
頭は目を見開き、次いで噴き出す。その表情を大きく崩しはせず、しかし可笑しそうに笑う。
「分かったよ。分かった。巨人を出し抜く魔女の相手は勘弁だ」男は両手を上げて観念したかのように振舞う。「まったく、自分が正しいと思ってる奴ってのは厄介だな」
ユカリはそれには答えずにいた。自分が正しいと自分は思えているのか、自信がなかったからだ。
「それでどうするんだ?」先程までの感情を剥きだした姿とはうってかわって、頭は路傍の石でも見るようにベッターを一瞥し、ユカリに問いかける。「こいつを、ベッターってんだが、放り出せばいいか? 俺たちが決して制裁をしないと信じて。あるいは嬢ちゃんが匿うか? 永遠に?」
ユカリは首を横に振る。「言っている意味がよく分からないです。制裁されたくなければ制裁しないであげてください。っていう話の流れだったと思うんですけど。そのために、あなたがたを信用する必要はありません」
「それもそうか。こいつのためになぜそこまでするのか分からんが」と頭は言ってベッターの方を向く。「お前は運が良いんだか悪いんだかな。おい、お前ら、ベッターを放してやれ」
「放しちゃ駄目です」とユカリが口を挟む。
手下たちは面食らった様子で、二つの指示のどちらに従えばいいのかと混乱する。
「私は私でベッターさんに話があるので」とユカリが言った。
頭はちらとユカリを見て言う。「ああ、そうか。じゃあ嬢ちゃんに引き渡せ」
「引き渡さなくて良いです」とユカリは言う。
「どうしたいんだよ、お前は」と言う頭の語気が少しばかり荒ぶるが、なお感情は冷徹な意思の支配下にあるようだ。
ユカリは杖を掻き消して言う。「皆さんにもお話があります。連れてってください」
頭は怪訝な表情を浮かべる。「どこに?」
ユカリは想像する時と同じように空に目を向けて言う。「隠れ家? 根城? 吹き溜まり? そういうの、あるんじゃないんですか?」
頭の暗い瞳がユカリを見定めようとする「そりゃあ、あるが、断ったらどうする?」
「別にどうもしません」と言ってユカリは何もない空中に目を向ける。「え? 何か言った? グリュエー」
「何も言ってないけど?」とグリュエーは驚いた様子で渦巻く。
「お腹空いた? 何人食べれば気が済むの?」
「そんなこと言ってないけど」
頭もまたグリュエーのいそうな方向を睨み据えながら思案し、苛立たし気にため息をつく。
「ついてこい」
「はい。お頭さん。お名前は?」とユカリ。
「猟犬」とドボルグ。
「私は、ユカリです」と名乗りつつユカリは頭の後ろをついていく。
ユカリを名乗った時にあからさまな反応を示したのは、びくりと震えてユカリの方を見たベッターだけだった。ドボルグも少し違和感があったが確信は持てない。
救済機構のお膝元、シグニカ統一国におけるユカリという名の知名度はユカリの思いのほか低いようだった。国民全員がその名を憎み、朝な夕なに何処にいるとも知れぬ魔法少女に呪いを差し向けている、という想像は杞憂だったらしい。
ユカリにとっては迷宮の街以来の混沌とした街だ。ドボルグたちの塒があるという海辺と呼ばれる貧民窟は、シグニカ統一国を縦横に割って四等分した内の北東地域を占めるシュジュニカ行政区の中でも、さらに北東にある海岸の町最果ての北の端にある。貧民窟から見える普通の町は、まるで海に背を向けているかのようなよそよそしさがあった。
港も、灯台もないこの町は海辺にあって古くから海との縁を結んでいない。その理由を知る者は只人の中におらず、よそよそしい海風と黄昏を好む蝙蝠と古くからこの地に根付く占星術師の一族だけが知っていた。
貧民窟には沢山の人間が住んでいるが、活気があるとは言い難い。街角に立っている胡乱な目つきの男や家の中にいて何事かを呟いている女に窓からじっと見られたりするが、無いはずはない営みというものを感じられない。とはいえ、時折走り回る子供たちを見かけられ、いわゆる商店街らしき家屋の集まりもあった。裏稼業や人に言えない生業ばかりの町でもないのだと分かる。
陋屋の間を縫うように進むユカリは居心地の悪さを感じた。ベルニージュであれば、ただ町を歩いている間にも、この町で使われている衣食住にまつわる魔法でも観察して一喜一憂しているのだろうが、ユカリにはまるで読み取れない。ただ高緯度のシグニカにしてはあまりにも貧相なあばら家が並んでいる辺り、冬を越えるための魔術は充実しているに違いない、とユカリは予想した。
貧民窟の端に長屋の密集している区画があった。しかし縦に横に増築され、接続されているために、長屋という言葉が適さない奇妙な姿に肥大している。大きな芋虫が三体ほど折り重なっているかのような建物だ。貧民窟のどこよりも薄汚く、地下でもないのに陰鬱な雰囲気が漂っているが、言いようのない存在感を感じさせる建物でもあった。
幾つもに区切られた住戸の一つ、その玄関前へとユカリたちはやって来る。一人住まいでも狭そうな住戸に見えた。
ユカリは少しがっかりしつつもドボルグに続いて扉をくぐると、内部は意外にとても広かった。どうやら長屋に見せかけているだけで、中は住戸ごとに区切られてはいないようだ。
ドボルグの手下らしい男女が頭に慇懃に挨拶をしつつ、手下に両肩を抑えられているベッターと見知らぬ少女を威嚇するように睨みつけ、ひそひそと言葉を交わしていた。
「いかにも根城って感じですね」とユカリは少し興奮しながら言うが、誰も返事をくれなかった。
そこからさらに三つの薄暗い通廊を抜けてたどりついた部屋の頑丈そうな扉の前で立ち止まる。
「月夜の渦」とドボルグが言うと、
扉の向こうから「絨毯の切れ端」と聞こえ、
今度はドボルグが「無駄飯食らい」と答えた。
すると扉が開き、中には男が一人と地下への階段があった。
どうやらこのやくざ者たちの身分差によって、地下空間に入れる者は限られているようで、何人かが地上に残る。
「見るからに隠れ家って感じですね」
沢山の蝋燭に照らされてはいるが、今にも隅の影から物の怪が飛び出してきそうな地下通路をさらに長く歩く。山の恵みを求めて掘り進められる坑道と同じで落盤を防ぐために木材で補強されている。また一部は石材で作られて、まるで古い時代の神殿のように何かに対する警告のような不思議な文様の線刻や、至聖所にでも繋がっていそうな優雅に連なる穹窿が見られた。ユカリは少しだけ見ていきたかったが、しかし枝道の多いこの地下通路で置いていかれるわけにはいかない。
ようやくドボルグが立ち止まったのは迫害から逃れた隠れ信者の礼拝堂の如き大広間だった。ここは樫材で補強されており、どこよりもしっかりした造りだ。
そしてありとあらゆる珍しい物品が壁際に天井に所狭しと陳列されている。湧き水産の薔薇と波紋を組み合わせた文様の古い綴れ織が飾られ、一体彫りの象牙の水差しが机の上に鎮座し、土塊と戯れる戦士の神殿の銀の冠瓦が所在なさげに天井に吊るされている。その他にも家具や敷物、絵画に彫像、書物、楽器、食器、装飾品、ありとあらゆる財物が山と積まれている。ただし宝石だけは一つとして無かった。
既に何人か、ドボルグの手下らしき強面の面々が待ち受けている。煙草を吸っている者はいないのに少し煙たくて、饐えた臭いがした。
財宝の他には大きな机があって、奥の席がドボルグの椅子らしく、真っ直ぐに行って座る。しかし椅子がいくつか余っているにもかかわらず他には誰も座らない。元々座っていた者たちは立ち上がる。
「まさしく吹き溜まりって感じですね」と言うユカリの言葉を受けて、
元々広間にいた女が言う。「いらっしゃい。失礼な方ね。どちら様?」
ドボルグは椅子にふんぞり返ってつまらなそうにユカリを見る。「挨拶は後にしろ。それで、嬢ちゃん。話ってのは何だ?」
「率直に言うと、私は海に捕まった友人を助けるために、ドボルグさんは同じく海に捕まっているかもしれない誰かに会うために、利害が一致しているので協力しませんか?」ユカリは入り口のそばに立ったまま言う。
「ああ、何だ。その話か」そう言って、ユカリの腰の真珠剣を見つめる。「つまりお宝探しってわけだ。最高傑作の真珠、だったかな?」
「そうですね。でも、どの真珠が最高傑作かは、この」と言ってユカリは真珠剣を抜く。吸いつくようなしっとりとした肌触りだ。「リンガ・ミルでしか判別できません。なので皆さんにはとにかく情報を集めて欲しいです。私が直接確認に行きます」
「へえ、そりゃあ頼もしいこって」とドボルグが言うと、手下たちがひそみ笑いをする。「盗賊団に下見させて、後は任せてくれ、とはな」
「盗賊だったんですね」ユカリは改めて盗賊団を眺める。「まあ、助言をいただけるなら有り難いですけど。必要ないものを盗み出す手助けをするつもりはありません。最高傑作の真珠が欲しいのは私だけで。私に海を鎮めさせることがドボルグさんの目的なわけですし、公平な分担だと思いますけど」
ドボルグは少し芝居がかって話す。「海の王様であらせられる貝が最高の真珠だって仰ってたんだろ? それを盗み出したとかいう海底の賊がシグニカにいる保証はあるのか?」
ドボルグは何か覚え違いをしているようだが、特に支障はないのでユカリは話を進める。
「保証はありませんが、心当たりはあります。その辺は後で話すとして。皆さんの方こそ何か心当たりはありませんか? この世で最も素晴らしい真珠について」
盗賊たちが口々に話す。「あるとすれば高地の金持ちか」「機構の坊主どもも欲深いぞ」「旧王家の財宝はどうだ」
「ともあれ」とドボルグが発すると盗賊たちは静まる。「嬢ちゃん。俺は表向き、宝石商をやってる。東西南北と中央の高地でも、四つの低地でもな。真珠に限ったことじゃねえが、表も裏も俺以上に宝石の情報を得られる奴はいねえ」
「盗賊の首領が宝石商!?」ユカリは驚き呆れる。「最高に最悪の組み合わせですね。頼もしいです」