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「気をつけた方がいいわ、ユカリ。あの方、お頭さえ出し抜こうって人なんですって」
隠れ家におけるユカリの見張り兼世話役を任じられた女、棘がそう言った。水平に整えられた前髪の下で心配そうに眉を寄せるが、気遣うような笑みを浮かべてもいる。
ユカリは丁寧に礼を言う。「はい。気をつけます。ドボルグさん。恐ろしい人ですもんね」
レシュは神妙な顔で頷く。
「ユカリも恐ろしいと感じた?」とレシュが尋ねる。「どういうところが?」
「え? ええ、まあ。そうですね」ユカリは扉をくぐろうと取っ手にかけた手を離す。「体が大きいですし、白熊の毛皮を着てる人なんて初めて見ました。白熊自体初めて見たんですけど。いや、見たことになるのかな」
「恐ろしさもそうだけど、少なくとも盗賊団はお頭を慕っているのよ」
ユカリは首を傾げて言う。「皆に慕われているドボルグさんを裏切るような人だから気を付けた方がいいってことですか?」
「そういうこと」と言ってレシュは頷く。
そうは言っても一人だけ随分と揶揄われているところをユカリは見た。不満があってもおかしくはない。
「お気遣いありがとうございます」とユカリは礼を言う。
「いいえ」レシュは首を横に振る。「それじゃあ、ここで待ってるわね」
目の前の木の扉を開き、レシュを置いて中に入ると、すぐ目の前にベッターがいた。
長い年月を潮に曝された訳でもないのに錆びついている鉄格子の向こう、棺のような狭い牢に小男が、例の盗賊団の裏切り者のベッターが閉じ込められている。ほとんどの大人は寝るどころか鉄格子の隙間から足を出せなければ座ることもできない狭さだ。そんな牢がずらっと八つ並んでいて、採光窓は一つきりだ。
薄暗い牢獄の看守には出払ってもらう。じろりと睨みつけられるが、盗賊団の頭ドボルグに言い含められているのか素直に従う。ユカリは狭い牢に棒立ちで自分を見上げてふんぞり返るベッターに話を聞く。
「ひどい環境ですね」とユカリは同情する。
「正直に話したお陰で死は免れましたよ」とベッターは自虐的に答える。
「へえ、正直に話したんですね。それに意外と寛大なんでしょうか、ドボルグさんって」
「寛大じゃあないですよ。忌々しい。どいつもこいつもですが」と言ってベッターはユカリを睨みつける。「ドボルグって男は何を考えているんだか分からないですね」
ユカリはドボルグの顔を思い浮かべる。確かに表情には欠けていた。
「そうですか。でも言動を聞くに、いかにも欲深な盗賊という感じです。次に盗む物でも考えているんじゃないですか?」
「と思いますよね、本人を知っていれば。ところがどっこい、巷間では義賊で通ってるんですよ」とベッターは唇の端を皮肉に曲げて言う。
「義賊?」ユカリは眉を寄せる。「盗んだものを貧民窟で配りでもしてるんですか?」
「まあ、似たような感じです。直接盗んだものを配るほど愚かではありませんが、何かしら相談すれば応えてくれるとかくれないとか。どちらにしても意味が分かりません」
「でもじゃあやっぱり慕われてるんですね、ドボルグさんって」とユカリはレシュの言葉を思い出しながら言った。
「だけど恐れられてもいるんです。特に奴の泥棒稼業への執着を知る者ほどね」
「じゃあやっぱり、欲深な盗賊であってるじゃないですか」
ベッターは面倒そうにため息をつく。「もういいですよ。世間話は。いつまで続ける気ですか」
唐突に会話を断ち切られて面食らう。答えてくれるから喋ってしまったのだ。ユカリは少し憮然とした面持ちで咳払いをする。
「私が聞きたいこと分かります?」とユカリは尋ねる。
辺りを見回して椅子を探すが、壁際に置いてあった粗末な椅子は何かの汚れがこびりついているので立っていることにした。
「いや、分かりませんね」とベッターは言う。「もったいぶらないで好きなことを聞いてください」
ベッターが魔術師だとしてこの牢獄はどれくらい魔法に対処されているのだろう。錆びた鉄格子には意味ありげな模様など刻まれておらず、周りの土がえもいわれぬ香りを放っていたりもしない。採光窓から差し込む明かりに黄昏時の不思議が混じっていたりもしない。ユカリにはまるで分からないが、ベッターが大人しくしている辺り、きちんとした魔術が施されているのだろう。
「じゃあ、なぜ私が看守を出払わせたのかは分かります?」とユカリは尋ねる。
「いったい何が言いたいんですか? はっきり言いたいことを言ってくれませんかね。お嬢さん。別に話し相手には困ってないんですよ」
ユカリは特に意味もなく頷く。
「私はあなたがどこから来たか分かります」とユカリは言う。
いよいよベッターは不気味な怪物でも見るようにユカリを見上げる。ベッターから見れば逆光でユカリの姿は暗く見えることだろう。
「いったい何なんですか? もしかして何か仕込んでます?」
魔術を仕掛けられていると思ったらしい。もちろんユカリの発している言葉に力などない。
一方ベッターの言葉に蛇の毒が仕込まれていたとしてもユカリには分からない。分かってから魔法少女に変身して解呪は間に合うのだろうか。
「いいえ。聞きたいことは一つだけです。なぜあの本が魔導書だと分かったのですか?」
ユカリはベッターをじっと見て答えを待つ。
「なぜ? 知ってちゃおかしいですかね? まあ、俺も覚えちゃいませんが、ああいう本だって誰かに聞いたんでしょう」
ユカリは首を縦にも横にも振らず、じっとベッターを見て話を続ける。
「実は魔導書があの形をとることを知っているのはごく一部なんです。私と幾人かの友人、そして首席――」
「待ってください」とベッターが慌てて口を挟む。「俺にどうして欲しいんですか?」
ベッターはユカリの背後に目を向け、耳をそばだてる。看守は全て出払ったとはいえ、扉の向こうで聞き耳を立てていないとは限らない。レシュもいる。
「私は不思議に思っただけです。ベッターさん。あなたは盗賊団に何の用があるんだろうって」ユカリは淡々と問いかける。「それはもちろん、この組織は規模が大きいそうですし、上の彼らは様々な方法で対処することでしょう。だけど私の知る限り、それは下の彼らの仕事じゃない。彼らの仕事は……」
脅しのつもりだったがベッターは口を閉じたままだった。そして最も憎い相手がユカリであるかのように見上げ、睨みつける。
「どのみち俺は殺されます。元々馬鹿にされていた上に裏切り者なんです。どいつもこいつも俺を見下しやがって」
「私が彼らに手を借りている間は殺させませんし、私はベッターさんを見下してないじゃないですか」
脅しておいて言うのもなんだが、見下してはいないはずだ、とユカリは自分の心に確認しておく。
ベッターはひひひと笑う。「そうですね。さすがその名を呼ぶも恐れ多き魔法少女様。聖人君主でいらっしゃる」
ユカリはむっとして、ベッターを見下ろしたまま首を傾げる。「まあ、確かに第一印象は最悪ですよ。私だって誰一人見下したことはないなんて言うつもりはありません。でもそもそも見下すほどベッターさんの欠点とか弱点? 知らないですよ、まだ。仲間の人たちと違って」
ベッターは怪訝そうにユカリを見上げる。「欠点を知らないと見下せない?」
「おかしいですか? そりゃそうでしょうとしか言えませんよね。別に見下したいわけじゃないですけどね!」とユカリは一息で言い切る。
ベッターは湿った土が露わな床を見下ろす。「そうですか。ふうん。そうですかね」
そしてベッターは狭い牢の中で床に座り、黙り込んでしまう。
これで終わりという訳にも行かないユカリは周囲を見渡し、天井の狭い採光窓に気づく。そしてもう一度ベッターを見下ろす。「分かりました。じゃあ代わりにここから――」
「我が信仰に誓って、我が修めた術に誓って、その師に誓って表明します」ベッターは再びユカリの言葉を遮り、偶像にするように仰ぎ見る。「ここの連中は、俺が知る限り、あんたの望む物は持ってませんよ。知ってるでしょう? もしも所有しているなら、こんな規模では済まないはずです。上の連中だって放ってはおかない。でしょう?」
ユカリは鉄格子の錆を見つめて考える。言われてみればそうだ。つまり最年少首席焚書官サイスは何かの情報をつかんでベッターを盗賊団に送り込んだものの空振り、そこへたまたま自分が流れ着いてきたということらしい。お互い運が悪かったという訳だ。
「ただし」そう言ってベッターが鉄格子に口を寄せる。ユカリも座り込み、耳を寄せる。「ドボルグが総本山に何かを仕掛けようとしているらしいです。もちろんそんなのは悪名ながら歴史に名を残す手練れの盗賊たちでも避ける、そんじょそこらの宝石じゃあ割に合わない危険な仕事です。狙いは自ずと絞られます」
「なぜそれを私に?」
これで終わりとベッターが目をそらして鉄格子から離れると、答えを待たずにユカリも腰を上げる。
「分かりました。ありがとうございます」ユカリは一歩下がり、微笑みにならない程度に柔和な表情になる。「何かして欲しいことあります?」
ベッターはユカリを見上げて訝しむ。「何です? どういうことですか?」
「ただの話を聞いてくれたお礼ですよ。いざとなれば――」
「いいです。いいです。放っておいてください」
「そうですか。まあ何か考えておきます」そう言ってユカリは背中を向け、扉に手をかけるが少し振り向き、微笑みを浮かべる。「ベッターさん。第二印象は悪くないですよ」
ベッターはひひひと笑い、「ユカリさん。ただ一つだけ」そう言って指で口を塞ぐ身振りをした。