下書き用の紙まで出してもらって悩んでいる間に、ノワールはいかにも貴婦人の手蹟といった優美で嫋やかな文字で書かれたカードを見せてくれた。
百合月《ゆりのつき》五日 三時より
御方最愛主催のアフタヌーンティーを開催いたします。
お越しを心よりお待ち申し上げます。
尚、同伴者は不可とさせていただきます。
御方の御意志によりますので、あらかじめ御了承くださいませ。
「百合月?」
「ああ、奥方は知らなかったのぅ。一年を十二ヶ月と分けるのはあちらと変わりないのじゃが、一月と表現するのではなく、百合月、薔薇月《ばらのつき》といったように、花の名前で表すのじゃ、奥方の感覚では優美じゃろ?」
「そうですね。素敵です」
「カードのみの招待だと、もっと文章を盛り込むけど、手紙も添えるならこれで十分なのよね」
「ふむ。アリッサの衣装を考えるのも楽しみじゃ」
「ふふふ。その辺りはお任せします。文章は……こんな感じでどうかしら?」
二種類の下書きを見せる。
ふむふむ、こっくり、あらいい感じ! うむなかなかに典雅じゃの、と四人のお墨付きをもらったので、丁寧に清書した。
『誰にでもわかる、基本のお手紙マナーブック』がなければ、とてもではないが合格がもらえる文章にはならなかっただろう。
こうしたマナーブック以外の本を読む時間を取ってもいいのかなぁと悩みつつも私は、封蝋までをきちんとこなせたらしい。
ノワールが奴隷たちに指示をして、それぞれ招待状を届けてくれた。
さすがに王城へは、彩絲が行ってくれた。
返信が楽しみだ。
……しかし、こういったお誘いの場合、果たして返信はあるのだろうか?
こちら側が親しくしたいと思っていても、相手側はそうでないかもしれない。
向こうの感覚では、無視されても仕方ない薄い関係性だ。
招待状を送っておいて今更だが、失礼に当たる気もしてくる。
私が眉根を寄せて首を傾げていると、質問するまでもなくランディーニが返答をくれた。
「心配せずとも、御方の最愛からの誘いを疎む者はおらぬし、当然無礼にも当たらぬよ。何事にも例外はあるものじゃが、今回奥方が選んだ者らは皆良質じゃ。奥方からの好意を汲んだ喜びに満ちた返信が、きちんとあるじゃろうな」
「そうでございますね。それぞれ立場が違う方々ですが、主様と友好的な関係を保ちたいとお考えでしょう。遅くとも明日には返信があると思われます」
夜遅い手紙は失礼ではないかと思ったが、そうでもないらしい。
相手によっては、それだけ急ぎだったのだろうと、喜ばれる場合もあるようだ。
ちなみに、一番早い返信は沙華から雪華に念話でもたらされた。
喜んで伺います。
手土産を楽しみにしていてくださいね!
と、有り難くも申し訳ない返信だった。
手土産不要も追記しておくべきだったかもしれない。
こうなったらお土産をたっぷり持たせようと鼻息を荒くしたところで、ノワールが就寝を促してくる。
大人しく従えば、皆も自分のベッドへと足を運んだようだった。
六日後にローザリンデを迎えに行くまでは、拠点を整える時間に費やせばいいだろう。
さて、このあとはどうしようかと考えて、せっかくならリゼットに残りの家具選びについてアドバイスをもらえたらいいかも? と思いつく。
「……リゼットさん。この屋敷を王都の拠点として、現在屋敷を整えている最中なのです。まだ足りない物があるので、よろしかったらオススメの店などを教えていただけたらと思うのですが……」
「どういったお品物でございましょうか?」
「ドレッサー、ティーテーブルに椅子。テラス用のインテリアとしてガーデンテーブルと椅子。またテラス用に寄せ植え。照明……あたりかしら?」
リゼットは目を伏せて僅かな時間で記憶を探ったようだ。
「ドレッサーとティーテーブルにその椅子は『森の木陰』、テラス用のインテリアは『錆防止に尽きる!』、照明は『光の漣《さざなみ》』がよろしゅうございましょう」
「森の木陰は、先日行った所だよ。落ち着くまであと数日待つといいかも!」
「……森の木陰には何か問題がございましたのでしょうか?」
「頭も格好もお花畑の困った奴が、随分しでかしてたみたいだよ?」
「……きちんと管理できていなかったと?」
「頑張って管理してたみたいだよ? ただお花畑が予想外の力を発揮しちゃっただけ。それだけアリッサが可憐に愛らしくて……あの愚か馬鹿の理性を崩壊させちゃった、てきな」
雪華の説明を聞き、目が据わってしまったリゼットが大きく首を振る。
「問題のある店を紹介してしまって申し訳ございませんでした……」
「私が行って、店主も覚悟を決めたようでしたよ。問題は近く完全に解消して、元通りの健全な営業に戻るでしょう」
「そうで、ございますか。目が行き届かずに申し訳ありません」
「それだけ、彼が問題だったのでしょう? 貴女一人で何もかも背負うのは無理なのだから、謝罪は不要ですよ」
重ねて謝罪をするリゼットに苦笑を交えながら返す。
王城で王や妃に振り回されながらも、王都の情報を掌握するなど不可能だ。
今回の場合は、後でもらった情報に誤りがあっただけ。
責めてしまうのはお門違いだろう。
リゼットが私たちに、慎重かつ誠実な対応をしているというのは重々承知している。
「店の場所的に二件を回るとアリッサが疲れてしまうからのぅ。錆防止に尽きる! と近くにある花屋……」
「近くの花屋『憧れの花々』は、現在某貴族との悪質な癒着の噂が上がっておりますので、少し離れた『清楚な一輪』で選ばれるとよろしゅうございましょう」
ノワールが驚いているところをみると、知らない情報だったようだ。
不始末には即座にそれ以上のフォローをする。
それがリゼット・バローの真骨頂なのかもしれない。
「ありがとう。では今回は錆防止に尽きる! と清楚な一輪に行くことにしましょう。リゼットさん以外の同行者は……」
「今回は妾とフェリシアにネマじゃな。バロー殿がおるなら、モリオンを使うといいじゃろう」
「ふふふ。モリオンが喜びそうね」
王都では避けたいバイコーンだが、リゼットが一緒ならむしろ推奨になるだろう。
リゼットは一流の冒険者としても、王の乳母としても名が知れている。
滅多な相手には同行しない。
モリオンのいいお披露目になる。
「では、バロー殿、今少し待たれよ。妾は主の支度を調えてくるからのぅ」
「え? この格好じゃ駄目なのかしら?」
「御方ならば、人前に出るには丈が短すぎると仰せじゃろうて。パニエを穿かせねばなるまいなぁ……」
「外出するならケープ、帽子、バッグも必須だよね」
ベースは変えなくてもいいようなので一安心。
化粧や髪型の変更がないなら、そこまでリゼットを待たせなくてすむだろう。
私はリゼットに待たせる詫びをして、席を外した。
自室に戻れば、あらかじめ想定していたかのように、必要なアイテムが姿見の傍に置かれたテーブルの上に並べられる。
ほうほうと感心しているうちに、あっという間に外出バージョンへと変えられた。
服とは真逆の配色になっているケープには、左上に黒薔薇が、右下に銀糸で蝶が縫われている。
透け防止にしっかり重ねられたパニエは真紅で、ふくらはぎまでをしっかりカバー。
靴はパニエに少しかぶるぐらいの、黒い透かし薔薇レースのブーツ。
夏に流行ったレーシーなブーツだ。
夫の意向で幾度か履いたが、真夏に履くには、やはり暑いわね! という思い出がある。 バッグはチャイナ要素が薄い、クラシカルな正方形のハンドバッグ。
肩からもかけられるし、手でも持てる作り。
黒地に銀の飾りの中、大きい真紅の薔薇が縫いつけられていた。
帽子はベール付きのヘッドドレス。
黒地に小ぶりな真紅の薔薇が縫いつけられている。
ベールは視界を遮らないが、外からは全く見えないように彩絲が魔法をかけてくれているらしい。
「お待たせいたしました」
「そのまま王城のパーティーにおいでいただけたら、どなたよりも注目を浴びられることでございましょう。大変よくお似合いです」
彩絲と雪華のセンスは、王城パーティーにも通用するらしい。
ゴスロリは正式なドレスではない気がするけれど、大丈夫なのかしら。
どちらにしろ王城パーティーなんて極力遠慮しておきたいので、ありがとうございますと無難に返すだけにしておいた。
御機嫌なモリオンが引く馬車に揺られて、錆防止に尽きる! へ向かった。
メイド的な話をネマが、戦闘的な話をフェリシアが、様子を窺いつつも、リゼットに振っている。
私が鷹揚に構えているので、リゼットも二人の質問には的確に答えてくれた。
彩絲は何やら思うことがあるのか、小型蜘蛛化して肩の上に乗っている。
重みなどはないが、安堵感はあった。
フェリシアが貴族よりも典雅な所作で、私を馬車から降ろす。
またしてもどこからともなく集まってきて、遠巻きに私たちを見守る観衆から、ほぅと溜め息が漏れていた。
男装の麗人に手を引かれる、チャイナゴスロリ令嬢……令嬢。
私が見る側にいたら、やはり満足げな吐息を零したと思う。
「にほんも、つのがあるおうましゃん! かっこいいっ!」
叫び声を上げながら飛び出してきたのは、ぱっと見裕福そうな格好をした男の子。
貴族には見えないが、平民にも見えない。
となると商人の子供辺りだろうか。
貴族も平民も、ましてや商人の子供が、見るからに高貴な馬車を引く馬に近寄ってはこないと思うのだが。
素早くリゼットが私を背中に隠し、ネマと彩絲が肩の上で戦闘態勢を取る。
私の手を取っていたフェリシアが男の子を軽々と抱え上げた。
「子の責任は親が負うとよかろう! 我が主の持ち物に許可なく触れようとした子の親はどちらにおられる?」
観衆がしんと静まりかける中、男の子が泣き出す声が聞こえる。
「親はおらぬのか!」
フェリシアが再び声を上げた。
よく響く声だ。
「高貴な御方の従者殿! 何か事件が起こりましたでしょうか!」
その場に割って入ったのは、王都を巡回警備している騎士団らしき人物。
声のかけ方からして、騎士団の中でも特に貴族絡みのトラブルに慣れているようだ。
「この子供が許可なく主の持ち物に触れようとした。親に責任を負うように求めたが、誰も名乗り出ぬのだ」
フェリシアがモリオン=触れようとした主の持ち物に目線を投げてから、騎士団に対して隙なく返答する。
モリオンも心得たとばかりに頷いて、フェリシアが首根っこを捕まえていた子供から騎士へと、威圧の向きを変えた。
「主はこれから買い物を楽しまれる。無礼を働いた子供の、親の処分は私が最後まで見届けよう」
フェリシアの言葉に軽く頷いて見せた私は、リゼットとネマを伴って、錆防止に尽きる! の店へと足を踏み入れた。
「御方の奥方様っ!」
何やら引き留める声は無視をする。
フェリシアが声がけしたタイミングで、現れなかった時点でアウトなのだ。
「子供の責任を取るとか言いながら、私に何やら商談を持ちかける系……かしら?」
「そのようでございますね。あんな愚かな真似をする者が、王都で成功しているとは思えません。恐らく地方から出てきて一旗揚げようとして失敗した者が、最後の賭けに出た……そういった状況下と推察いたします」
「子供が染まっていないのなら、保護してほしいわ」
「あの場にいた騎士の顔は存じております。フェリシア殿が納得いく処罰が与えられることでしょう」
私が、ではなく、フェリシアが納得するというところがポイントだ。
商人の未来は完全に閉ざされた。
子供の未来はそうでないといいのだが。
テラス用のインテリアが充実している、錆防止に尽きる! には、所謂高貴な客は少ないらしい。
奥から出てきた男性店主はリゼットの姿を見て硬直し、リゼットの説明で奥から呼ばれた店主の妻は、私の姿を見て瞳を潤ませながら硬直した。
ネマがさっと私の肩から飛び降りて胸を張る。
買い物をしたいだけなんだけどね……と、溜め息を吐いた私を、我に返ったらしい夫婦が店の中央に置かれている、繊細な彫りが美しいテーブルと椅子へと先導してくれた。
緊張に震えている夫人が出してくれた紅茶を口に含む。
少しくらい離れていても花屋との親しさがわかる、新鮮なフラワーティーだった。
テーブルの上に置かれたハニーポットの中身も、不純物が見受けられない高級な蜂蜜のようだ。
「主様は御方様の御指示により、夫人の接客を望まれる。よろしいな?」
初めて聞いたネマの口調に内心驚きながらも、顔を見合わせた夫婦の様子を窺う。
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