それからは、二代目が主導権を発揮した。
台所の板間で膳をかこんでいるのだが、二代目はお咲に箸の使い方を教えながら食事を食べさせ、月子へ、岩崎の為に作った弁当を詰め直せば良いと指示を出し、白飯と味噌汁をかきこんだ。
「月子ちゃんらしく弁当を詰めたら、それで京さんも納得するって。誰が作ったかなんてぇ事まで考えやしないさ」
そんじゃと、勢い良く立ち上がり、布団を干してくると言ってくれる。
「京さん、意外と寝汗かくんだよなぁー」
自分の布団と岩崎の布団を縁側に干すのだと、二代目はドタドタ廊下を駆けて行く。
「あー!月子ちゃん!ゆっくり食べなよ!」
先方から忙しげな声が流れて来るが、さすがに月子も家事を行わなくてはと気が焦った。
そう思っているうちに二代目が戻って来て、
「これから洗濯始めるわ。京さんの猿股《パンツ》月子ちゃんに洗わせる訳にはいかねぇし、嫁いで来てまで苦労するこたぁないと思う。京さんは、男爵家の人間なんだから、月子ちゃんは女中に任せておきゃーいいんだよ!って、その女中が、お咲なんだけどねぇー」
ありゃ、なんてことだい。と、二代目は肩をすくめるが、手には岩崎の下着であろうものとワイシャツを抱えていた。
ハイハイごめんよっ、と、これまた調子良く月子へ言うと、勝手口の戸を開き外へ出て行ってしまった。
「この家、井戸があるんだよっ」
月子へ説明するかのように二代目の声が聞こえる。
おそらく裏庭にある井戸で洗濯を行うのだろうが、そこまで二代目に動いてもらうのはどうだろう。
月子は、二代目の余りの手際のよさに驚き、箸が止まったままだった。
お咲は、二代目に教わった箸の持ち方を練習していた。箸ぐらいつかえなきゃー女中として失格だ、と、説教じみた事を二代目に言われたのが堪えたようだ。
こうして、それからも二代目の手際のよさに押され、結局、月子は座ったままだった。
「あ、あの」
「お?!なんだい?月子ちゃん」
返事をする二代目は、お咲の髪を櫛でとかしている。
いつのまにか、見たことない着物にお咲は着替えていた。
そう言えば、二代目は、ちょっと出てくると言っていたが……。
「あー、柄が大人っぽかったかー。いやね、着た切り雀もなんだしというか、音楽学校へ行かなきゃいけないと。で、ひとっ走り古着屋で見繕ったんだけどねぇ」
確か、神田のどこかに古着の市があったはずだと月子はおぼろげながら思いつつ、二代目の動きに感心するばかりだった。
「あー、月子ちゃんも支度しな。京さんに弁当持って行かなきゃいけねぇだろ?弁当だけ先に渡して、俺達は亀屋で、飯食いながら暇潰してりゃいいさ」
昼からの授業があるはずだ。それが終わり、演奏会の練習に入るのだろう頃合いを見て、お咲を送り届けると二代目は次の動きを言ってくれた。
「あ、は、はい」
月子はとっさに返事をし、自分がいつものみすぼらしい着物を着ていることに気がついた。
やはり、芳子のお下がりに着替えた方が良いだろう。岩崎の勤務先へ出向くのだ。お咲すら着替えているということは、相応の格好が好ましい場所なのだろう。
岩崎に恥をかかせてはと、月子は、少し待ってくたさいと言うと自分の部屋へ行った。
風呂敷包みを開け、芳子のお下がりを選びつつも、月子は緊張していた。
二代目の段取りと動きに感心している場合ではなかった。
音楽学校という、月子には想像もつかない縁のない場所へ足を運ばなければならないのだ。
それも、岩崎の勤務先。果たして、自分は適切な行動ができるのだろうか。
弁当を渡せば良いだけとはいえ、尋常小学校しか出ていない月子にすれば、高等教育の場所、それも、音楽というものを教える所など敷居が高すぎた。
選んだ着物を胸元に当て、小さな鏡台の鏡を覗いてみる。
そこに写る自身の顔には、何を着ても似合わないのではないかと書かれていた。
いや、おどおどしてはいけないのだ。自分の行動は岩崎の面子にも関わってくる。
そう思い、落ち着こうと、月子は大きく息をする。
ふと、鏡台に置かれてある、小さな小箱に目が行った。吉田が用意してくれたのだろう。白粉と紅が入っているものなのだろうが……。
自分には関係のない物と月子は瞬間思ったが、音楽学校には確か……、あの、女学生がいる……。
岩崎につきまとう彼女──、玲子の姿は常に凛として、流行りの髪型に、リボンをつけている。着物も一目で上等なものだと分かる。
なぜか、玲子の姿を思い出した月子は、少しばかり顔を強ばらせながら、紅が入った小箱を手に取っていた。
お洒落ぐらいしても……。少しぐらい紅を引いても良いのではないだろうか……。
どうして、そんなことを急に思ったのか、月子自身もわからなかったが、もう一度大きく息をし、鏡を覗きこんだ。
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