それは3ヵ月ほど前のこと。
いつものようにスマホの着信通知を見て、うんざりした。
そこには『優斗の母』と表示されている。
「何時だと思ってんの? ほんと非常識にもほどがあるわ」
壁時計に目をやると朝の6時前。
放置したいのだが、あとでまた嫌みだらけのメッセージが立て続けに届くので、とりあえず出る。
「……はい」
『紗那さん、おはよう。今日は晴れていい天気よ』
「……そうですね」
そんなことで電話してこないでほしいんだけど!
こっちは出社前の修羅場なのよ!
「えっと、ご用件を」
『ああ、そうそう。同居の件だけど考えてくれた? 早くしないと挙式に間に合わないわよ。披露宴の準備に引っ越しも重なったら大変でしょう? なるべく早く行動しておかなきゃだめよ』
この話、朝6時からすること!?
「そのことですが、優斗くんと相談しますので少し待ってもらえますか?」
『まだ話し合っていないの? 大事なことを後回しにしちゃだめよ』
だったら息子に直接言ってくださいよ!
「すみません、お義母さん。お弁当を作らなきゃいけないので、この件はまたのちほど」
『あらそう。優斗にあまり揚げ物を食べさせないでちょうだいよ。うちでは健康管理をしっかりやってきたのだから。でも、紗那さんみたいな有能な女性なら安心して任せられるわ』
「ははっ……ありがとうございます。それでは失礼します」
『ああ、あのちょっと……』
ぷつんっと電話を強制的に終了させた。
朝から疲れた――。
しばらく床に座り込み、イライラする頭を落ち着かせてキッチンへ向かう。
毎朝、優斗と自分の弁当を作る。
それから簡単な朝食を作り、優斗を起こして、そのあと急いでメイクをして出かける。
これが私の日課だ。
昔から仕事で忙しい母の代わりに家事を担ってきた私には、優斗の世話もあまり苦ではなかった。
ただ、彼の母だけは少々苦手だった。
「はよー……」
弁当が出来上がった頃に、優斗がのそのそと起きてくる。
いつものことだ。
寝癖をつけていまだ夢と現実の狭間をうろうろしている彼に向かって、私ははっきり言いつけた。
「あなたのお母さんから電話があったんだけど」
「まじか……母さん早起きだからなー。仕方ないね」
「あのね、そうじゃなくて、早朝から電話してこないでほしいんだけど」
「ま、いいじゃん。お? 今朝はクロワッサンかあ。これ駅前のパン屋のだろ?」
「はぐらかさないで」
だいたい、共働きなのに家事すべて私って不公平。
けれど、優斗は家事とか料理が絶望的に苦手だ。
以前に私が体調不良のとき、ちょっと料理をお願いしたら渋々やってくれたけど、彼は包丁で指を切ってしまった。
そのときの嫌みがまたすごかった。
『ほら、指切ったじゃん。怪我するくらいなら最初からしないほうがいいんだって。こういうのは上手な人がやるべきだ。俺はその分仕事するからさ』
などとぐちぐち言うからもう諦めた。
こっちはあなたより遅くまで仕事してますけど!?
「あのさあ、紗那はもっと肩の力を抜いて生きたほうがいいよ。でないと疲れるよ」
「誰のせいなのよ! だいたい同居なんて私、聞いてなかったよ」
優斗はクロワッサンの欠片を口の端につけたまま、きょとんとした顔で言い放つ。
「え? 何言ってんの? 俺が長男だって知ってて付き合ったんだろ?」
「そうだけど、それとこれとは別……」
「母さんさ、嫁ができるの楽しみにしてたんだよ。紗那と一緒に暮らしたいってずっと前から言ってたんだよ。それくらい紗那のこと好きなんだって」
笑顔でスラスラと述べる優斗に、返す言葉も見つからない。
なぜなら、彼はまったく悪意なくそんなことを言うからだ。
朝からイライラしたくない。
だから、話し合いは夜にすればいいのだが、今日ばかりは早朝からの非常識電話のせいで私のイライラはピークに達していた。
「はっきり言うけど、あなたのお母さんが私と暮らしたい理由は、おばあさんの介護を私にさせるためだよね?」
優斗は驚いた表情で、グラスの水をごくんと飲んだ。
そして、私に困惑の表情を向ける。
「落ち着けよ。まだ何も知らないうちからそうやって神経質になるのはよくないよ。ばあちゃんはたしかに要介護になったけどさ、母さんがしっかり介護してるんだから。紗那は今までどおり仕事ができるんだよ?」
「でも、同居したら無視できないよ」
「考えすぎだって。ちょっと母さんの手伝いをすればいいんだからさ。そんなに気にするなよ」
あ、これまったく考えてないやつだ。
あっけらかんとそう言う優斗に、私はついに声を荒らげた。
「ごめん。同居はしたくない」
優斗は不機嫌な顔になった。
「最近の紗那、ちょっとおかしいよ。あ、わかった。マリッジブルーだろ? 女って結婚前にそうなるらしいから」
えっ、何言ってんの? こいつ。
「俺は何も紗那に専業主婦になれって言ってるわけじゃない。紗那がやりたいことを自由にさせてやるんだよ。それに、同居すれば母さんが家事も料理もしてくれるって言ってるだろ? こんないい話ないじゃん」
ダメだこいつ、何もわかっていない。
「あのね、義理の親と一緒に暮らして自由にできると思う? ちなみに聞くけど、あなたは私の両親と一緒に暮らして自由にしようなんて思えるの?」
優斗はスプーンで目玉焼きをすくって口に頬張る。いつもの癖だ。
「俺は別に気にしないよ。紗那の両親がいても。まあ、同居は勘弁だなあ。俺は男だし」
「男とか女とか関係ないでしょ?」
「あるよ。俺は長男だし、家を継がなきゃいけないんだから」
「いつの時代よ!!」
昭和かよ! 今は令和だよ!
ついぶち切れて叫んでしまった。
優斗はそそくさとテーブルから離れてトイレに駆け込む。
「紗那、イライラすんなよー。もしかして生理?」
「バカ!!」
ああ……私、本当にこの人と結婚してもいいのかな?
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