うぅん?
頭が痛い。
熱がある感じもないのに少しボーっとして、動くたびに頭痛がする。
おかしいなぁまるで二日酔いのようだけれど、お酒が残っている感じは全くない。
というか記憶そのものが曖昧で・・・
昨日の夜はバイト先で送別会を兼ねた飲み会があり、かなり盛り上がっていた。
いつもよりたくさんお酒を飲んだ覚えがある。
それでも朝はいつも通り起きて、ちゃんとお母様の手伝いをして・・・
そうか、遥とけんかをしたんだ。
バイト仲間があげたSNSが遥に見つかって、叱られた。
本当は素直に「ごめんなさい」って言うべきところをつい言い返してしまって、喧嘩別れみたいにお屋敷を飛び出した。
それから・・・
駅へと向かう途中で声をかけられて、道を聞かれて、
ああぁ。
ハンカチを口に当てられ私は意識を失った。
私、誘拐されたんだ。
たまたまなのか、平石のお屋敷からつけられていたのかわからないけれど、薬をかがされて連れ去られたのは間違いない。
もしかしたら平石のおじさまに身代金を要求するつもりかもしれない。
ゆっくりと考えを巡らせながら、少しづつ頭がさえてきた。
ここは、どこだろう。
今は何時だろう。
疑問は尽きないけれど、不思議なことに恐怖心はない。
怖いとも思わないし、身の危険を感じることもない。
きっとそれは、
「目が覚めたかね?」
え?
男性の声がして、私は体を起こした。
***
「体は大丈夫かね?」
「え、ええ」
きっとこの頭痛の原因を作ったのはこの人。
それなのに、なんでこんなに穏やかな顔をするんだろうか。
「今、医者を呼ぶからな」
私が寝かされていたベットの横に置かれていた椅子から立ち上がり、部屋を出ようとする男性。
悪い人には見えないけれど、ここに連れてこられた経緯を考えると素直に従う気にはなれない。
「あの、平気ですから」
医者なんて必要ないと言ってみた。
しかし、男性は部屋の外へと続く障子を少し開け誰かに何か指示を出している。
話している相手は見えないけれど、障子越しに見える人影から相手が膝をついて男性の指示を受けているのはわかる。
この人、何者だろう。
見た目の年齢は70歳くらい。
白髪で穏やかそうなおじいさまって印象の男性。
平石のおじいさまよりも少し若く見える。
着ている服も身のこなしも上品で、お金持ちというより高貴な感じ。
間違っても人を誘拐するような人には見えない。
「一応医者に診てもらった方がいいだろう」
その原因を作った人に言われるのも変な気分だと思いながら、私はうなずいてしまった。
***
「今、何時でしょうか?」
障子から差し込む日差しはオレンジで、今が夕暮れなのはわかる。
連れ去られたのが朝だったから半日たったのかと思ったけれど、このけだるさと頭の重たさはもっと時間がたっているように思えた。
「一日半、ここで眠っていたんだ」
一日半。
ってことは、誘拐されたのが昨日の朝で、二日間も音信不通の状態ってこと。
それは、かなり、大騒ぎになっている気がする。
「家に、連絡をするかい?」
「え、ええ」
きっとみんな心配しているだろうから、すぐにでも連絡をとりたい。
でも、
「その前に、私をここへ連れてきた理由を聞かせてください」
それを聞かないことには動けない。
誘拐されてここに連れてこられたのは間違いのない事実。
犯人はきっと目の前の男性。
年齢的に言って一人での犯行ではないだろうけれど、主犯はこの人。
それでも、どう見ても、悪い人には見えない。
きっと、訳があるに違いない。
「萌夏は優しい子に育ったんだな」
しみじみと言われ、私は驚いて目を見開いた。
***
何だろう、昔から私のことを知っているような口ぶり。
それに、この慈愛に満ちた眼差し。かもし出すオーラも、温かな暖色。
とても誘拐犯のものとは思えない。
「あなたは誰ですか?」
できることなら触れずにおこうと思っていたのに、我慢できずに口にした。
この人は私を知っている。
私の知らないところで、私はこの日に出会っている。
そんな気がしてならない。
「わしは|桜ノ宮大善《さくらのみやたいぜん》という」
「桜ノ宮?」
知り合いにはいない名前。
でも、思い浮かぶ家が一つある。
私との接点なんてないはずだけれど、桜ノ宮家といえば・・・
「あの・・・桜ノ宮家・・・ですか?」
「ああ」
桜の宮家と言えば旧華族で、皇室とも縁戚の家系。
平石とは別の意味で日本中知らない人はいない家。
桜ノ宮大善は確か、先代の当主。
よく見たらテレビで顔を見た記憶がある。
でも、何で桜ノ宮家に私は連れてこられたんだろう。
「事情を聞かせてください」
とにかく訳を聞かないことには、身動きができない。
***
事情を説明してほしいと言った私は、眠っていた和室の隅に置かれた応接セットへと案内された。
大全さんは慌てる様子も見せずに使用人に指示を出し、しばらくして私の目の前にはお茶と小さな器が並んだ。
「少しおなかに入れた方がいい」
置かれた器の中に入っているのは、きっとオートミール。
昨日から何も食べていない私のために用意してくれたものだろう。
「まずは話を聞かせてください」
大全さんを疑うつもりはない。
まさか食事に毒を仕込まれているとも思わない。
でも、今は何よりも事情を聴きたかった。
「わかった話すから」
少しでも食べなさいと、器を向けられた。
仕方ない。
一口、二口。
それは食べたことのない味。
和食中心に育ったも私には未知の味覚と言ってもいい。
まずくはないけれど、よその家の食事だった。
「口に合わないかい?」
「いえ」
どうやら顔に出てしまったらしい。
「|皐月《さつき》は好きだったんだがな」
え?
皐月?
それは、その・・・
「なぜ、母の名を?」
***
私を生むとすぐに亡くなってしまった母。
生まれた時から写真でしか会うことのなかった母の名は、皐月。
でも、どうして・・・
「娘の名を忘れるほど、もうろくしてはいない」
「娘・・・」
かすれるような声でつぶやいて、私は大善さんを見た。
その瞬間、キーンと耳の奥で耳鳴りがして周囲の音が一瞬にして消えた。
放心状態になってしまった私に大全さんが駆け寄り話しかけてくれるけれど、何も耳に入ってはこない。
私の母は父との結婚を反対され家を出たと聞いている。
それ以来音信不通のまま私を身ごもり、出産と同時に亡くなってしまった。
私の出産にも母の葬儀にも実家からの連絡は一切なく、今でも父さんと同じお墓に母は眠っている。
私が物心ついた時には母はもういなかったし、母の実家のことなんて聞いたこともなかった。
父と祖父母に囲まれながら、私は母のいない世界でずっと生きてきた。
まさか今になっておじいさまが現れるなんて、想像もしていなかった。
***
どのくらい時間がたっただろう。
私は再びベットに寝かされていた。
「萌夏さん、聞こえますか?」
白衣を着た男性が私の脈をとっている。
「大丈夫、です」
まだ胸がドキドキするけれど、少しは落ち着いた。
「どうする話は後日にしようか?」
と聞かれたけれど、気になって眠れそうにないからとお願いして私はベットに起き上り、大善さんと向き合うように座った。
「改めまして。わしは桜ノ宮大善、君のじいさんだ」
「おじいさま?」
「そうだ」
優しそうな眼差しを向ける大善さん、いやおじいさま。
そういえば、昔見た母の写真に面影が似ている。
母はどんな人だったんだろう。
どんな声をしていたんだろう。
今までも思ったこともなかったのに、おじいさまを見ていると急に気になりだした。
「母はどんな人だったのでしょうか?」
本当なら、今ここで聞かないといけないことは他にある気がする。
なぜこんな状況になったのかを聞くことが先だとも思う。
それでも、母のことを知りたかった。
***
母の旧姓は桜ノ宮皐月。
元華族桜の宮家の長女。
男の兄弟がいなかった母は桜の宮家を継ぐ人間として育てられたらしい。
「皐月はおとなしくて、親に反抗なんてしたことのない子だった。大学を卒業して社会勉強のために働きに出たいと言うまではな」
「母は働いていたんですか?」
残された数枚の写真でしか母を知らない私のは、働いていた母なんて想像できない。
そもそも動く母を見たことがないんだから。
「3年だけって約束で家を出て、マンションに一人暮らしをして、保育士の仕事をしていた」
「そこで、父と?」
「ああ。小さな町で何度か顔を合わせるうちに恋に落ちたってことらしい」
フーン。
父さんにもそんな時代があったのね。
「最後に皐月に会ったのはもう25年も前だが、今のお前にそっくりだった」
しみじみと目を潤ませるおじいさま。
その優しい表情はどこまでも穏やかで、間違っても娘の結婚を反対して勘当してしまうような人には見えない。
***
「なぜ、父と母の結婚を認めてくださらなかったんですか?」
結婚に反対された母は家を捨て父のもとに逃げたんだと聞かされていた。
今更恨み言を言うつもりはないけれど、おじいさまが結婚を反対しなければ母の人生も変わっていたのかもしれない。
「皐月は長女で、我が家には女の子しかいなくて、当時のわしは皐月に家を継がせることしか考えられなかった」
こんなお家に生まれると、後継者問題はつきものなのかもしれない。
今のおじいさまからは想像もできないけれど、当時は色々な思いがあったんだろう。
でも、それでも、
私は母さんに会いたかった。
無意識のうちに、私はおじいさまから目をそらしていた。
今更誰かを恨んではいけないとわかっていても、悔しい気持ちは消えることがない。
何かが違っていたら、今でも母は生きていられたのかもしれない。そんなが私を支配した。
すると、
「お父さん」
廊下からおじいさまを呼ぶ声。
見ると男性が1人部屋の入り口に立っていた。
「よかったら私からお話しいたしましょう」
男性がおじいさまに声をかける。
「そうだな、頼もうか」
おじいさまは男性の言葉に従いゆっくりと腰を上げた。
私もおじいさまを止めることはしなかった。
目の前で起きたことのすべてが突然すぎて、考えを整理する時間が欲しかった。
***
「萌夏さんは、優しい子だね」
おじいさまが消えた後も部屋の入り口に立っていた男性がぽつりとつぶやく。
優しい子。
自分ではそんなことないと思っている。
わがままだって言うし、意地悪だってする。
「黙って連れてこられて、それでもおとなしく話を聞いている時点で、君は優しいいい子だよ」
そうだろうか?
私はただ、おじいさまの話が聞きたかっただけ。
一刻も早く遥に連絡を入れなくちゃと思っていることに変わりはない。
「はい、どうぞ」
差し出されたのは私のカバン。
「えっと・・・」
お礼も言うのも変な気がして、私は男性を見た。
「家に連絡をしたいだろ?」
「そう、ですね」
2日も連絡が取れなければ、きっと心配していることだろう。
大騒ぎになっているのかもしれない。
でも、
「よかったら、少し話をしてもいいかなあ」
「え?」
目の前の男性もまたおじいさま同様悪い人には見えない。
黒いオーラを感じることはないし、誠実そうな眼差しはどこかで見覚えがあるような・・・
「君がここに連れてこられた理由を聞きたくないかい?」
「聞きたいです。教えてください」
信用できるかどうかはわからないけれど、まずは理由とやらを聞いてみたい。
***
「私は|桜ノ宮創士《さくらのみやそうし》、現在の桜の宮家当主だ」
現当主、ってことはお母さんの兄弟?
いや、お母さんには男の兄弟がいなかったって聞いたから、
「皐月さんの妹葉月の夫で、君にとってはおじにあたる」
おじさん。
そんな人がいるなんて今まで聞いたこともなかった。
そもそも自分が桜の宮家の縁者だったなんて・・・
「大丈夫かい?温かいお茶でも持ってこさせようか?」
口を開けたままの私を、心配そうに見るおじさま。
「ええ、お願いします」
できれば少し気持ちを落ち着けたい。
そうしなければ心が追いつかない。
それからすぐにおじさまがお茶を頼んでくれて、私はベットから出てソファーに座った。