テラーノベル
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38
その日も、いつも通りだった。
朝は遅く起きて、
昼はスーパーで適当に食料を集めて、
夕方には川沿いを散歩した。
変わったことなんて何もない。
少なくとも、悠真はそう思っていた。
夜。
マンションの部屋には、小さく音楽が流れていた。
昔の誰かが残したCD。
少し掠れたギターの音が、静かな部屋に溶けている。
悠真はソファに寝転がりながらゲーム機をいじっていた。
「蒼ー」
返事なし。
「アイス食う?」
静か。
悠真はゲームから顔を上げた。
「……蒼?」
キッチンにもいない。
ベランダにもいない。
風呂場にも。
屋上かと思って見に行ったけれど、そこにもいなかった。
部屋へ戻る。
靴が一足ない。
出かけたんだ。
そう思った。
でも。
テーブルの上には、蒼のスマホが置いたままだった。
悠真はそこで初めて、小さな違和感を覚える。
あいつがスマホを置いていくことなんて、ほとんどない。
「……どこ行ったんだよ」
窓の外を見る。
夜の街。
静かで、暗い。
返事をする人は誰もいない。
最初は、すぐ戻ると思っていた。
コンビニかもしれない。
散歩かもしれない。
でも、一時間経っても帰ってこなかった。
悠真はだんだん落ち着かなくなってくる。
意味もなく部屋を歩き回る。
冷蔵庫を開けて、閉める。
時計を見る。
また窓を見る。
「……何してんだよ」
ぽつりと呟く。
世界には二人しかいない。
だから。
“いなくなる”ということが、普通の世界よりずっと重かった。
悠真はパーカーを掴んで部屋を飛び出した。
エレベーターは使わない。
階段を駆け下りる。
足音だけがマンションに響く。
外へ出ると、春の夜風が少し冷たかった。
「蒼!」
呼んでみる。
当然、返事はない。
道路を走る。
コンビニ。
公園。
ゲームセンター。
二人がよく行く場所を順番に回る。
どこにもいない。
街灯だけが白く道路を照らしていた。
悠真は途中で立ち止まる。
息が白く滲む。
心臓が変にうるさい。
こんな感覚、久しぶりだった。
世界から人が消えた最初の日以来かもしれない。
“独りになるかもしれない”
その考えが、頭の奥でじわじわ広がっていく。
「……やめろ」
誰に言うでもなく呟く。
蒼はいる。
絶対どこかにいる。
そう思わないと、静かな街に飲み込まれそうだった。
ふと、悠真は思い出す。
川。
蒼は考え事をすると、時々あそこへ行く。
悠真は自転車を飛ばした。
誰もいない夜道を全力で走る。
信号なんて無視だった。
冷たい風が頬を切る。
遠くで、川の音が聞こえてきた。
橋の下。
薄暗い河川敷。
そこに、人影があった。
「……蒼!」
蒼は驚いたように振り返る。
街灯の光が、その顔をぼんやり照らした。
「悠真?」
「何してんだよ!」
思ったより強い声が出た。
蒼は少し目を丸くする。
「……ごめん」
悠真は息を切らしながら近づく。
「探したんだけど」
「え」
「どこにもいねえし、スマホ置いてくし……」
蒼は少し気まずそうに視線を逸らした。
川の水が静かに流れている。
「……ちょっと一人になりたくて」
蒼が小さく言う。
悠真は黙った。
怒ろうと思っていたのに。
その声を聞いたら、できなくなった。
「何かあった?」
しばらくして聞く。
蒼はすぐには答えなかった。
橋の上を風が吹き抜ける。
遠くの信号が赤に変わった。
「最近さ」
蒼がぽつりと言う。
「たまに怖くなる」
「……何が」
「この世界に慣れてきたこと」
悠真は静かに聞いていた。
「昔のこと思い出そうとしても、どんどん曖昧になってくんだよ」
蒼は川を見る。
黒い水面が揺れていた。
「家族の顔とか、学校とか」
「……うん」
「このまま忘れていったら、俺たち本当に“二人だけの世界”になっちゃう気がして」
声は静かだった。
でもその静けさが、余計に寂しかった。
悠真は隣に座る。
冷えたコンクリート。
夜風が吹く。
「俺も怖いよ」
蒼が少し驚いた顔をした。
悠真は笑う。
「普通に」
「……そっか」
「でもさ」
悠真は空を見上げる。
星が少し見えた。
「忘れてもいいんじゃね」
「え?」
「全部覚えてるのって無理だし」
蒼は黙って聞いている。
「その代わり、今のこと覚えてれば」
悠真は少し照れくさそうに笑った。
「たぶん大丈夫」
川の音だけが流れる。
蒼はしばらく何も言わなかった。
やがて、小さく笑う。
「……何その適当な励まし」
「でもちょっと元気出ただろ」
「まあ、少し」
「ほら」
二人は並んで座ったまま、しばらく夜を眺めていた。
静かな世界。
終わったみたいな街。
それでも。
探しに来てくれる誰かがいるだけで、少しだけ怖くなくなる夜があった。
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