この物語はフィクションです。
実在の人物、団体、事件等には一切関係ありません
僕は覚えていることを正直に伝えた。
「一回目でそこまで覚えているなら上出来だろう。ちなみに壁に書かれている文字はどんな風に見える?」
「どんな風って……普通に漢字とひらがなとで書かれてますけど」
「ならば、少なくとも君は日本語が読めるってことだ。日本語を解する、おそらくは十八歳以上の男性。それが君だね」
「では……部屋のつくり自体には 馴染(なじ)みがあって、何となく日本の家と感じるから、ここは日本ってこと……ですか?」
「君がそう感じるのならそうだろう。少なくとも俺は外国人がこの状況に 陥(おちい)ったという話は聞いたことがない」
僕は慎重に相手の言葉を心の中で 反芻(はんすう)した。
声の一人称は「俺」。
そしてこの状況については少なくとも複数回の 遭遇(そうぐう)があると考えられる。
今までの発言からすると、声の相手はこちらの行動を見ることができるようだ。
そのうえ、どういうわけか、声をこちらに届けることができる。
これがいたずらであれ、何かの犯罪であれ、今の状況を 打開(だかい)するためにはこの声を無視することはできそうにない。
「誰にも会ってはいけないから、あなたを探してはいけないってことですか?」
一瞬、声が息をのんだ気配がした。
「……そうか、そう書いてあったのか。いや、俺は君に与えられた条件を知らない。条件は人それぞれで、人ごとに変わる。しかし、その条件を破ると訪れる結果は平等だ」
「結果?」
「ああ。ベルが鳴って、その音で集まってきた奴らに喰われるんだ」
「く、われる……?」
「文字通り、喰われる。ばりばりとね」
「最初の人は、暗闇で何かを言ったとたんにベルが鳴った。おそらくは「声を出してはいけない」という条件だったんだろう。次の人は、灯りをつけたために気づかれた。条件は破ってなかったようだけど、灯りはだめらしい。その次の人は灯りをともすこともなく、条件の確認もできたが、「後戻りしてはならない」という条件を守れなかった」
「条件を破るとベルが鳴る。その、喰うってやつは灯りと音に反応する」
「その通り。君の条件に関しては危なかったな。とりあえず会話はセーフと言うことか。直接会わなければ条件を破ったことにはならないということだろう。一か 八(ばち)か、声をかけてよかったよ」
「一か八かって」
「正直君の条件が「声を出していけない」だった場合には、どうやって対処すべきか俺にも特にアイディアはなかったよ。話しかけたらきっと返答してしまうだろ?」
確かに、声をかけられたら返答してしまうかもしれない。
それ以上に悲鳴を上げる可能性だってあっただろう。
「条件を知らなかったと言う割には、最初から「自分を探すな」と言ってましたよね。偶然ですか?」
「君に不要な言動をさせないようにしたつもりだったんだ。振り返ったり、きょろきょろしたりして、それが条件に 触(ふ)れるかもしれない」
「じゃぁ……」
僕はさらに疑問を投げかけようと口を開きかけた。
だが、そのとき、外でベルが鳴った。
黒電話のベルのような音が窓越しでもはっきりと聞こえてくる。
音に合わせて何かのうめき声も聞こえるような気がした。
僕はおそるおそるカーテンの隙間から外を 窺(うかが)った。
住宅街に 人気(ひとけ)はなく、どこの家も 既(すで)に電気を消してしまったのか、街灯以外の灯りはほとんどない。
対照的に、遠くに並ぶビルの窓にはライトが 煌々(こうこう)と輝いており、帯状に連なる中空の 煌(きら)めきは高速道路を走る車のテールランプであることが分かる。
この一帯がやけに暗いのだ。
背中を 這(は)い上がってくるような異常さに、僕は無意識に身体を震わせた。
やがてどこからともなく、手足の長い黒い影が 沸(わ)き出てきて、首をかしげた 格好(かっこう)で一定の方向へと歩いて行くのが見えた。
「っ……な、に? あれ?」
「夜の町を 徘徊(はいかい)するモノだ。前の……人は、黒い影と言っていたな」
細い手足に、不釣り合いなほどに大きな頭部。
首は細く、頭の重みに耐えられないかのように首は九十度に近い角度で曲がっている。
歩くたびに頭部がぶらぶらと揺れた。
ベルはまだ鳴りやまない。
僕はその化け物たちから目を離すことができずにいた。
「夜明けまでに、条件を満たした状態で自分の家に帰り着けば、このおかしな状況から抜け出せる」
そんな僕を無視して、声はやけにしっかりとした口調でそういった。
「確信があるような口ぶりですね」
僕は外を見ながらそう返した。
「……クリアした人が、……いるから」
「クリアって、ゲームのように言うんですね。では、クリアできなかったら?ベルを鳴らさなかったとしても、夜明けまでに家にたどり着けなかったらゲームオーバーで、二度と朝にならないとか」
「いや、自宅にたどり着けずに夜が明けると、君は自分のベッドで目を覚ます」
その言葉に、僕は思わず鼻を鳴らしてしまった。
黒い影が視界から消えてしまうと、それ以上路上を見続けている意味も無い気がして、僕はそっとカーテンを元に戻した。
窓枠に背を付けるような形でずるずると座り込み、投げ出した両足の先をぼんやりと見つめた。
(目が覚める。それで十分じゃないか。おかしな悪夢から覚めるのなら、それで十分)
「だが、また眠ればこの世界に放り込まれる」
声は 無情(むじょう)にも僕の希望を打ち消した。
「な、に、それ。訳がわからない。……それに、あなただって全部を教えてくれているわけじゃないんでしょう。なんか含みのある言い方してますよね?」
「俺も、まだクリアしてないんだよ」
思わず「バカにしているのか」と言いかけたが、相手の声の冷静さに何とか言葉をのむ。
「俺の条件は「誰かをクリアさせること」だから、君をクリアさせようとしたっておかしくはないだろ」
声は自分も同じ 境遇(きょうぐう)なのだと主張したいのだろうか。
「……もう一度聞きます。あなたは、誰ですか」
「……この世界で九回目の夜を過ごす者だ。名前が必要なら、そうだな「 栗橋(くりはし)」と呼んでくれ」
僕は何度か深呼吸をしてから、もう一度カーテンをめくった。
いつの間にかベルは鳴りやみ、外には静かな住宅街の風景が広がっている。
そっとカーテンを閉めると、薄闇に向かって口を開く。
まだ、夜が明ける気配はない。
この男の言うことがどこまで真実に近いのかはわからないが、少なくともおかしな影が徘徊していて、「ベル」と呼ばれる何かが鳴った。
その点については男の話は辻褄が合っていると言えるだろう。
あの影はどう考えても友好的な存在とは思えない。だとすれば、男の話すルールとやらに、今は従っておくべきだろう。
わからないことが多すぎるが、その最たるものはこの男の声だ。どうやって僕に話しかけているのか見当がつかない。そんな風に人は人へ音を届けることなんてできるのだろうか。
僕の背がすっと冷えた。荒唐無稽、この現状はその一言に尽きるが、ことの真偽を確かめるためにルールとやらを破る勇気は、正直ない。
僕は手元にあったゲームソフトのパッケージを拾い上げ、そのゲームの原作者らしき名前を読み上げた。
「では、僕は「 佐伯(さえき)」ってことで」」
栗橋の言葉を信じるのであれば、僕はこれから奴らに見つからずに自分のアパートに戻らなくてはならないことになる。
信じたくはないが、普段は聞こえるはずの車の音も聞こえず、異様なほどに真っ暗な住宅街の光景、そして、先ほどのおかしな影を見た後であっては栗橋の言い分を嘘だと言い切ることも難しい。
とりあえずは家を目指してみよう。
もし、失敗しそうであれば、朝を待ってみる。
栗橋の言葉が正しければ、目を覚ますことが出来るはずだ。
栗橋が、真実、僕の味方であるというならば。
僕は自分自身にそう言い聞かせてからゆっくりと立ち上がった。
コメント
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怖 い ... け ど 、 続 き が 気 に な る 。 小 説 の 本 と か 出 し て 欲 し い レ ベ ル で 好 き 。
面白かった!