放課後の教室は、静寂に包まれている。誰もいない。その空間に、遥がいることすら忘れそうになる。
教室の一番奥、窓際でただ黙って座っているだけの遥が、急に目を引くわけではない。
けれど、今日は違った。
今日は、何かが違った。
日下部は、教室のドアの前で足を止めた。
遥の背中を見つめる。
足音が消えるまで、しばらくその場に立っていた。
その時、突然、背後から聞こえた蓮司の笑い声。
「あれ? またお前、そいつと一緒にいるのか?」
日下部は振り返る。
蓮司は、少し離れた場所から遥に向かって軽く手を振った。
「なぁ、どうしてもあいつを放っとけないのか?」
その言葉が、日下部の胸に突き刺さった。
遥はただ、窓の外をぼんやり見ているだけだった。
何も言わず、何も変わらず、ただそこに座り続けている。
あの無表情の顔が、日下部を少しずつ追い詰めていく。
それを見ていると、どんどん、胸が締め付けられるようだった。
蓮司が近づいてくる。
わざと、軽やかな足音を立てながら。
「お前、やっぱり何も言わないのか?」
蓮司が遥に言った。
遥は無言で、ただ視線を向けることもなかった。
蓮司は、遥の髪を軽く引っ張り、無理やり顔を見せさせた。
「おい、聞いてんのか?」
その瞬間、日下部は、遥が笑ったのを見た。
無理に作られた笑みではない。
あれは……そう、遥が無意識に作ってしまった笑みだった。
無力さが、溢れ出ているような笑い。
蓮司の目が、その笑みに反応する。
「そうやって笑ってるの、たまに気持ち悪くなるよな。
でも、まぁ……それが可愛いんだけどさ」
その言葉が、日下部の心に深く食い込んだ。
無言でその場に立ち尽くしていると、遥の視線がようやくこちらを向いた。
その目に、何も映っていないのがわかる。
遥の中には、もう何も残っていないんじゃないかと感じた。
「遥……」
思わず口から出た名前が、教室の静寂の中で響く。
でも、遥はすぐに顔を背け、また外を見始めた。
その目線の先に、何が見えているのかはわからなかった。
でも、それが、遥の全ての答えのような気がした。
日下部は、またその場を離れた。
蓮司が遥に何をしているのか、何も言う気はなかった。
ただ、黙ってその瞬間を受け入れるしかない。
そうして、そのまま教室を出ていく。