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FORSAKENの支配者、スペクター。
絶望を喰らい、苦しみを味わうことだけを存在理由とする神。
人間の命など、彼にとっては食卓へ並ぶ料理と何も変わらない。
そんな神殿にも。
一日のうち、ほんの少しだけ。
妙に平和な時間が存在した。
玉座の間。
巨大なモニターには、生存者たちの悲鳴が映し出されている。
スペクターは赤いシルクハットを少し深くかぶり直し、満足そうに微笑んでいた。
「いい悲鳴だ。」
「今日も実に美味しそうだね。」
その時だった。
コツ。
コツ。
静かな靴音が玉座へ近付いてくる。
黒ハチワレの猫頭。
胸元の黄色いリボン。
赤い服。
茶色いマント。
片目に光るモノクル。
Mowlだった。
玉座の数歩手前で足を止める。
マントの裾を整え。
モノクルを指先で軽く押し上げる。
そして。
王宮の外交官ですら見惚れるような、美しい最敬礼を捧げた。
「スペクター様。」
低く落ち着いた声が響く。
「大変恐縮ではございますが。」
「只今。」
「わたくしの胃袋が、切実に甘味を求めております。」
スペクターは目をぱちりと瞬かせた。
「へぇ。」
「Mowlが自分からお願い事をするなんて珍しいね。」
「それで。」
「何が欲しいのかな。」
Mowlは胸に手を当てる。
「誠に恐れ多いお願いではございますが。」
「CIAOちゅ〜る。」
「まぐろ味を一本。」
「賜れましたなら。」
「この上ない幸せにございます。」
沈黙。
スペクターは固まった。
「……。」
「……。」
「……。」
数秒後。
顔を両手で覆う。
「~~~~~~~~っ!!」
声にならない叫び。
肩が震える。
「な。」
「なんだい今のおねだり。」
「丁寧すぎる。」
「可愛すぎる。」
「反則だよMowl!!」
Mowlは首をかしげる。
「私めは。」
「正式なお願いを申し上げただけでございますが。」
「ダメだ。」
スペクターは立ち上がった。
「可愛すぎる。」
「もう一本じゃ足りない。」
空間へ手を突っ込む。
ずるっ。
次元が裂けた。
そこから現れたのは。
巨大な段ボール箱。
いや。
箱というより。
倉庫だった。
表には大きく書かれている。
『ちゅ〜る特大メガファミリー箱 1000本入り』
「全部あげる!!」
どんっ。
「まぐろ味!」
どんっ。
「ささみ味!」
どんっ。
「ホタテ味!」
どんっ。
「全部君のだよ!!」
「えっ。」
Mowlが固まる。
「スペクター様。」
「一本で十分と申し上げたのですが……。」
「いいの!」
スペクターは満面の笑みだった。
「僕の可愛いMowlが欲しいって言ったんだから。」
「世界中のちゅ〜る全部君のものだよ。」
「はい。」
「お膝へどうぞ。」
ひょい。
抱き上げられる。
「あっ。」
抵抗する間もなく。
膝の上へ。
すぽん。
「それじゃ。」
「まぐろ味から。」
ぴりっ。
袋を開ける。
「はい。」
「Mowl。」
「あーん。」
Mowlは恐縮しきっていた。
「か、神自ら……。」
「そのような栄誉……。」
「私めには……。」
「はい。」
「遠慮しない。」
ちゅ〜るが鼻先へ近付く。
Mowlはおそるおそる舌を伸ばした。
ぺろ。
その瞬間だった。
「……。」
瞳孔が。
ぶわっ。
真ん丸に開く。
耳がぴたりと後ろへ倒れる。
全身の毛が逆立つ。
「ぐ……。」
「ぐにゃぁぁぁぁぁ……。」
重厚なダンディボイスのまま。
完全に猫になった。
「ぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろっ!!」
ものすごい勢いで舐め始める。
両手が勝手にスペクターの腕を掴む。
「止まりませぬ……!」
「私めの舌が……!」
「理性を……!」
「言うことを聞きませぬぅぅぅ!!」
スペクターは爆笑していた。
「あはははは!」
「Mowl!」
「目が完全に猫だ!」
「可愛い!」
「可愛すぎる!!」
頭をわしゃわしゃ撫でる。
ぐしゃぐしゃ。
ぐりぐり。
「ふにゃぁ……。」
首から。
みしっ。
嫌な音がした。
それでもMowlは舐め続ける。
「ぺろぺろぺろぺろ……。」
「至福……。」
「まことに……。」
「至福でございます……。」
数分後。
一本を綺麗に食べ終えた。
「……。」
Mowlは固まる。
数秒後。
「コホン。」
咳払い。
慌てて姿勢を正す。
ハンカチを取り出し、口元を丁寧に拭く。
リボンを整える。
モノクルを直す。
何事もなかったかのように膝から降りる。
そして。
完璧な最敬礼。
「先ほどは。」
「大変見苦しい姿をお見せいたしました。」
「誠に申し訳ございません。」
「しかしながら。」
「極めて幸福な時間でございました。」
スペクターはにこにこしている。
Mowlは静かに続けた。
「つきましては。」
「大変恐縮ではございますが。」
「次は。」
「ささみ味を一本……。」
「もちろん!!」
返事は一秒もかからなかった。
「何本でもいいよ!!」
「ありがとうございます。」
「では。」
「遠慮なく。」
数秒後。
「ぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろっ!!」
「また理性が飛んだ!」
「きゃわいい!」
「Mowlきゃわいい!!」
その日。
神殿では十回以上。
「紳士のMowl」と「ちゅ〜るに敗北した猫のMowl」が交互に現れ続けた。
そして使用人たちは廊下で静かに頷き合う。
「……今日も平和だね。」
「世界が滅びない理由が分かった気がする。」
神殿は今日も。
絶望ではなく、ちゅ〜ると笑い声に包まれていた。