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✧≡≡ FILE_013: ドヌーヴ ≡≡✧
──日本。
とあるカフェ。
ほのかに抹茶の香りが漂うカフェの奥のテーブルに、二人の姿があった。
そこは、入口からも見えず、話し声すら届かないほど目立たない席。
場違いなほど緑がかったクリームの山。滑らかなソース。期間限定の抹茶パフェが置かれていた。
「……あの、“先生”?」
スプーンを手にした青年──『夜神総一郎』が、ため息まじりに言った。
「どうして僕が、平日の昼間からカフェ巡りに付き合わされてるんでしょうか」
当時、彼はまだ20代。
法学部の学生で、世の理と正義の境界線を、ノートの上で線引きしては消す日々を送っていた。
先生はというと、講義のときも今も、変わらずカフェインと糖分で出来たような人間だった。
講義中に「司法とは“正義”という名のカラメルで焦げを隠したプリンである」と言い出したその日から、僕はこの人を信用していない。
──にも関わらず。
僕は、この人を尊敬していた。
いや、尊敬という言葉では足りない。
講義中、理屈を煙に巻き、学生を眠らせ、結論を曖昧にしたままチャイムで逃げるように去る──そんな教師なのに。
彼の言葉だけは、何故か心に残る。
だからこそ──先生から連絡がきた時、生まれて初めて学校をサボって平日の昼間から抹茶パフェを食べに来ている。
要するに、カフェ巡りに付き合っているのは、信念でも好奇心でもなく、単なる彼への“情”だった。
しかし、感謝はしている。何よりも、彼は『恩師』だ。
この恩師が法を教えてくれたからこそ、僕は“警察”という輝かしい道に踏み切ることができたのだから。
「……日本に帰ったら、これが食べたかったんだよ」
恩師はスプーンを掲げ、まるで国旗でも掲げるような誇らしげな顔で、抹茶パフェを見つめていた。
その言葉を咀嚼するより早く、突っ込んだ。
「帰国子女の女子大学生か何かですか」
「帰国男子さ」
あっさりと訂正が入る。しかも真顔で。
この会話のテンポの悪さが、恩師と僕の“いつものペース”である。
「それで……」
パフェをひと口。
──抹茶の甘味が喉の奥を通り抜けたその瞬間、僕はふと顔を上げた。
「急に連絡してきて、何か話したいことでもあったんじゃないですか?先生が“ただ甘いものを食べたかっただけ”なんて、僕は信じませんよ」
「ふふ……いい目をしてる」
紅茶の縁を舐めるように口をつけながら、彼は笑った。
「相手の“裏側”を読もうとする癖。──そういうの、嫌いじゃない」
「……褒め言葉ですか?」
「もちろん。人の言葉を正面から受け取るようじゃ、社会では生き残れない。“裏”を読むことは、“表”を守ることになる」
紅茶の湯気が、言葉の続きのようにゆらめいた。
「──君、探偵に向いてるんじゃないか?」
唐突すぎて、スプーンが止まる。
「また急ですね」
僕は肩をすくめ、笑いながら応じた。
「僕、警察志望ではありますけど、探偵志望じゃないですよ」
「まあ、君は正直者だからね」
「……先生にだけです」
そう返すと、彼は紅茶を揺らしながら、ゆるく笑った。
「光栄だね」
その言葉の後、先生との間に短い沈黙が落ちた。
抹茶の香りが、やけに濃く感じられる。
「ところで、学校の方はどうだ?」
紅茶の縁に指をかけたまま、先生は問いかけた。
質問というより、独り言。
紅茶の表面をすべらせる指先の方が、よっぽど雄弁だ。
「そういう先生こそ、どうなんです?」
つい、言い返してしまった。
聞かれたくないわけではなかったが、大学生活なんて語るほどのことはない。毎日講義を受けて、ノートを取り、テストの前だけ徹夜する。それが“正しい青春”だというなら、僕の人生は教科書みたいに退屈だ。
でもこの人は違う。
イギリスで何かを“発明している”人だ。
だから、僕の日常の報告なんかより、彼の話が聞きたかった。
──……知りたかった。
抹茶パフェを食べるこの人が、どんな風に世界に羽ばたくのか。
つまり僕は、質問を返したんじゃなくて、ただ、“退屈な自分”より“面白い先生”を話題にしたかっただけ。
「そういえば──」
先生は目線をカップの底に落としたまま、すぐには答えなかった。
それどころか、上手い具合に話をすり替えてきた。
「“夜神くん”好きな人でもできた?」
──パフェのスプーンが、空中で止まる。
まるで、脳が一瞬バグったみたいに。
「……な、なんですか急に」
「質問に理由が必要かい?」
「ひ、必要ですよ!」
先生は楽しげに笑った。
笑うたびに、カップの中で紅茶が波打つ。その音が妙にからかわれている気がして悔しい。
「いや、なんとなく。髪型が変わってたからね」
「……!」
その“なんとなく”が、まるで伏線みたいに気障で、わざとらしい。
「そういうところ、わかりやすいよね、君は──」
スプーンが皿を叩く。
小さな音が、会話の隙間を埋めた。
さすがだ、と思った。隠しているつもりでも、この人の前では無意味なのだ。
「ま、まあ……」
曖昧に笑って、つい前髪をいじる。
無意識の防御反応。
それすらも、先生には見透かされてそうだ。
「誰?」
その問いに、一瞬視線を泳がせる。
「幼なじみというか……なんというか……」
言いながら、視線が勝手に泳いだ。
窓の外を見ても、逃げ場はない。
「歯切れが悪いね」
「そういうんじゃないですって」
顔が熱くなる。
言葉の温度と羞恥の温度が同時に上昇して、もう湯気が出そうだ。
赤くなった頬を隠すように俯いた僕を見て、先生はくすりと笑った。
──あの笑い方はずるい。人を責めるでも、許すでもなく、ただ面白がるだけの、悪意のない悪意。
「……いいじゃないか。そういう日が来るのは。教師として嬉しいよ」
声の調子は冗談めいているのに、その奥に、ほんの少しだけ本気の温度が滲んでいた。
「“教え子に幸せが訪れる”──それを見られるのは、案外、教師冥利に尽きる」
そう言って、先生はカップを傾けた。
白い湯気が、彼の笑みをぼかす。
どこまでが冗談で、どこからが本心なのか分からない。
この人の言葉は、いつも真実と皮肉を五分五分でブレンドしてある。
「ちなみに──」
先生は軽く息を吐いた。
紅茶の湯気が、その吐息をさらっていく。
──嫌な予感がした。
先生の“ちなみに”は、たいてい地雷の導入である。
前置きのない本題ほど、危険なものは────
「──俺、結婚したよ」
「………………………」
スプーンが止まる。
いや、心臓も止まったかもしれない。
そのくらい唐突で、悪意がなく、そして完璧にタイミングが最悪だった。
「お、おめでとうございますっ!」
反射的に声が弾んだ。
あまりに素直すぎて、カップの中のコーヒーが波打つほど。
「ありがとう」
あっさり、そして普通に返された。
その“普通さ”が逆に刺さる。
まるでこちらだけが感情を暴発させてるみたいじゃないか。
「そんなに驚かれるとは思ってなかった。俺そんなに結婚出来なさそうに見えてた?」
──見えてました、とは言えない。
だが、“見えてなかった”と断言する勇気も、今は持ち合わせていない。
声のトーンは穏やかで、笑顔も柔らかい。
けれどその笑顔の裏に、確実にひとつ「刺す用のフォーク」を隠している。
「いえ……そういうわけじゃ……」
焦って否定すれば、またそれもつまみ……いや、おやつにされる。
もはや僕の反応ひとつひとつが、この人にとっての娯楽なのだ。
「子どもが生まれたら──日本で暮らそうと思ってる」
その一言で、世界が一瞬、春めいた。
まるでコーヒーの湯気が桜色に変わったみたいに。
「本当ですか!」
声が弾んだ。というより、跳ねた。
嬉しさが言葉より先に口から出て、音になって飛び出した。
「じゃあ、また先生と同じ国にいられるんですね!」
──その瞬間、自分でも驚くほど顔が明るくなったのがわかる。
光が胸の中を跳ねたみたいだった。
この人の近くに、またいられる。
その事が純粋に嬉しかった。
「うん……そうなるかも、しれないな……」
先生はふと窓の外に目をやった。その視線の先には、人の流れ。
──だけど、彼だけが違う時間を歩いているように見えた。
「けど……どうなるかはまだ分からない」
その言葉のあとに、静寂がひと口ぶん、挟まった。
僕は何も言えず、ただコーヒーの表面に映る自分の顔を眺めている。
「まだ、仕事が山ほどあるんだ」
先生は小さく笑って、カップの縁を指でなぞる。
「出来れば……子どもが生まれる前に、今取り組んでいる発明を完成させたいと思ってる」
──“発明”と“命”。
どちらも新しいものを生み出す行為だ。
けれど、この人が語るとそれは希望じゃなくて、重く聞こえる。
「どんな発明なんですか?」
気づけば、声が勝手に前のめりになっていた。
スプーンを置くのも忘れて、僕は思わず身を乗り出す。
──純粋な興味。
それ以上でも、それ以下でもない。
「んー……」
彼はカップを持ち上げ、視線を紅茶の底に落とす。
考えるふりをして、答えを隠すみたいに、ひと言。
「──秘密」
「秘密?」
思わず聞き返した声が、店内の音よりも大きく響いた。
「そう、秘密」
先生は肩をすくめて笑った。
その仕草が、まるでカフェの空気を一瞬だけ軽くした。だが、その笑みの奥には、ほんの一滴だけ影があったのを僕は見抜けなかった。
だって──僕は思いもしなかったのだ。
彼が生み出した発明が、後に世界を驚愕させる大事件を起こすなど……。
「──俺が新聞に載った暁には、一番に教えてあげるよ」