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新市街にはホテルが多くあり、また観光シーズンでもないことから、飛び込みでも宿を取るのは容易だった。特に広場近くの宿はマルシェやビアガーデンで食事を摂れることから、食事を出さないところがほとんどで、その分価格も抑えられている。 クラピカたちもそんな安宿のひとつに旅枕を定め、食事は広場のビアガーデンで摂ることにした。先ほどまで門前雀羅を張っていた広場には、パラソルとテーブルが広げられ、大人たちが昼間の澄ました仮面をかなぐり捨てて陽気に燥いでいる。どうやら、夕刻前の閑散とした雰囲気はビアガーデン出店前の一時的なものだったらしい。中央噴水の前ではバイオリンとマンドリンの楽団が音を奏でていて、オレンジの電飾が宵闇を温かく照らしている。
ビアガーデンは複数の飲食店が共同で開催しているようで、酒とエールはもちろん、郷土料理や佳肴などさまざまな料理が用意されている。席をキープするにはワンドリンクが必須とのことだったので、3人とも広場の入口にあったフルーツパーラーで飲み物を購入した。全員「酒は飲めなくはないが、好んで飲もうと思わない」という点が一致した。
「俺たち、なんか適当に買ってくるから、クラピカは席で待ってて。あ、食べたいものとか、食べられないものとかある?」とゴンに聞かれたので、首を振って応える。クラピカは噴水に近い席に腰を落ち着けて、2人から預かった飲み物をテーブルに置いた。周囲を見回すと、仕事帰りの労働者や観光客らしきカップル、家族連れがそれぞれ食事と会話を楽しんでいる。騒がしいのはあまり好きではないが、穏やかで開放的な雰囲気は嫌いではない。一族の祭りの夜もこんな感じだった。この日ばかりは夜更かしが許されていて、皆で料理を堪能して、奏でられる音楽に合わせて歌って踊って。おそらく何かしらの意味がある祭りだったと思うが、当時子供だった自分にとって理由はどうでも良かった。友人や家族と楽しい時間を過ごせることが好きだったから。
そういう思い出に水を差す無粋な輩はいるものだ。テーブルでぼんやりとしている自分の正面に「お姉さん、ひとり?」と勝手に座る男。一瞥して「連れがいる」と短く答えたが、男は退かない。顔面をぶん殴って「お兄さん」に訂正してやろうかと思ったが、極力騒ぎを起こしたくない。
どうしたものかと溜息を漏らすと「ごめんね、お兄さん。この人、俺の彼女」と、後ろから肩を抱かれた。振り返ると、食事の盛られた皿を片手にしたゴンがにこにこと笑いながら、クラピカの肩を引き寄せている。続いて「コイツの女に手ぇ出すとか、お兄さん良い度胸じゃん」というキルアの声が背を押した。元暗殺者の言う「良い度胸」は、さすがに何も知らない一般人にも読み取れるらしい。男は席を立って、そそくさと退散した。
「ごめん、クラピカ。ああいう人はこうやって追い払うのが1番早いから」と食事をテーブルに置いたゴンが謝罪した。「いや、助かった」と首を振って礼を述べる。純粋な子供だと思っていた彼が、意外にも色事方面にも成長しているとは。これは案外女性に人気の男になりそうだ。「もう1つあるから、持ってくるね」とゴンが席を離れると、クラピカはちらとキルアに視線を向けた。視線に気付いたキルアは「ああいうの、天然誑しって言うんだよな」と言った。
食事を済ませてホテルに戻ると、部屋に備え付けられたシャワールームで順番にシャワーを浴びた。部屋はトリプルルームで、入口から奥に向かってベッドが3つ並んでいる。ベッドの足元側には物書き机と壁にかけられたテレビ、その隣には小さな籐のソファとサイドテーブル。基本的に「寝るためだけ」の客室だが、価格の割に十分な設備だと思う。新市街のホテルはほとんどが2人部屋で、3人で泊まれるところは少なかった。「ツインとシングルでも良いのでは?」と提案したが、ゴンに「絶対ダメ!絶対3人一緒!」と激しく主張された。
最後にシャワーを浴びたクラピカが着替えを済ませてシャワールームを出ると、窓際に備え付けられたベッドに寝そべって、ゴンとキルアが何事かを話していた。相変わらず仲の良い2人は微笑ましく、しばらく眺めていたいと思うが、3人という状況で自分だけ会話に加わらないのも不自然だ。クラピカは髪の水気を拭きとると、タオルを首にかけてゴンとキルアが寝そべるベッドに腰かけた。2人がこちらに気付いて、にこりと笑う。
ゴンの目が、窓の外を向いた。
「ここの星空、なんかくじら島と違うなぁ……」
「そうかぁ?」
「うん、ああいう並びの星とか見たことないよ」
頷いたゴンが東の方を指差す。クラピカはそれを目で追った。確かに、知らない星の並びだ。
「私の地方とも大分違うな。見たことのない星の並びばかりだ」
「そうなの?」
疑問符を浮かべてこちらを見たゴンに、クラピカはこくりと首肯した。
「ああ。私は子供の頃、西の空にアトリアという赤い星が見えたら家に帰ってくるように言われていた。夏だな。冬はベネトナシュ。だが、この辺りではどちらも見えないな」
「あ、俺も同じようなこと言われてた。名前は知らないけど、すごく明るい星があって、それが見えたら帰る時間だって」
「そういえば、星を掴む遊びをしたな。色が付いている星や明るい星は得点が高くて……」
「俺もそれやったよ。星の中で1番明るいのを探すのが楽しいんだよね」
「今考えると、私は星を探すのが下手だったな……。つい遊びに夢中になって、気付いたら周囲は真っ暗。アトリアはとっくに見えなくなっていて、母に叱られることがたびたびあった」
「俺も。小さいときは星が見つからなくて、帰り道わからなくなったこともあったなぁ。それでミトさんに叱られて……。慣れてからは大丈夫になったけど」
「……田舎あるあるなの?それ」
星の思い出を共感しながら話していると、キルアの呆れたような声が割って入った。
「てか、クラピカってそういう感じの子供だったんだ」
「顔から猪突猛進な性格まで、母にそっくりだと言われていた」
「猪突猛進って……。あ~、でもなんかわかるな」
キルアは一度考えるように空を仰いだが、すぐに納得したように笑って頬杖を突いた。子どもの頃から母にそっくりだと言われて育ったが、最近はそれをより実感する。鏡を見ると、あの頃の母と同じ顔がそこにある。一瞬、母がまだ生きているような錯覚に陥るが、同時に切なくもなる。見るたびに失ったことを思い出すのに、見ないで生きることなどできないのだから。
空を見上げれば、手前の窓に自分の顔が映る。まるで、母を通して星を眺めているような気分だ。「人は亡くなると星になる」と言う。ならば、一族の皆もこの星のいずれかなのだろうか。
ベッドにうつ伏せていたゴンが、ごろりと仰向けになった。
「キルアの家も、すごく星が見えそうだよね」
「まぁ、確かによく見えるけど。でも星の名前なんて知らねぇし、ガキの頃は仕事以外で家から出されたことなかったから、2人みたいに星が見えたら帰れとは言われなかったし、帰りが遅くなって叱られるなんてのもなかった」
ククルーマウンテンのどこかにあるというキルアの家。結局自分たちは彼の住居には辿り着けなかったが、あの山すべてがゾルディック家の土地ならば、星を見るのに遮るものなどない。
ただ、彼がそれを意識的に見ていたかは別の話だ。自分やゴンにとって、星は帰り道を知らせるための重要な目印で、見る必要があった。しかし子供のころから暗殺者としての英才教育を受けてきたキルアには、星を見ることは必要でも、娯楽でもなかったのだろう。
「……羨ましいよ。ちょっとだけ」
キルアの睫毛が、僅かに震えて伏せた。月光が作る薄い影が白い肌に落ちる。
ゴンが再度うつ伏せになって、頬杖を突いた。
「じゃあ、俺が叱ろうか?キルアが俺に心配かけたら『こら!』って」
「なんだよ、それ。全然嬉しくねぇ」
「叱られるの羨ましいって言ったの、キルアじゃん」
眉根を寄せたキルアを見て、ゴンが唇を尖らせる。無邪気な様は見ていて和むのだが、本質を見失ってはいないだろうか。
「キルアは叱られたいのではなく、自分をそれほど心配してくれる人がいることが羨ましいんだろう?」
言うと、ちらとこちらを一瞥したキルアの視線が落ちた。僅かに染まった頬は肯定という意味だろう。子供の頃は母に叱られることを鬱陶しいと感じていたものだが、大人になった今ではそれが自分を心配していたからこその行動だとわかる。そして自分を案じる人がいることがどれだけ幸運で、どれだけ幸福なことか。
「俺は、キルアが心配だから叱るんだよ。だから喜んで」
「そんな恩着せがましい頼みがあるかよ。つーかお前、叱られて嬉しかったのか?」
顔を顰めたキルアに、ゴンは思い返すように虚空を見つめ、やがて首を横に振った。
「……そうでもない」
「俺もだよ」
キルアが呆れ顔で体を起こした。胡坐をかいて、ベッドの上に座る。
「……俺の母親は、俺を立派な暗殺者にすることしか考えてない。でもミトさんとかクラピカのお袋さんはさ、なんてーのかな……2人のこと大事だから、そういう風に言うんだろうなって。そういう『ちゃんとした母親』に育てられたのが、ちょっと羨ましいなって話だよ」
「普通」に憧れて、人殺しになる宿命から逃れたくて。そうして家を飛び出した12歳の少年だった彼は、今でもありふれた生活に憧憬を抱いている。学校に通って、友人と遊んで、夢中になっているうちに時間を忘れて、帰りが遅くなって、心配した両親に叱られて。フリースクールに通っているのも、彼のそうした願望の表れなのかもしれない。
子供のころに与えられなかった、人並みの日常。自分は失ったが、最初は持っていた。しかしキルアには、最初からなかった。どちらが良いかなど、比較できない。ただ、自分よりも少し高くなった背に、未だ愛情に飢えた子供の気配を感じ取って、クラピカはキルアの首元を両腕で包んで自分の方へ引き寄せた。猫の毛のように軽い銀髪に頬を寄せると、キルアの体が緊張して硬くなる。だがそれは一瞬で、次の瞬間には藻掻いたキルアが自分の腕の中から逃げ出していた。
「ちょっ……何してんだよ!?」
背から後ずさってゴンの前を通り過ぎ、ベッドの端まで逃げたキルアの顔は、緋の眼も驚愕するほど紅潮している。
「キルアが大事だと伝えようと思った」
「はぁ?だからって、急に抱きしめるとかどうかしてんだろ!?俺、もう18だし、クラピカより背も高いんだけど!?ガキじゃねぇんだよ!」
「……キスの方が良かったか?」
「もっとダメだろ!」
キルアの声は狼狽というより、憤慨に変わっている。子供扱いをしたのがそれほど気に障ったのか、それとも触れられることにあまり慣れていない彼に気軽に触れたのが良くなかったのか。
「私の母は、よく私を抱きしめたり、キスをしたりした。それをされると私は、母が自分を愛しているのだと実感した。同じことをすれば、キルアにも伝わるかと思ったのだが」
「……クラピカが俺を大事に思ってくれてることは、よくわかってるから」
キルアが長嘆息を漏らして、目を逸らした。ゴンが「キルア、照れてる」と揶揄うと「照れてねぇ!」と反論する。ゴン曰く「クラピカは良い匂いがするから、キルアが照れる気持ちはちょっとわかるなぁ」とのこと。
ベッドから落ちかけていたキルアが体勢を戻したところに、ゴンが飛びついた。
「じゃあ俺も!」
「おい!やめろって!」
腹部に抱きつかれたキルアはゴンの頭を掴んで離そうと身を捩るが、ゴンの両腕にはいよいよ力が入る。
「だって、俺もクラピカもキルアのこと大事だもん!だからめいっぱい伝えないと!」
「だから!わかってるって言ってんだろ!離せって!」
「い~や~だ~!俺とクラピカの愛、なめないでよね!」
ベッドの上で譲れない戦いを繰り広げていた2人の勝負は、中盤になってゴンの腕からするりと抜け出したキルアが優位に立った。
「だったら、俺の愛もなめんなよ!こんにゃろ!」
「わ!ちょっとキルア!クラピカが潰れるって!」
今度はキルアが、ゴンの腹部に抱き着いて押し倒した。ゴンのすぐ後ろにいたクラピカは、ゴンの背に潰される形でベッドに押し付けられる。さすがに自分より背の高い青年2人に下敷きにされては、いくら自分と言えども身動きが取れない。
結局そのまま、いい年齢の男3人でおしくらまんじゅうに興じることになった。それをようやく止めたのは「少し静かにしてほしいと隣室のお客様から苦情が入っている」というフロントからの電話だった。