吾妻グループの未来を担う、新副会長の就任式はオンラインでストリーミング中継されていた。
式場は、吾妻グループが所有する放送スタジオ。堅苦しいスーツの大人たちが画面を埋め尽くしている。
吾妻勇太副会長の突然の死という悲劇。それに伴うエレベーター式の昇進だった。本来であれば歓迎ムードが漂う式典であるはずが、副会長の死という惨劇により誰ひとりとして笑顔の者はいない。
参席者も来賓もない、単なる報告会に似た席だった。
いまだ喪中の期間であるため、見ようによっては2回目の葬儀が行われるようでもあった。
就任式を利用するシナジー効果など望んでもいない。吾妻勇太の死がいまだ他殺であるかもしれないという疑念がある限り、顧客である国民の感情の行く先を読めるはずもなかった。
そもそも吾妻勇信自身、兄の死を利用するつもりなどまったくない。悲しみを抑えるだけでも精一杯であり、何よりも自分が増殖しているという怪奇現象の対応だけでも精一杯だった。
就任式前日の夕方。
邸宅にある執務室では、キャプテンは悩んでいた。
就任式に出席させる「適任者」がいないことが原因だった。
キャプテン:増殖の母体であるためアウト
ジョー:肉体の訓練に没頭しているためアウト
あまのじゃく:与えられた任務を破壊したい人格のためアウト
シェフ:就任式の朝までに美味い味噌汁を完成させたいと言っているためアウト
ポジティブマン:シナリオを意のままに修正する危険性があるためアウト
適任者などいなかった。
どの勇信が参席しても、就任式がスムーズに終えられる気がしなかった。
しかしそうした問題を解決してくれる人材が現れた。突如、裸体で。
ドン!
「ぐああっ!」
全裸の勇信が床に横たわっていた。
「なんだ!?」
「……」
新しい勇信は、一糸まとわぬ姿で頭を抱えた。眉間に深いシワを刻み、この世のあらゆる悩みを一挙に引き受けたように苦悩している。
「何か言えよ」
キャプテンが沈黙に耐えきれずに口火を切った。
「……デスクに座っていたはずが、いきなり椅子が消えた」
「そうだ。おまえは生まれたんだ」
「服、着てくる」
彼は執務室を出て、更衣室に入った。そして20分ほど経ってから、ようやくキャプテンの前に戻ってきた。
彼はスーツを着ていた。
「……俺の名は沈思熟考。これからはそう呼んでくれ」
新しい勇信『沈思熟考』は、そう言い残して書斎へと消えていった。
1時間後、彼は一枚の用紙をもってリビングルームに現れた。
明日の副会長就任式での演説内容が書かれていた。
「明日の就任式には俺が出席する。またすべての公の場には俺が赴く。以上」
沈思熟考はそう言って、さらに別の書類を全員に見せた。
「何だ?」
5人の勇信が同時に言った。
「委任状だ。今後の社会的な活動をすべてこの『沈思熟考』に委ねること。各自が承認の署名をしてくれ」
5人の勇信は呆然と書類を見つめ、しばらく悩み、そして全員が署名をした。
他に適切者がいないための消去法による署名だった。
同じ筆跡で書かれた、5つの吾妻勇信という署名。
沈思熟考は書類をじっと見つめた後、長く長い思慮を終えて満足そうにうなずいた。
*
「次に、吾妻勇信副会長の就任挨拶がございます」
司会者の紹介のあと、沈思熟考が画面中央に現れた。
目を閉じ眉をひそめたまま、彼は長い間動かなかった。
グループの全社員が、就任式の画面に釘付けになっている。
彼らの願いはひとつ。新しい副会長が自分たちに害となるや否や。ただそれだけ。
誰も派閥争いになど興味はない。吾妻家の次男である勇信の一挙手一投足だけが、社員たちの運命を左右するのだから。
――現状維持。
ほとんどの社員がそれを望んでいる。
これからも安定した社会生活を送らせてくれ。
望まない組織の編成などやめてくれ。
無駄な政策に巻き込まないでくれ。
給与の削減だけはやてめくれ。
グループの構成員のほとんどがそう願いならが、沈黙の時を過ごしていた。
新しい権力者となる男は、真剣な表情でテーブルを見つめながら硬直している。
沈黙はあまりに長かった。しかし沈思熟考は意に介さず、ただじっと演説書類を見つめている。
「すいません。あと少々お待ちください」
彼はそう言って目を閉じ、またも深く長い沈黙を作った。
「あいつはいったい何をしてるんだ?」
吾妻家邸宅で中継を見ていたジョーが、ダンベルを掲げながら言った。
「またも人選ミスか……。手元の書類を読むだけなのに、それすらできない奴だったのか」
「あ、動き出したぞ」
「親愛なる社員の皆さん。現在、吾妻グループはかつてないほどの危機に瀕しています。不幸な事故により吾妻勇太副会長が亡くなり、会社を率いる副会長の座が空席となっている状況です。
ご存知のように、メディアと世論は今回の事件を単なる事故としてではなく、陰謀論による他殺であると言及しています。ですが皆さん、外部の情報に惑わされないでください。今重要なのは、故人となった吾妻勇太副会長の件ではありません。皆さんにとって重要なのは、グループの現在と未来なのです」
沈思熟考はそこで言葉をとめ、また目を閉じた。モニターからは音が消え、ほとんど静止画の様相を呈した。
「これからは私、吾妻勇信が皆さんの現在と未来についての責任をもちます。副会長が代わることでグループの全体方針が変更され、結果として誰かが不利益な状況に陥ることはありません。
私が推し進めるべきは、改革ではありません。現状維持と継続的な発展。これまで積み上げた吾妻グループの実績をさらに強化・発展させ、より良い未来に向かって歩んでいくことをここに約束します」
司会者、出席者、撮影スタッフから拍手が沸き起こった。安堵のこもった拍手だった。
沈思熟考は小さく頭を下げて椅子に座った。
「まあ、最初の無駄な沈黙を除けば、ちゃんとできたほうだな」
静かに画面を見つめていたポジティブマンが腕を組んだ。
「それでも、また奇妙な勇信が生まれたことに変わりはない」
キャプテンの言葉に、他の勇信ちちもうなずいた。
「奴はおそらく、情報処理能力が落ちる勇信なのだろう。5分で終わるスピーチに20分も費やすなんて」
「何か他の属性が作用したのでは?」
「どんな属性だ? 奴が作ったのは沈黙だけだ。演説内容など紙を読むだけだし、どの俺が出向いてもアレよりはマシだったさ」
それぞれの意見を聞き、キャプテンが静かに言った。
「たしかに別の属性をもっているかもな。本人もまだわかっていないのだろう。最初ビジネスマンを自称した俺が、結局ただのあまのじゃく野郎だったのがいい例だ」
「おーい、みんな食事の時間だ。今朝はみそ汁と目玉焼きだ! ……ただ正直に言っておく。みそ汁はあまり美味くないが我慢してくれ。なぜなら俺はまだ発展途上にあるからだ」
朝食を作り終えたシェフの声にすべての勇信が立ち上がり、整然とテーブルに腰を下ろした。
リビングの中央テーブルには、シェフが作ったみそ汁と目玉焼き、主食となった加工食品が並べてられている。
決められた席についた勇信たちは、箸をつかむこともなくモニターを見つめた。
就任式は予定されていた時間を過ぎ、12時になっていた。遅れはもちろん沈思熟考の沈黙によるものだ。
「だらだら就任式が続けば、社員たちの午後のスケジュールに影響するな」
「すぐに終えるよう警告してみる」
ポジティブマンが携帯メッセージを送ると、画面の中の沈思熟考が携帯電話に目をやった。そのまま目を閉じ、深く考え込んでしまった。就任式会場に再び短い沈黙が流れた。
[自分なりに最善はつくしているつもりだ。すまないが小言はやめてくれないか]
沈思熟考からのメッセージが届いた。
画面にはグループの紹介映像が流れていた。
吾妻グループの歴史と未来を表現した社内プロモーションビデオで、これからグループを率いる勇信の笑顔や、真剣な顔で業務に取り組む姿も盛り込まれていた。
グループのロゴが最後に映し出されると、司会者がマイクをとった。
「最後に吾妻グループの新たなリーダー、吾妻勇信副会長から閉会の挨拶を――」
その時だった。
――ちょっと待て!
突然、男の大声が響き渡った。
画面に映る男たちの視線が一点を向いた。
自宅で就任式を見ていた4人の勇信が一斉に立ち上がった。
全員が同時に目を見開いた。そのまま全身の力を失ったように、4人とも椅子に座り込んだ。
キッチンに立つシェフも同じく力を失った。手にしていた包丁が床に突き刺さる。
「副会長はここにいらっしゃる!」
聞き覚えのある声だった。
カメラがくるりと回転しながら、大声で叫んだ社員を映し出した。
長く兄の勇太の世話役を務めていた、榊原秘書だった。
榊原のすぐ後ろには、威風堂々とした容姿の男が立っている。
男は一歩前に出て、呆然とする沈思熟考と視線を合わせた。
「久しぶりだな。常務」
死んだはずの、吾妻勇太の姿がそこにはあった。
「……勇太兄さん」
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