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翌朝
隠れ里の朝は、耳が痛くなるほどに静かだった。
乳白色の霧が漂う向こう側で、角を持つ子供たちが無邪気に笑い声を上げ
腰の曲がった人間のお年寄りが穏やかに畑を耕している。
昨日、暁さんの口から語られた「真実」───
父が今際の際に、自らの命に代えて私を暁さんに託したという願いの重さに
私は一晩中、一睡もすることができなかった。
父は、鬼に殺されたのではなかった。
死の淵で、幼い私を冷酷な組織の道具にさせないために
目の前の「最凶の鬼」に私の未来を託したのだ。
「……あざみちゃん。酷い隈だよ。まだ休んだほうがいい」
暁さんが、いたわるような瞳で、湯気の立つ粥の入った器を差し出す。
その器から伝わる僅かな温もりに触れようと、指先を伸ばした、その時だった。
────カァッ、カァッ、カァッ!!
里を囲む深い森の四方から
不吉な烏の鳴き声が、空を塗りつぶさんばかりに重なって響き渡った。
私の体温が、一瞬で足元から凍りつく。
それは、鬼狩り組織『鴉』が獲物を完全に追い詰め
逃げ場を塞いだ時に放つ、包囲完了の合図だった。
「見つけたぞ!裏切り者のあざみ!そして……江戸を騒がす最凶の鬼、暁!!」
霧を無残に切り裂いて現れたのは、汚れ一つない白装束に身を包んだ、鬼狩りの精鋭部隊だった。
その先頭に立つのは、私の剣の師であり
両親を亡くした私を厳しくも慈しみ育ててくれた、育ての親・師匠だった。
彼の背後には、昨日まで道場で汗を流し
共に死線を越えてきた仲間たちが、一切の感情を排した冷徹な刃を抜いて控えている。
「師匠……!待ってください、話を聞いてください!」
「この里には、戦う力を持たない子供や老人もいるんです!人間だって、彼らと手を取り合って暮らしています……!」
「黙れ。化物と馴れ合い、毒された者は、もはや人ではない。ましてや我ら一族の面汚しめ!」
師匠の冷たい声が、谷底に響き渡る。
「……あざみ、最後通告だ。今すぐその忌々しい鬼の首を撥ね、こちらへ戻れ。そうすれば、お前の罪は不問に処してやろう。さもなくば───」
師匠の非情な合図と共に、隊士たちが一斉に松明を掲げる。
不気味にゆらめく火先が、物陰に隠れて怯える子供たちの、震える瞳に映り込んだ。
その瞬間、私の中で何かが、音を立てて決壊した。
「……嫌だ」
私の手が、無意識のうちに愛刀『薊丸』の柄を強く握りしめていた。
震えていたのは、かつての仲間を失う恐怖からではない。
自分を育て、信じ込ませてきた組織の
あまりに独善的で身勝手な「正義」に対する、激しい憤りだった。
「私は、もう戻りません。……この刀は、誰かに決められた価値を証明するための道具じゃない。私は、私の信じるもののために、私の大切な人たちを守るために、この刀を使います!」
────チャキッ。
鋭く澄んだ抜刀音が、静寂を切り裂いた。
私が切っ先が向けたのは、目の前の「鬼」ではなく
かつての師、かつての家族である鬼狩りたちだった。
「……愚かな。一族の恥を、ここで焼き払え!!放て────っ!」
師匠の号令一閃
無数の火矢と、火薬を詰め込んだ筒が里へと襲いかかる。
爆炎が渦巻き、視界が真っ赤に染まる中
暁さんが私の前に一歩踏み出した。
彼の漆黒の着物が、まるで意志を持つ本物の闇のように巨大に膨れ上がり
降り注ぐ死の矢をすべて、紙屑のように叩き落としていく。
「あざみちゃん、下がって、彼らの狙いは僕だ、僕が時間を稼ぐから君は……!」
「嫌です!暁さんだけを、戦わせたりしません!」
私は暁さんの大きな背中を鮮やかに追い越し、一人の隊士の懐へと弾丸のように飛び込んだ。
峰打ち。
殺しはしない。
けれど、彼らがこの里を
私の「大切な居場所」をこれ以上汚すことは、死んでも許さない。
かつての家族を切り捨てる、身を切られるような痛み。
けれどそれ以上に、愛する人をこの手で守るという
高潔なまでの高揚感が私の全身を貫いていた。
火の粉が雪のように舞い散る中
私の振るう刃は、夜闇に狂い咲く「あざみの花」のように鋭く、悲しく
そして誰よりも美しく閃いた。
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