テラーノベル
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「……っかさ……!?」
重い器を何とか起こして、布団から身体を出す。
横を見てみれば、とっくに掛け布団はグチャグチャにされていて、つかさが起きていたことが一瞬で分かった。
変にズキズキと痛む頭を抑えながら、夢の記憶を思い出そうとする。何か、大切な人が出てきた夢を見た気がして。
何とか思考を張り巡らせてみるが、結局のところ思い出せず、そのまま布団にもう一度横になった。
早く準備をしなければならないかもしれないが、時計を見たところ、とっくの昔に一時間目は始まっていたようだ。どうせ今行っても遅刻である。そもそもの話、サボることなどいつものようにしているのだし、今更罪悪感など微塵もなかった。
「……梅雨に、入ったのかな」
ポツリポツリと雨が降り続けているのが嫌でも窓越しに目に入った。窓にたらりたらりと雨粒の数々が流れ、線を作っていた。雨特有の独特の匂いが鼻をつき、それに思わず顔を顰める。
先生が俺の左頬に貼った、血が染み付き、赤に染まった白いガーゼを適当に剥がし、ゴミ箱に投げ入れる。昨日の夕方から今までの長い間に渡って貼っていたため、痒くて仕方がなかったのだ。
雨が降り続けているというのに、何を思ったのか、俺は窓を開放し、雨粒をこの畳の部屋へとご招待する。素直にお客様としてこの部屋へ足を踏み入れたそれらは俺の頬や額、俺の赤みがかった黒髪を濡らしていき、俺はくしゃみをしてしまう。
まるでそれを客観視するかのように、つかさは一人で学校に行くことが果たしてできただろうか、それならば事故に遭ったりなどしていないだろうか、誘拐などされていないだろうか、とつかさのことばかりが頭を埋め尽くした。
そんなとき、耳にキンキンとするほどに大きな、俺と同じでも少々高く、少々甘い声が届いた。とはいったものの、俺が真似をしようと思えばできそうではあるが。
「あまねー!!」
「うわっ!」
その声の主は突然俺を布団へと押し倒すと、そのまま覆いかぶさってきた。
ソイツの青みがかった黒髪が鼻にかかり、お日様の香りが鼻いっぱいに広がる。外は雨だというのに、一体どうやったらこんな香りがしてくるのだろうか。
しかし、それと同時に、身体中の傷がジンジンと痛み、傷が開いたのではないかと錯覚する。それに気がついたのか、声の主はわざとらしくその傷の数々をギュウギュウと押してきた。
「……つかさ。痛い」
「あっ! ごめ~ん!」
つかさは、いつもならお月様みたいに大きな可愛らしい瞳をまるで新月のように真っ黒に染め上げながら、猫みたいにギュッと俺に抱きついてくる。さらに傷口が痛みを増し、思わず顔を顰めてしまう。
くっついて離れようとしないつかさを何とか身体から引き剥がし、優しく頭を撫でてあげた。
「……つかさは、俺が痛がっているのが好きなの」
「えぇ……? そんなわけないよ!! でも、どんなあまねもスキ!!」
「何だよそれ……」
相変わらずの弟に対して呆れ半分、恐怖半分でいると、つかさが俺に制服を投げてくる。いつもの学ランではなくて、初めて着る夏服だ。今日から夏服オッケーになるんだっけ。
低気圧のせいだろうか。妙に先程から頭が動かない。
何も考えられないまま、制服の袖に腕を通す。それを見たつかさが手を繋いでくる。
「あまねとっても似合ってる!! 白も似合うんだネ!」
「あ、ありがとう……?」
俺のことを全肯定してくるつかさに取り敢えず感謝の言葉を落としながら、鞄を手に取り、立ち上がる。
正直今日はサボろうとも頭を過ぎったのだが、やはりつかさを一人で学校へ行かせるわけにはならないだろう。
尤も、つかさは学校など行かなくとも、教科書を読みさえすれば大抵のことは頭に入るだろうが。
それに比べて、俺はどうだろうか。
授業はサボる。成績は悪い。努力もしない。星以外のことに興味を示さない。
俺は別にそれでもいいが、そんな兄で果たしていいのだろうか。つかさを守ることができるだろうか。もしつかさが殺されそうになった際に、前へ一歩踏み出すことができるだろうか。
「どーしたの? あまねらしくないよ。そんな難しいカオ」
「……つかさが殺されたら、どうしようかなって」
つい口を滑らせてしまい、慌てて押さえる。
一体俺は、何的外れなことを口走っているのだろうか。今考えていたのはそんなことではないだろう。駄目な兄で申し訳ない、ということを伝えたかったのだろう。
俺の言葉を聞いたつかさは、二つの大きなお月様に弧を描くと、先程俺がつかさにしたように、俺の頭を優しく撫でてきた。これでは、兄と弟の立場がまるで逆ではあるまいか。
「……ダイジョーブ。もうすぐ、俺を殺してくれるから」
「……え。何。誰が……? お母さんのこと……?」
「違うよ、母さんじゃない。ん~。でも、あまねは気にしなくていいよ」
「何言ってんの」
可笑しな発言を、息を吐くかのようにポンポンと口から零すつかさに、いつものごとく振り回されてしまう。
ひょっとして、自殺の宣言か何かをしているのだろうか。
最悪を思いついてしまい、俺はつかさの肩を鞄を持ちながら掴むと、大きく揺さぶった。
「わー! どうしたのあまね! ジョーネツテキだね!!」
「し、死んじゃダメだよ!!」
「ん~? 何言ってんのか分かんないけど、何で??」
「何でって……」
お前のことが大切だからだよ、と伝えようとして、止まってしまう。そんな恥ずかしいこと、言えるはずがなかった。
口を閉じた俺のことを、不思議そうに見つめながら、つかさは時計へと目をやり、大きく声を上げた。
「うわ~!! 遅刻だ~!!」
「いや元々遅刻だったでしょ……ってうわっ!!」
俺はつかさに手を引かれ、傘もささないまま、土砂降りの雨が降り続ける外へと飛び出した。
柔らかくなった泥により、茶色に染まる靴を見て溜息を吐きながら、どうか風邪をひきませんように。そう願うことしかできなかったのだった。
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