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管理人に椅子のことを尋ねに行くと、部屋に一脚余っているのがあるという。孫が結婚して街を出て行ってからは、無用の長物になっているそうだ。メッキのかかったパイプの骨組みの上に、座面と背もたれと肘掛部分だけ布地に覆われたクッションが付いているもので、埃を被って薄茶色をしているが、もともとの色は青だったはずだ。いや、緑かもしれない。

「バアチャン、ありがとね」

健太は椅子を掴んで持ち上げた。肘掛のクッションが早速はずれる。

「アンタたちゃ私の新しい孫だよ、世話の焼ける」

外廊下に出ると、夕日が瞳を刺した。健太は片手で日を遮り、一階に降りた。私道前でクッション部分の埃をはたく。叩いてもたたいても煙が出る。五分ほど経つうちに、縫い目がほつれ始めた。

二階に戻って戸を開けると、鰹節の匂いが漂ってきた。

キヨシは椅子を担いだ健太に気付くと、料理の手を止め、テーブルを壁際に押した。道が五センチくらい広がった。これで椅子は三つになったが、それでも今日は数が足りない。ミンが機転を利かせて、テレビの横に立てかけてある昨日のダンボールの畳んだやつを、組み立てずにそのまま床に敷いた。テレビとビデオデッキの配線をつなげ終えたツヨシは、夕食のあとは映画を上映するといって上機嫌だ。その声に手を叩いたのは、ソファの上で正座しながら昨日のピーナツの残りをほおばるミエだけだった。

健太が肘掛を元の位置にはめ込み終わったころ、ご飯を乗せた紙皿と、紙コップに入った味噌汁が、ダンボールの上に人数分乗った。ミンが、ツヨシが、ミエが周りを囲んだ。

健太はミンとツヨシの間に座ると、向かいのミエと目が合った。ミエは周りに気が付かないくらいの小さな微笑を、健太に送ってきた。彼も同じくらい微小に口元を動かした。

ミエからマチコのことを聞かれたことは、これまで一度もない。健太からミエにその話を振ったことも、一度もない。健太はミエに、昨夜のことを一切聞いていない。ミエから彼にその話を振ってくることも、ない。

ミエは視線をはずすと、台所に向かって声を張りあげた。

「アタシのには納豆もつけてよね」

「はいはい」とキヨシが答えた。

「卵もね」

「はいはい」

「アタシのだけでいいからね」

「全く、注文のうるさいお客やなあ」

ミエはさらに、はやくはやくとせかしている。

「あんた、いい加減だまりゃんしゃい」とキヨシが声を強くした。

ツヨシは、ところでマッチャンは今頃どうしてるかなぁと言った。

「韓国に帰ったら、一度手紙を出してみるよ。ツヨシくんも、ケンタくんも、ミエも元気だって。キヨシ君という新しいメンバーもいるよって書いとくね。引越しパーティのことも、もちろん」と、ミンが言った。

そうね、それ読んだあのコの驚く顔、目に浮かぶわとミエが答えた。

「こんなもんしかできませんけど」

キヨシが、このアパートにたった一つだけある陶器の皿の上に、にらの入ったダシ巻きを山盛りにして運んできた。

ハーバー共和国 (Ⅰ)

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