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第七十話 受け取るはずだったもの
「俺が……受け取るはずだった?」
彼女が聞き返した。
彼は頷いた。
「たぶん」
「でも、今までの記憶だと、あなたが誰かに渡そうとしてたんじゃなかった?」
「そう思ってた」
彼はテーブルに置かれた写真を見る。
店の前に置かれた小さな箱。
その横に立つ、青いリボンの人物。
「でも、さっき思い出した」
彼はゆっくり言葉を続けた。
「俺はあの人に『これ、俺の?』って聞いてた」
「……うん」
「だから、あの箱を持ってたのは俺じゃない」
二人は黙った。
今まで集めてきた記憶が、
少しずつ違う形に変わっていく。
「じゃあ、あの箱の中には何が入ってたんだろう」
彼女が呟いた。
「分からない」
「でも、それを受け取る予定だったなら……」
「事故がなかったら、俺は知ってたはず」
その言葉に、彼女は何も返せなかった。
事故。
その一言だけで、空気が変わる。
彼はスマートフォンを取り出した。
「事故の日の記録、もう一回見てみる」
二人で病院からもらった資料を確認する。
事故当日の欄。
そして翌日の欄。
何度見ても、大きな手がかりはない。
ところが、彼女が一つの部分を指差した。
「ここ」
「ん?」
「この時間」
事故が起きた時間と、箱を取りに来た時間。
完全には一致していない。
けれど、そこには一時間ほどの空白があった。
「この間に何かあった?」
「分からない」
彼は記憶を探る。
雨。
道路。
誰かの声。
そして、箱。
「……待って」
彼は突然、顔を上げた。
「事故の前に、俺は誰かと会ってる」
「誰と?」
「分からない。でも……」
記憶の中で、誰かと向かい合っている。
その人が箱を持っている。
そして自分は、その箱を見ている。
「その人、俺に何か言ってた」
「何て?」
「……『まだ開けないで』」
彼女が息を呑んだ。
「開けないで?」
「うん」
「じゃあ、箱の中身を知ってたんだ」
「たぶん」
彼は頭を抱えた。
「でも、そのあとが思い出せない」
彼女はしばらく黙っていた。
そして、
「もしかしたら、事故の日に箱を受け取れなかったんじゃない?」
と言った。
「……どういうこと?」
「あなたは誰かから箱を受け取る予定だった。でも、何かが起きて受け取れなかった」
「だから箱はその人の手元に残った?」
「うん」
二人は顔を見合わせた。
その仮説なら、これまでの記録ともつながる。
事故の翌日。
箱を取りに来た男性。
病院の面会者。
「でも……」
彼が言った。
「なんで俺は、その人のことを忘れてるんだろう」
彼女は答えなかった。
しばらくして、彼が写真をもう一度見た。
「……この人」
「どうしたの?」
「病院の写真では青いリボンを持ってた」
「うん」
「でも、店の写真では……」
彼は写真を拡大する。
人物の手元。
青いリボンの横に、もう一つ何かが見える。
小さな銀色の飾り。
「これ、見覚えある」
彼女も覗き込む。
「何?」
彼は自分のバッグから、
小さな古いチャームを取り出した。
ずっと使っていなかったものだった。
「これ」
彼女が驚く。
「同じじゃない?」
写真に写っているものと、ほとんど同じ形だった。
彼はチャームを手のひらに乗せる。
その瞬間。
また記憶が浮かんだ。
雨の中。
誰かが自分の手に何かを握らせる。
「これだけは持ってて」
「何?」
「いつか、分かるから」
そして、その直後。
強い雨音。
自分を呼ぶ声。
――記憶が途切れる。
彼はゆっくり目を開けた。
「……これ」
彼女を見る。
「誰かから、もらった」
「誰に?」
「分からない」
彼はチャームを握りしめた。
けれど今度は、一つだけ確信できることがあった。
このチャームは、箱の中身を知るための手がかりだ。
そして、その箱を持っていた人物は――
今もどこかで、二人が思い出すのを待っている。
コメント
1件
うわあ、ここで逆転が来るんだ……! ずっと「彼が誰かに渡そうとしていた箱」だと思って読んできたけど、実は「彼が受け取るはずだったもの」だった、という構図の反転がすごく気持ちいいですね。あの一時間の空白と「まだ開けないで」という言葉、そして雨の日の記憶の断片——チャームの存在も含めて、すべてが繋がり始めている手応えがあります。クラリスさん、この「記憶が少しずつ違う形に変わっていく」感覚の描写、本当に丁寧で引き込まれます。次が待ち遠しいです!