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剣と剣の激突する爆音が、少しずつ遠ざかっていくような錯覚に陥る。正確には――周囲の空間が、その二人の死闘を中心にして無理やり引き剥がされていくようだった。ジークとフラスニイルが刃を交える領域だけが、異様な圧力と殺気の密度を保ったまま、この崩壊した世界から完全に切り抜かれたかのように独立している。
その嵐の外側。焼け落ちて崩れた家屋の黒い影と、無残に踏み荒らされた麦畑の境界線に、二人の女が静かに向かい合っていた。
ラヴィニアは、抜き放った断魔の剣を下げない。だが、安易に踏み込むこともしなかった。彼女の海緑石の視線は、立ちはだかるユスティナの隙の無い肩口と、その背後――銀髪の少女が消えた森へと続く昏い暗がりを、焦燥と共に交互に捉えていた。
「……逃がしたわね」
ラヴィニアの声は、低く抑え込まれていた。それは単純な命令口調や怒声ではない。特務隊の副官としての、そして背負うべき責務の重さが、その短い一言に重い鉛のように沈殿している。
ユスティナは、言葉を返す代わりにゆっくりと自身の剣を構え直した。
騎士団が用いるような洗練された派手な構えではない。装飾も飾り気もない、ただ生き残るためだけに最適化された実戦の型。それでも、彼女が一歩踏み出せば、確実に相手の急所へ“届く”という冷酷な引力がそこにはあった。
「ああ」
短く、吐き捨てるように答える。
「そういう判断をした」
一陣の風が、瓦礫と化した村の隙間を吹き抜ける。焼け焦げた木材の燻る匂いと、急速に冷え始めた土の湿った匂いが混じり合い、戦場の死臭となって鼻腔を突いた。
ラヴィニアは、わずかに整った眉を寄せた。
「……あなたたちが、そこまであの少女に肩入れする理由が、私には分からない」
切っ先が、ほんの僅かに跳ね上がる。そこには、王国騎士としての純粋な疑問と、裏切りに対する静かな怒りが滲んでいた。
「王国に、そしてかつての仲間に刃向かってまで……」
ユスティナは、一瞬だけ伏し目がちに視線を落とした。彼女の脳裏に、あの黒煉瓦の尖塔で見た無垢な少女の姿がよぎったのか。しかし、すぐに鋭い視線をラヴィニアへと戻す。
「分からなくていい。理解してもらうつもりもない」
その声は、相手を突き放すような冷たさではなく、自らの退路を完全に断ち切った者特有の、清々しいほどの割り切りだった。ラヴィニアは、深く息を吸い込む。冷たい空気が肺を満たし、迷いを冷却していった。
「……それでも私は追う。白耀剣の隊長を預かる者として。そして――」
一拍の空白。彼女の胸の奥で、決して言葉にはしないと誓ったはずの熱が僅かに揺れる。
「彼の、隣に立つ者として」
ユスティナの目が、僅かに細まった。
「……アルベルト。いい人だな」
その名前を呼ぶ声に、敵意や棘はなかった。ラヴィニアの喉が、引きつったように小さく鳴る。
「……侮っているの?」
「いや」
ユスティナは、静かに首を振った。
「純粋な評価だ」
そして、重心をさらに低く沈め、剣をほんの少しだけ前へと押し出す。
「だからこそ――ここは、死んでも通さない」
抜き放たれた剣を構えたまま、二人の女は、彫像のようにしばし動かなかった。
遥か後方の状況は相変わらず、人智を超えた剣聖同士の刃が空気を裂き、絶え間なく火花を散らしている。鼓膜を震わせる遠雷のようなその衝撃波は、二人の足元に散乱する瓦礫を微かにカタカタと揺らした。
ラヴィニアは、その人外の闘争が発する死の振動を背中で受け止めながら、冷え始めた秋の空気を、深く、静かに肺の底へと吸い込んだ。
「……ここまで、で済ませるつもりはない」
絞り出された声は、低く、しかし確かな熱を帯びていた。先ほどまでの、王国騎士としての冷徹な抑制や副官としての模範的な態度は、今の彼女の顔にはない。そこにあるのは、一人の人間として絶対に退けない理由を抱えた女の、剥き出しの意志だった。
ラヴィニアは、眼前のユスティナから決して視線を外さぬまま、背後に控えていた部下たちへ向けて短く、鋭く命じた。
「白耀剣、残存分隊」
息を潜めていた騎士たちの肩が、びくりと跳ねる。
「ただちにこの場を離脱し、先行したアルベルト隊長の分隊へ合流せよ」
その言葉に、数人の騎士が信じられないものを見るように息を呑んだ。敵の戦力――それも未知数の手練れを前にして、指揮官である副隊長を孤立させるなど、戦術の定石からは完全に外れている。だが、誰の口からも異論は出なかった。彼女は白耀剣の副官だ。この戦場において、隊長であるアルベルトが不在の今、彼女の決定こそが絶対の法である。
「あくまで我々の目標は、対象ソラスの制圧だ。私のことは構うな」
有無を言わさぬ口調でそれだけを告げると、ラヴィニアはもう、決して振り返らなかった。白耀の騎士たちが複雑な表情を浮かべながらも踵を返し、森の奥へと駆け出していく。その足音が遠ざかるのを耳で追いながら、彼女は胸の内でひとつの確信を抱きしめていた。
アルベルトの名を出し、彼らを合流させた理由はただ一つ。
――彼なら、あの少女を追いつめたとしても、決して”殺し”には行かない。彼が正しい判断を下せるよう、少しでも多くの味方を彼の周囲に置いておく必要があったのだ。
ユスティナは、足元から逃げていくような騎士たちの足音を聞きながら、その一連のやり取りを黙って眺めていた。
「……覚悟、決めたか」
赤毛の女戦士が、低く問う。ラヴィニアは、海緑石の瞳に鋭い光を宿し、構えていた白耀の剣をわずかに下段へと落とした。
「ええ。あなたという壁を越えないと、私は彼の元へ進めない」
次の瞬間。張り詰めていた空気が爆ぜた。
ラヴィニアの踏み込みは、一条の光のようだった。一切の迷いがない、恐ろしいまでに真っ直ぐな刺突。白耀剣の副官として、そして密かに一人の男を慕う女として、今彼女が持ち得るすべてを乗せた最短かつ最速の一撃が、ユスティナの心臓を穿ちに行く。
ユスティナは、それを真っ向から迎え撃った。剣の腹で強烈な刺突をぶつけ、力で張り合うのではなく、絶妙な角度で刃を滑らせて受け流す。同時に半歩だけ自身の体をずらし、死の軌道から間合いを外した。
キィン、ガァンッ!
硬質な金属音が連続して虚空に響き渡る。激しく擦れ合う鋼と鋼が、オレンジ色の火花を宙に散らした。
「速いな」
火花の向こう側で、ユスティナが感嘆とも呆れともつかない息を吐く。だが、ラヴィニアは無言だった。弾かれた剣を即座に手首の捻りで返し、さらに深く踏み込む。脳天を割る苛烈な斬り下ろし。胴を薙ぐ横薙ぎ。そして再びの鋭い突き。どれもが、王国の厳しい実戦訓練で磨き抜かれ、一切の淀みを削ぎ落とされた完璧な型だった。銀の連撃が、嵐のようにユスティナへと殺到する。
その怒涛の剣閃の中、ついにラヴィニアの刃が、ユスティナの左肩口を浅く掠めた。布が鋭く裂ける音と共に、暗い色の外套に赤黒い血がじんわりと滲む。
「っ……!」
苦悶を漏らすどころか、ユスティナは後ろへ跳躍して距離を取りながら、口の端を歪めて笑った。
「本気、ということか?」
「当然」
ラヴィニアの声は、凍てつくように硬かった。
「私は、誰かの背中を見ているだけの、飾り物の玉じゃないわ」
次の一合。今度はユスティナから動いた。
彼女の剣は、騎士のそれとは全く異なる、地を這うような低い軌道で走った。足元。地面そのものを削り取るかのような一撃。ザッ!という音と共に、刃が掬い上げた砂利と石の礫が、目潰しのようにラヴィニアの顔面へと跳ね上がった。
「くっ……!」
ラヴィニアは反射的に跳び退いて顔を庇うが、そのイレギュラーな攻撃により、完璧だった体勢が僅かに崩れる。戦場では、その”僅か”が致命傷となる。砂埃の向こうから、ユスティナが沈み込んだ低い姿勢のまま、猛然と踏み込んできた。
下から上へと抉り上げる、渾身の逆袈裟懸け。ラヴィニアは咄嗟に剣を横に寝かせ、両手で柄と峰を支えて盾にする。
ガガァンッ!!
受け止めた瞬間、腕の骨が砕けるかと思うほどの重烈な衝撃が、肩の付け根までビリビリと痺れを走らせた。
――重い。
それは単なる筋力の差ではない。生きるか死ぬかの泥沼を這いずり回ってきた”場数”の差。綺麗事では済まされない、実戦の重みそのものだった。だが、ラヴィニアは美しい顔を歪め、歯を食いしばって耐え抜く。膝は折らない。絶対に退かない。
「……アルベルトは」
ギリギリと火花を散らす鍔迫り合いの最中。互いの息がかかるほどの至近距離で、ユスティナが凄みのある低い声で問う。
「お前にとって、どんな存在だ?」
ラヴィニアの瞳に、強い光が宿る。痺れる腕に全身の力を込め、強引にユスティナの剣を押し返した。
「あなたに答える義務は、ない」
だが、弾き返した反動を利用して再び剣を上段に構えながら、彼女の唇から確かな言葉が紡がれた。
「それでも――私が、守りたい人よ」
言葉と共に、さらに強い力が刃に乗る。交差する剣が、今まで以上の激しい火花を散らした。その真っ直ぐな瞳と声に、ユスティナは一瞬だけ、眩しいものでも見るかのように目を細めた。
「……そうか。なら、余計にここは、譲れないな」
バンッ、と互いの技術と筋力が反発し合い、二人は同時に大きく跳ね退いた。再び、じりじりとした距離が開く。荒くなった呼吸が冷気に触れ、薄く白い靄となって混じり合う。瓦礫に囲まれたこの小さな空間では、もはや一切の躊躇や探り合いは終わっていた。
ゆっくりと、剣を構え直す。殺気と矜持が混ざり合った視線が、真っ直ぐに交わる。次の一合で、全てが決定的になる。言葉を交わさずとも、二人は互いの刃を通して、その残酷な結末をはっきりと理解していた。