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かんな
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(――なんで今更、こんなこと思い出してんだ)
小さい頃から、柊吾の全盛期は母親の真理子と共にあった。
生粋の「ステージママ」だった真理子は、柊吾のスケジュールから衣装、日々の言動に至るまで全てを管理し、完璧なマネージャーとして傍にいてくれた。母親の敷いたレールの上を走ることだけが、幼い柊吾の世界の全てだった。
最初に異変が起き始めたのは、高校生の頃だ。
完璧だったはずの真理子が、過密日程の時間を間違えるようになり、大切な仕事のスケジュールを丸ごとすっぽかすようになった。
現場に頭を下げて回る日々に違和感を覚えながらも、(――母さんも疲れてるだけだ。僕がしっかりすればいい)と自分に言い聞かせ、柊吾は慣れないスケジュール管理も自ら行うようになった。
だが、現実は残酷だった。
昨日までできていた当たり前のことが、今日にはできなくなっていく。
記憶が零れ落ち、少しずつ壊れていく母親の姿を間近で見続ける恐怖。全てのしかかってくるマネジメントと介護の負担、そして重なった多感な思春期のプレッシャーは、容赦なく十五歳の柊吾の心を砕いた。
加えて、そんな母を見かねたのか、あろうことか父は女を作って出て行ってしまった。
押し寄せる絶望とストレスに耐えかねたある日、喉の奥がぐっと締め付けられた。
『――っ、あ……』
声が出ない。
どれだけ喉を絞り出そうとしても、空気の抜けるかすかな音しか響かない。心因性の発声障害だった。
大好きな歌うことも、カメラの前で台詞を口にすることすらできなくなった「朝倉奏」から、瞬く間に仕事は奪われていった。スケジュールの空白とともにテレビから姿を消し、そのまま逃げるように芸能界をフェードアウトするしかなかったのだ。
決定的だったのは、柊吾が二十歳になった年の冬。
『若年性のアルツハイマー病です』
白い診察室で告げられた残酷な病名。けれど、不思議と驚きはなかった。ただ「やっぱりそうだったんだ」と、冷え切った絶望が胸を満たしていった。
『朝倉奏、激太りで引退?』
『重度の薬物依存で警察が捜査中か』
ネットを開けば、根も葉もない卑劣な噂や捏造記事が死肉に群がるハイエナのように溢れかえっていた。画面をスクロールするたびに視界がチカチカと火花を散らし、吐き気で立っていられなくなる。
(――見なきゃよかった。こんなの、見るんじゃなかった)
震える指でアプリを削除し、スマホを壁に投げつけて以来、柊吾は二度とネットニュースを開かなくなった。
あの頃すでに、声は出なくなっていた。歌も、舞台も、すべてを失った柊吾に残されたのは、壊れていく母親だけだった。
(僕は母さんを一人にしない。絶対に見捨てない)
そう心に誓ってから、もう四年。
あの舞台の輝きも、歓声も、喉を通り抜ける歌声の感触も、すべてはボロアパートの片隅で消え失せた過去の幻影だ。
――のはずなのに。
割れた茶碗の欠片を掃き集める柊吾の手が、ふと止まる。
窓の外はもうすっかり日が落ち、隣の部屋からかすかに、誰かの生活音が漏れ聞こえてくる。まだ知らない、名前も顔も知らない誰かの、ごく普通の夕暮れ時。
(……いいな、普通の生活って)
小さくこぼれた本音を、柊吾はすぐに握りつぶした。
「大丈夫。僕はちゃんとやれてる」――もう何百回も自分に言い聞かせてきた呪文を、今夜もまた唱える。
ちりとりに残った最後の欠片を捨てて、柊吾は台所の明かりを付けて、エプロンを付け夕食の準備に取り掛かった。
コメント
1件
ああ、読んだ読んだ……。第2話、すごく重くて、でも丁寧な描写だったね。 特に、柊吾が「大丈夫。僕はちゃんとやれてる」って自分に言い聞かせるところ、何度も繰り返してきたんだろうなって胸が締め付けられたよ。あの呪文みたいな言葉、痛いほど伝わってきた。それと、隣の部屋の生活音に「普通の生活」って憧れる瞬間、彼の諦めと寂しさが一気に滲んでくるようだった。 「二度とネットニュースを開かなくなった」っていう一節も、あの業界の残酷さを象徴しててぐっときた。これは続きが気になるな……。