〈ストーリー〉
※「束の間の一花」の設定を少し拝借します
目が覚めると、いつもと同じ寝室。
隣の君を起こさないように、そっとベッドから下りる。
カーテンを開けると朝日が降り注ぐ……というのが彼女の希望だったが、現実にはそういかなかった。
その代わり、朝日は眩いばかりに向かいのビルを照らしている。
大きく伸びをして、キッチンへ向かう。今日はサンドイッチにしようかな、と考えていると、足音が聞こえた。
「おはようございます」
鈴の音のような声がして振り返ると、かわいらしい寝ぐせのついた彼女が立っている。
「おはよう」
まだ半分夢の中なのか、表情がふわふわしている。
「ほら、顔洗っておいで」
はーい、と返事をしてリビングを出る。
「いただきます」
ふたりで向き合って時間を共にできる、幸せな時間。
食卓には手製のサンドイッチが並ぶ。僕のだけ具材のトマトが多めなのは、秘密。
「…美味しいです」
よかった、と笑った。
ゆっくりと食べ進め、揃ってごちそうさまをする。それぞれピルケースから薬を取り出して飲んだ。
「あっ、ヤバ、もうこんな時間」
彼女があたふたと準備をする。
僕はずっと家にいるけど、彼女は大学生。
教科書やらノートパソコンやらを入れた鞄を持つと、上着を羽織って玄関に向かった。
「辛くなったら連絡してね。気を付けて」
はい、と振り返る。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
元気に言って、外に出て行った。
ダイニングテーブルの花瓶の水を替えながら、何をしようかな、と考える。
大学で哲学の講師をしていたけれど、病気がわかって辞めてしまった。だから仕事にも出ないし、特に行く場所もない。
元気だったころの生活を思い出した。
好きな学問を追求できて、こんな僕に近づいてきてくれた彼女といるのも楽しかった。
なのに、膵臓がんのせいですべてを失った……気がしていた。彼女だけがそばに居続けてくれた。
その彼女と僕は、同じ境遇だった。
考え方も性格もまるで違うのに、ふたりは余命宣告を受けている。向かう先が一緒というところに、僕はどこか安心した。
そして今日も、彼女のことを想いながら帰りを待つ。
「花を買ってこようかな」
運動不足は身体に悪いし、と意味のない言い訳をして重い腰を上げる。
第一、花が好きな彼女のためだ。
さっき水を替えたばかりの花は、少し前に迎え入れた向日葵。季節は秋になり、もうすっかりしぼんでしまった。
どんな花があるかな、と心も浮き立つ。
外に出てみると、暖かなそよ風が吹く。こういうのを小春日和というのだろう。
家を出てしばらく歩くと、小さくてこぢんまりとした花屋がある。
店先にもたくさんの花で溢れている。一足踏み入れると、自然の香りで包まれた。華やかで甘くて、どこか澄んでいる。
と、目立つところに置いてあるピンクや白のコスモスに目が留まった。清廉かつ可憐なその姿はとても微笑ましい。
これにしよう、と即決だった。
紙に包まれたコスモスを片手に家路についたとき、ポケットのスマホが震えた。
「はい」
聞こえてきたのは、知らない男性の声だった。
自分の携帯であるかと確認をしてくる。訳のわからぬまま答えると、男性は病院の医師で、彼女が大学で倒れたと言った。
目の前が真っ暗になるようだった。
続く
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