伊藤空…伊藤空はどこに。
探さなきゃ。
身体と意識は統合しておらず、夢の続きを見ているようだった。頭の中で、(早く立ち上がって彼女を探すんだ。)と、何度も言い聞かせ私は立ち上がる。
「空ちゃん…」
右の手がスギズキと痛くて痒い。刺さった破片を適当に取り除く。一つ一つを相手にしていては、時間がかかってしまう。部屋の隅に置いてある見慣れた鞄のもとへすかさず駆け寄り、私は中を確認する。ハンカチは小さいが、弁当箱を包むナフキンなら大丈夫だ。
せめて傷口を隠すため、私は血濡れた右手をナフキンで包み隠すように縛る。
私は彼女を探さなくてはならない
一刻を争う。早く行かなくては。私はノブを回して部屋を出た。階段を駆け下り、玄関の扉を開けて勢いよく外へ出た。日は既に沈み込み、辛うじて夕暮れの明るさが空の青を映し出していた。夏の湿った熱のある空気を大きく吸い込む。もう間に合わないんじゃないかと顔をしかめてしまう。
だめだこんなところで諦め癖を出すんじゃない。
走れ。走れ。走るんだ!
私はもう一度彼女に会わなきゃいけない。
仕組まれた悲劇の舞台で、
涙を流し走る彼女を誰も知らない。
現世の境界で
幼いあなたはありもしない夢を見た。
人魚は泡になってこの世界から消えていた。
あの子、自殺したんだってね
えっそうなの?!やっちゃったかー。にしても、ほんっと何で”空ちゃんを刺した”したんだろねー。それさえしなきゃわざわざ自殺なんてしなくても済んだかもしれないのにね。
そういえばあの子目笑ってなかった気がするかも
将来のこととか考えずにやったからじゃない?衝動的にさ。感情を優先させたんじゃない?確か、犯罪歴みたいなのってばれるよな?就職にも大不利益やんねー奨学金だってあの子借りてるんでしょ。お金まじやばいんじゃない。生きてたらだけど。
それな。親にも迷惑かけた訳だし。そりゃ自殺するか。追い詰められて。か弱い心の所為ってこと?いや、最悪じゃんあいつww。後始末全部親にやらせるんかよ。私だったら健気に罪償い頑張るけどな。…なにそれほんと…馬鹿じゃない?私より親に恵まれてんのに何様だよ。
こんなの皆の聞こえるとこで言ったらだめだよw同情しとかなきゃwいや、ほんと”私ら”まじ病んでるわー
伊藤空の無断欠席にざわめきが生じた。それは徐々に大きくなっていた。確認をしても確認をしても彼女からの返信がない。電話をしても電話をしても不在着信。
そしてもう一人無断欠席をしている生徒がいた。
神代楓果。
きっと二人は何か繋がりがあるに違いない。
神代楓果は家におらず、彼女の親はその事態を把握していなかったらしい。奇妙な緊張感が空間を漂う。
今までにない異様な雰囲気に少しわくわくしながら、あるクラスメイトがトイレに行くため教室を出た。廊下は今までにない程騒がしく、いつも使う場所も定員オーバーのようなので、わざわざ一階まで下りて人気のない外のトイレを利用した。
「私が空ちゃんを刺したの。」
どきりと手を洗うのを止め、小さく聞こえた声のする方に顔を傾ける。
狭い出口で立っていたのは、この学校の制服を着た、寝癖でひねる髪を無造作に下ろした人。
本能的に逃げたくなるような気持ちを耐えた。ぴくりとも動いてはいけない感覚に呼吸をすることも止めてしまう。
蛇口からは水の流れる音。この空間が悪夢ではなく、日常の続きであることを知らせ続ける。
この人は誰なのか。異様な存在が私の好奇心を掻き立てる。確認せずにはいられなかった。私は顔を確認するため恐る恐る視線を持ち上げる。
彼女はにやにやと歯を見せ口角を徐々に上げていた。
悲しみに黒く滲む目がこちらを見た。
髪を下ろしていて誰かは分からなかったが、きっとこの人が神代楓果だ。そう感じた。
砂を踏みしめ蝉の声を呼び起こしゆっくりと右手の方へ消えた彼女を他所に私は全力で教室へ逃げる。
瞬時に事実は広がった。
神代楓果は空を刺した。
警察は動き出す。
神代楓果は空から降ってきた。
目撃者は震えて目を隠す。
伊藤空
“から”って書いて空。空白の”くう”だよ。
なんで?青空の空でいいじゃん。自虐ネタ?
いや、だってさ。なんで空?って思ったのよ。名前に不満がちょっとあってさ。…そう、自虐ネタかもw
おもんな。何それ
あっなんかごめん。いらついた?もうやらんとく。
いいよ別に好きにやれば。そんなん知らん。
(….)
白くぼやけた輪郭のない記憶を思い出していた。
あんなこと言ってごめん。空ちゃん…ごめん。
私を狂わせたのはナイフ。
夢と現実がどこにあるのか未だにはっきりしない。
目が覚めると私は病室にいた。身体に入り込む管が私はここにいるのだと感覚を通じて教えてくれた。
意識がとても重く、ここにいてもしんどいだけなので私はもうしばらく眠ることにした。
コメント
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執筆お疲れ様です!!!! 描写が細やかに美しく書かれていて、情景が目に浮かんできました。 最後の盛り上がり方というか、終わりに近づく流れの作り方がお上手で、余韻が半端ないです…‼️😭 空ちゃんがここまで物語に関与するとは思いもしていなかったので、この結末に衝撃が隠せません…それと同時に、読んでよかったなと言う謎の達成感を感じています! この作品に出会えて本当に良かったです!☺️✨✨
どうか安らかに…おやすみなさい☺️ …はあ〜(余韻)…執筆お疲れ様でした!!! 最後の最後まで楽しませてくれる良い作品でした…👏😌 この出会いに感謝、ですね🙏😊 こちらこそ…たくさんの良い作品、期待に胸を躍らせてお待ちしております👍✨ …とは言っても、無理はしないでくださいね😉(笑)