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鏡花の勤め先の大手都市銀行の年末年始の休みは二九日からだったけれど、それでは二八日にある同窓会に間に合わない。
ちょうど有給休暇もほとんど使えていなかったのもあって、鏡花は遠方の実家への帰省を理由に、今年は皆より大分早めの二六日から休暇をもらった。
幸い鏡花の勤める銀行は福利厚生面も、人間関係も良好だったから。
鏡花の少し長めの年末年始の休暇について、誰からも不満の声は上がらなかった。
そんなわけで、鏡花は早速のように二六日の昼過ぎには実家にたどり着いていたわけだけど――。
「八雲兄が帰ってくる前に彼女の写真、私に見してみんちゃい」
家族全員への情報提供者としては、他のメンバーよりちょっとでもたくさん情報が欲しいところ。
そう思った鏡花だったのだけれど。
「写真なんか見せんでもお前はよく知っちょる子じゃけぇ」
「えっ。ちょっと待って? 何それ。どう言う意味なん?」
「じゃけ、まんまそう言う意味じゃって」
煮え切らない兄の態度に、鏡花はモヤモヤが募る。
「私の知り合いじゃっちゅうんなら、彼女の名前言うてみんさい! 知っちょる子なら名前で分かるけん! 言わんのじゃったら……」
両手を実篤の方へ突き出してニギニギとくすぐる仕草をしてみせる。
小さい頃から兄はくすぐられるのを極端に嫌がった。
身長差がなければ両頬を握り拳で挟んでグリグリと痛い思いをさせたいところだけど、それは無理だから仕方がない。
実篤が最も苦手なウエストの両サイドあたりに照準を定めてジリジリ追い詰めたら、実篤が観念したように「くっ、くるみちゃん! 木下くるみちゃんよ!」と信じられない名前を口にした。
「ちょっ、寝言は寝て言いんさい!」
と思わず言いたくなったのも仕方がないではないか。
だって、木下くるみと言えば……鏡花の補習仲間であるとともに、〝学校一可愛い(小悪魔)マドンナ〟と名高かった同級生だ。
とても恋愛偏差値中学生男子の長兄の手に負えるとは思えない。
プレイボーイで名高い次兄の八雲ならまだしも!
***
「それでね、鏡花がどぉーしてもくるみちゃんに会わせろってうるさいんよ」
はぁ〜っと盛大にため息を吐きながら携帯を握りしめたら、通話口からクスクスと愛らしい笑い声が聞こえてきた。
『なんちゅうか、ホンマ鏡花ちゃんらしいね』
耳馴染んだ心地よいくるみの声が、笑い声に混ざって実篤の鼓膜を震わせる。
携帯から聞こえてくる声は、およそ二千パターン用意されている「音声の情報データ」から検索をかけ、「似た声」を合成したものらしい。
そのことを知った時、何じゃそれ?と思った実篤だったけれど、いまこうしてくるみと話していても、聞こえてくる声は彼女の声そのものに聴こえるのだから、技術というのは本当に凄いなと思う。
(ってそんなんどうでもええわ)
「今夜鏡花だけじゃなくて弟の八雲も……ついで言うとうちの両親も帰って来るんじゃけど……その……」
鏡花は「夕飯を一緒に食べよぉ?って誘うてみんさい」と提示してきた。
「もしそれでくるみちゃんが来たらお兄ちゃんの妄言が真実じゃったって信じちゃげる」
そう責付かれた実篤だったけれど。
そもそもそんなに疑うなら鏡花がくるみに電話して「うちのお兄ちゃんと付き合いよぉーるってホンマなん?」と聞けば良いだけの話ではないか。
自分もだけど、くるみの仕事納めも明日なのだ。
一足早く年末年始の休みに入った鏡花や八雲や、――ましてや年金暮らしで毎日が休日な両親らと一緒にされては敵わない。
実篤なんかよりうんと朝が早いはずのくるみに、こんなワガママな打診をしてもええんじゃろうか?と迷いまくりの実篤に、くるみが助け舟を出してくれた。
『明日も仕事じゃけぇあんまり遅うはなれんですけど……それでも良かったら是非』
「ホンマにええん?」
『ええも何も。結局あの日からうちら、会えちょらんのんですよ? 好きな人の顔が見たいって思うちょるんは、うちだけなん?』
可愛らしくそんな風に言われた実篤は「俺も会いたいに決まっちょる!」と食い気味に答えていた。
くるみが言うように、彼女に〝月のもの〟が来て何も出来ずに添い寝したあの泊まりの日からかれこれ一週間ちょっと。
実篤がインフルになったり何だりでわざわざくるみが会社に来てくれる移動販売の日ですら会えなかった二人だ。
実際、くるみロスでしんどいと思っていたところに、夕飯を一緒に……は――二人きりならば――言うことなしな、渡に船な提案だった。
***
実篤がくるみを迎えに行って、家に連れて帰った頃には、家族が全員家にそろっていた。
「うっそぉ〜! ホンマにくるみちゃんじゃん! お兄ちゃんの〝夢彼女〟じゃなかったぁぁぁ!」
玄関扉を開けるなり、鏡花が失礼極まりない言葉を投げかけてくる。
そんな鏡花の後ろ。玄関先には八雲や両親まで出て来ていて、家族全員が揃い踏み。
「うっ」
思わずその光景に圧倒されて、実篤は変な声が出てしまった。
そんな実篤の横でくるみが「私が実篤さんの夢彼女……」とつぶやいて、まるでそれがツボにハマったみたいにクスクス笑う。
「くるみちゃぁ〜ん」
実篤がそんなくるみを、情けない声を出して見つめるのを見て、鏡花は内心(このふたり、案外うまくいってる?)と思ったけれど悔しいので口には出さずにおいた。
「あー、この子のこと、俺、覚えとる! 父さんの不動産屋の近くにあった、あんぱんの旨いパン屋のばあちゃん家のお孫ちゃんじゃろ!」
八雲のセリフに、その場にいた全員が「えっ⁉︎」と声を上げた。
***
「まぁ玄関先で立ち話もなんじゃけ、中入って食べながら話さん? ――お腹も空いたし」
母・鈴子に促されて、ハッとしたようにくるみが実篤の横に出てガバリと頭を下げる。
「あ、あのっ。ご挨拶が遅れまして! 私、実篤さんとお付き合いさせて頂いちょります、木下くるみと申しますっ。え、えっと、鏡花ちゃ……じゃのぉて……そのっ、きょ、鏡花さんの同級生ですっ」
くるみの突然の挨拶に、鈴子がキョトンとして固まって……。
「ああ、くるみちゃん。そんなかしこまらんでもええんよ? うちはご覧の通り、そんな大した家じゃないけぇ。まぁ、とりあえず遠慮せんと上がって上がって」
それを補うように父・連史郎が強面顔を思いっきり緩めて目尻に皺を作る。
途端、今度はくるみがポォーッと固まってしまった。
「じゃけ、父さん! その顔は怖いけんしたらいけんっていつも言いよぉーるじゃ……」
それを見た実篤が慌てて父親を牽制したのだけれど。
「そんなん言われてもお前も同じようなモンじゃろぉーが」
「あらぁ〜。お母さんはお父さんの笑顔、可愛ゆ〜て大好きじゃけどねぇ? まぁ二人とも上がって上がって」
(いや、今はここ、俺の家なんじゃけどね⁉︎)
などと思った実篤を置き去りに、
「いや〜俺、母さん似でホンマえかったわぁ〜」
「私も!」
各々に好きなことを言いながらゾロゾロと奥に入っていく栗野家の面々だ。
玄関先に立ち尽くしたままそんな彼らを見送る形になったくるみと実篤だったけれど。
「くるみちゃん、大丈夫?」
実篤がくるみの手をそっと引いて、靴を脱ごうと促したら、
「実篤さんのお父さんの笑顔。あんまりカッコええけん、うち、思わず見惚れちゃいましたよぅ。実篤さんはお父様似なんじゃね」
とかくるみがつぶやくから、実篤はにわかに不安になる。
まさかあの父親を〝かっこいい〟と言われる日が来ようとは。
「ちょっ、くるみちゃんっ⁉︎」
靴を脱ぎ掛けで中途半端な体勢のまま眉根を寄せた実篤の顔をじっと見下ろすと、くるみが上がりかまちに腰掛けてスニーカーを脱ぎながらふふっと笑う。
「それでもうち、実篤さんのお顔が一番好きですけぇね? そぉやって不安そうにしてくれるんも、凄く可愛いですし、凛々しいお顔とのギャップ萌えでキュンキュンきます」
どうやら十人中九人は「怖い」と思う実篤(と父・連史郎)の強面顔だけど、くるみには〝凛々しく〟見えているらしい。
そのことにも驚いた実篤だったけれど、間近で真っ直ぐに見つめられて、「やっぱりうちは実篤さんのお顔が一番大好きです!」と、再度しみじみド・ストレートに告げられた言葉が、実篤の心を鷲掴みにする。