テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
それでは、
どうぞ。
ーーー
花は散り際が1番綺麗だと人々は言う。
けれど、それは本当なのだろうか。
永遠に咲く花があれば、手に取ってずっと愛でている方が幸せじゃないのだろうか。
それでも、貴女の散り際なんて見たくない。
ーーー
桜花の髪を撫でていた。
細く、しなやかで、指を通すと絡まりのない髪。月の光がそれを照らして銀糸のように輝く。
彼女の寝息が静かに響く。穏やかで、安らかで、何も変わらないはずだった。
_でも、本当にそうだろうか?
そっと息を呑む。胸の奥で小さな不安が芽を出す。
美しい花が、私のような雑草によって摘み取られていく気がして、恐ろしかった。
それでも、我慢できなかった。
🩵「ねえ、桜花?」
名前を呼ぶと、まるでまだ夢の中にいるように、桜花がゆっくりと目を開けた。
💜「ん、…なあに。」
寝起きの声は少し枯れていて、私の心を優しくくすぐる。いつもの声。いつもの顔。
けれど、確かめずにはいられなかった。
出てしまった芽は、みるみるうちに成長していく。それを、心のどこかで感じていた。
🩵「私のこと、覚えてる?」
桜花は、ぼんやりと目を瞬かせた。
少しの沈黙。
私の心臓が、冷たくなる。
_もしかして。
そんな不安が過って、冷たくなった心臓がさらに締め付けられていく。苦しい、苦しい、。やめて、まだ言わないで。
そんな不安をよそに、桜花はクスッと笑った。
💜「何それ、変なの。」
💜「ゆずでしょ?わかるよ、そのくらい。」
大きく息を吐いた。
胸の奥の不安はまだ残っているはずなのに、安堵がそれを覆い隠す。
肩の力が抜けた私を不思議そうに見つめる桜花。
そんな様子がまだ見れているだけで幸せだ。
ああ、こんなにも美しい花を保存していたい。
何をするにしても、私はただ鮮やかな彩りを失いたくなかっただけだった。
🩵「うん、そうだよ。」
それだけ、返事をして私は彼女の手を握った。
彼女はただただ嬉しそうに私に愛の言葉を囁いた。
ーーー
私は、昨日と変わらず声をかけた。
昨日だって覚えてくれていたんだ。今日だって、まだ大丈夫なはず。
まだ、まだ…間に合うよね。
ただ、ゆっくりと昨日のように振り向く桜花から聞こえてくる言葉は、私が最も恐れていたものだった。
💜「誰、…?」
私の時間は、そこで止まった。
🩵「え、?」
🩵「私、柚葉。柚葉だよ。ずっと一緒にいたでしょ?」
💜「ご、ごめんなさい…えっと、私…君のこと知らない。」
桜花の顔は本気だった。
冗談なんかじゃない、本気で私のことを思い出せていない。
笑おうとした。
けど、上手くできない。喉が詰まる。息ができない。
🩵「う、嘘だよね?」
🩵「私、貴女の恋人なんだよ…。」
桜花は困ったように眉を顰めて、頭を抱える。
💜「本当に、ごめんなさい。どうしても、思い出せない。」
私の胸の奥で、何かが崩れた。
_ねえ、どうして神様はそんなことをするの?
たった、たった昨日まで彼女は私のことを愛していたのに。
こんなふうに、それなのに。ただの他人になるなんて。
こんな終わり方、あっていいわけない。でも、受け入れなきゃいけない。これは、誰も悪くないんだから。
🩵「そ、そっか。」
無理やり、口角を上げた。笑った。必死に目から溢れ出てくるものを隠しながら。
目の前の彼女は、ただ申し訳なさそうに言った。
💜「気にしないで、ちょっと疲れてるのかも。」
🩵「そうだよね、きっと…。」
震える指で、桜花の髪を撫でた。
変わったことはただ一つ。
_もう、彼女は私のことを愛していない。
いや、彼女は私のことを知らない。
桜花と私を結んでいた花冠が、少しずつ解けていく。
彼女という花はそこに咲いているのに、私だけが枯れていく。
なら、せめてでも。散り際に、枯れる前に一つだけ。
🩵「桜花、愛してる。」
笑ったまま、泣いていた。
涙が頬を伝う。嗚咽がこぼれそうになるのを必死に抑える。
_ねえ、お願い。1度でいいから、名前を呼んで。
もう1度でいいから。
そして、桜花は静かに微笑んだ。
💜「ありがとうございます。」
その瞬間、私の世界が崩れ落ちた。
もう、どこにも、自分はいない。
そのまま、そっと後ずさる。
桜花の視線から、自分を消すように。
彼女は、幸せそうだった。
それなら、いい。
それなら、このままで。
私は、静かに背を向けて、その場を去った。
まるで最初から、いなかったように。
_若年性アルツハイマー。
桜花という鮮やかで綺麗な花を蝕んでいた名前だった。
本人はそれを知らなかった。
柚葉だけ知っていた。
本人が知ってしまったら、『私はゆずの迷惑になる。』と言ってしまいそうだったから。
彼女なりの最大限にできる愛情表現だった。
end…
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!