テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
l 。 l 🏐
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
時計の針が刻む音さえ聞こえない。
遮光カーテンが隙間なく引かれたこの部屋では、今が昼なのか夜なのか、それとも永遠に続く黄昏時(たそがれどき)なのかさえ判別がつかない。
四ノ宮 紬は、冷たいベッドの隅で膝を抱え、ただ一点、開かないドアを見つめていた。
(……あの日、屋上で、角名先輩と話したの……いつだっけ)
脳裏に浮かぶのは、抜けるような青空。
風に吹かれながら、隣で気だるそうにカロリーメイトを齧(かじ)っていた角名さんの横顔。
あの時、彼は「攻略不可のクールな先輩」で、私は「ただの憧れを抱く後輩」だった。
境界線は確かにあった。触れられそうで触れられない、あのもどかしくも美しい距離感が、今の私には、前世の記憶のように遠く、輝いて見える。
「……っ、……おねがい、だれか……」
掠れた声を出しても、厚い壁がそれを無慈悲に跳ね返す。
スマホは粉々に砕かれ、外の世界と繋がる手段はすべて断たれた。
右足首には、細いけれど決して外れない金属の感触。彼が「迷子にならないように」と笑いながら付けた鎖が、動くたびにチャリ、と絶望の音を立てる。
孤独。空腹。そして、何より恐ろしいのは。
この暗闇の中で数時間を過ごしていると、自分をここに閉じ込めたはずの「角名倫太郎」という男の、あの熱い体温が恋しくて堪らなくなることだ。
ガチャン、と玄関の鍵が開く音がした。
私の心臓が、恐怖と、それ以上に醜い「安堵」で激しく脈打つ。
「……ただいま、紬。……いい子にしてた?」
扉が開くと、外の廊下のわずかな光を背負って、角名さんが入ってきた。
彼は迷いのない足取りでベッドへ近づくと、怯える私の頬を、大きな掌で包み込む。
練習後の、あの清潔でいて狂おしい、石鹸と熱の混じった香り。
「……角名、さん……っ、……おかえり、なさい……っ」
自分でも信じられない言葉が、唇から零れ落ちた。
角名さんは満足げに、獲物を愛でる捕食者の瞳を細め、私の首筋——もう痣(あざ)で埋め尽くされた場所に、深く、執拗に顔を埋めた。
「……可愛いね。……俺がいないと、声の出し方も忘れちゃうんだ。……ねぇ、紬。外はもう、真っ暗だよ。……君の世界には、俺しかいないね」
彼は買ってきた夕食をサイドテーブルに置くと、私のジャージの襟を掴み、昨夜よりもさらに深く、自分の「所有印」を刻み付けた。
痛い。けれど、その痛みが、私がまだ「彼の所有物」として生きている唯一の証拠だった。
「……合宿の屋上でさ、君が『空が綺麗ですね』って言った時。……俺、それどころじゃなかったんだよね。……早く君を、この暗い部屋に連れてきたくて、そればっかり考えてた」
角名さんの囁きが、私の理性をじわじわと侵食していく。
攻略不可だった境界線の、その最果て。
私は、自由な青空を捨て、彼という名の深い、深い闇に、自ら沈んでいくことを選ばされていた。
「……一生、ここから出さないよ。……俺だけを見て、俺だけに飼われて。……幸せでしょ?」
彼は私の涙を舌で掬(すく)い取り、逃げ場のない甘い絶望を、私の喉の奥へと注ぎ込んだ。