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営業車をコインパーキングに停め、私は久しぶりに藤嗣寺の門をくぐった。
入って右手に寺務所がある。
寺務所では一人の男性が書き物をしていた。
「すみません、ロウソクとお線香を頂きたいのですが……」
「ああ、そこの小さな賽銭箱がロウソクと線香用になっています。小銭、お持ちですか?」
私と同世代の、作務衣を着た、優しそうなお坊さんだった。
今やほとんどの支払いはキャッシュレス決済。若者は小銭など持ち合わせていないと思われたのだろう。
会社の自販機が現金のみなので、持っていて良かったわ。
「あります。大丈夫です」
「お参りの手順、わかりますか?」
「お参りの手順?」
何だろう……。ろうそくとお線香を立てて、ただ手を合わせるだけじゃダメなのかしら?
「すみません。小さいときに祖母に連れられてこちらに来たことはあるのですが、お参りの仕方までは覚えていなくて……」
「そうですか。ここややこしいんですよ。もちろんごく普通に手を合わせていただいてもいいんですが、せっかくならこの通りにされた方が御利益があるかと……」
そう言いながら、小さな冊子を渡してくれた。
その冊子には寺の由来と、お参りの手順が写真と文字で丁寧に書かれていた。
ここは通称『融通さん』と言われているお寺で、祈念すれば何かと融通をきかせてくれるという謂れのお寺。そのためのお参りの手順があるってことなのね。
「もしよろしければ一緒に回りましょうか?」
「え」
「あ、ナンパじゃないですよ。私、妻も子供もおりますので」
「……ハッ、あ、いや、そんな風には思っていません! でも……私一人のためにいいんですか?」
「もちろんです」
親切なお坊さんだわ。
それからそのお坊さんはロウソク2本とお線香21本を持った私に正しいお参りコースを案内してくれた。
「本堂に入る前にまずこちらの常香炉で全ての線香に火をつけます」
「は、はい」
「その線香を3本ずつ、常香炉の左右に差してください」
私は言われたとおり、広い常香炉の端と端にお線香を3本ずつ差した。
「次にこちらの5つの寺社にもお願い事をし、3本ずつお供えください」
「はい……」
3本ずつ、3本ずつ、3本ずつ……。
私はせっせと小さな寺社にお線香とお賽銭を供え、お参りを繰り返す。
急がないと火をつけたお線香はどんどん短くなっていく。
「終わりましたか? では本堂へご案内します」
え、待って、待って。
ここのお参り、忙しくない!?
本堂でもロウソク、お線香、般若心経……とこちらも盛りだくさん。
これは案内してもらわないと絶対に分からないわ。
「ようお参りなさいました。お疲れ様でしたね」
「は、はい……」
本当に疲れたよ。
この手順、慣れるまで大変だ。
「毎月1の付く日はたくさんの方が参拝に来られます。昨日も夜も遅くまで開門していたんですよ」
「そうなんですか。こちら立地もいいですよね」
「駅上ですからね。……熱心に祈念されていましたね」
「あ、はい……。ただただ娘の健康と幸せをと」
「娘さんがいらっしゃるんですか?」
「はい。3歳になります」
「うちの息子と同じだ。幼稚園から帰ったらいつもあそこで遊んでいますよ」
そう言って、寺務所から目の届くところにあるブランコに目を向けた。
装飾のない簡素なブランコが境内の隅っこにひっそりと存在していた。
「ブランコ、いいですね。いつもお父さんの傍で……目の届くところで遊べると安心ですものね」
「お近くですか?」
「自宅ですか? ここは自宅からだと……自転車で15分くらいかな」
「もしよろしければ、また娘さんとお越しください。お参りの間、ここで待てますから」
そう言ってお坊さんはにっこり笑った。
あれ? 誰かに似てる??
そうだ、祖母の初恋の人だ! 体型は少し違うけれど、笑った顔はよく似ているわ。
でもそれって当たり前か。きっとこの人は祖母の初恋の人のお孫さんだ。似ていて当然だろう。
「……ありがとうございます。今度連れてきます」
これも縁なんだろうな……。
祖母が生きていたらびっくりするかな。でも喜んでくれるかもしれない。