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ビル内がざわついていることに日比野は気付いていた。それが智絵里によるものだということも。
あんなに男性に拒絶反応を見せ、全く関わろうとしなかった智絵里の左手の薬指に、なんとダイヤの指輪が輝きを放っている。
当の智絵里はといえば、妙にソワソワしては指輪を見てニヤける。智絵里のこんな姿を見たことがなかった日比野は、笑いを堪えるのに必死だった。
「智絵里ちゃんってば、にやけ過ぎ」
日比野が言うと、智絵里は顔を真っ赤にして、両手で顔を覆う。
「す、すみません。浮かれ過ぎてますよね……」
「別にいいんじゃない? それにしても篠田くんと再会して三ヶ月? なんかトントン拍子だよねぇ」
「私も信じられないです……」
「友達から恋人だもんねえ。どう? 友情から恋ってアリ?」
「……私はむしろアリでした。だって私みたいな面倒くさい性格、最初から理解してもらえてたら隠す必要もないので」
そう言ってから智絵里は指輪を大切そうに撫でる。
「正直、私は結婚しないで、独身のままこの会社に居座るって思ってたんですけど……」
「たった三ヶ月で人生変わっちゃったね」
「……ただ気になることがあって……」
「えっ、なになに?」
先ほどまで嬉しそうにしていた智絵里の表情が一気に曇る。
「……このビルの中に恭介の元カノがいるみたいなんです……」
「……智絵里ちゃん、知らぬが仏よ。忘れなさい」
日比野に背中を叩かれ、智絵里は渋々頷いた。
* * * *
仕事を終えて帰り支度を始めた松尾に、恭介は紙袋を手渡した。
「一泊で旅行に行ったんで、少しですがお土産です。良かったらどうぞ」
「気がきくじゃん! おっ、ご当地ビールとつまみ! いいねぇ。畑山ちゃんと上手くいってるみたいで俺は嬉しいぞ〜」
「ありがとうございます。お陰様でプロポーズして、OKの返事ももらいました」
恭介がサラッと言ってから立ち上がったため、松尾は驚いてひっくり返りそうになる。
「おまっ……なんでそんな大事なことをサラッと言っちゃうんだよ!」
「別に、ただの報告なんで」
「おいおい! 何がどうなって、どんなシチュエーションでどう返事が来たかとか、教えろよ〜! 気になるだろ〜!」
「まぁいずれ機会があったら」
「お前の恋のキューピッドの松尾さんだぞ! 最後まできちんと報告しろよ!」
「相変わらず乙女ですね、松尾さん」
「……お前、畑山ちゃん以外だとドライだよな」
その時恭介のスマホが鳴る。画面に表示された名前を見ると、慌ててオフィスから飛び出した。
非常階段へのドアを開け、外に出る。
「もしもし」
『仕事中に悪いな。蒔田にお前に伝えて欲しいって言われて』
電話の主は早川だった。
「何かあったのか?」
『杉山が蒔田に畑山の職場を聞いてきたらしい』
「……それで蒔田は?」
『蒔田は知らないって答えたらしい。まぁ実際知らないからな。そしたら畑山を見かけたっていうビルの場所を、別の教師が杉山に教えたらしい』
「わざわざ聞いてきたってことは、接触しようとしてるってことか?」
『蒔田によれば、ずっと預かってるものがあるから返したいって言ってたんだと。それが事実かはわからないが、俺たちは張り込みをして杉山の出方を見る』
「わかった……」
恭介は非常階段の手すりに寄りかかる。
杉山は智絵里に会おうとしている。この間の同窓会に来たのも、智絵里目当てだったことは確実だろう。
じゃあ目的は? ただ会って話すだけ? それなら俺をあんな目で睨みつけない。やっぱり智絵里と関係を持とうとしているのか?
でもあの日、智絵里はあいつの前から逃げ出した。理由を考えれば、何があったかを感じ取ったからに他ならない。そんな相手に何もなかったように近付いたって、拒否されることは目に見えているはずだ。じゃあ拒否されないための何かがあるのか……?
恭介ははっとする。智絵里が言うことを聞かざるを得ないような証拠があるのか? それを使って脅そうとしている?
恭介はスマホを握りしめ、急いでオフィスに戻った。