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奏に背を向け、自宅に向けて夜の道をひとり歩きながら、足音だけが妙に大きく響いていた。
街灯の下を通るたびに、影が伸び縮みする。その影を見ていると、さっきの自分の顔も、きっとこんなふうに歪んでいたんじゃないかと思えてくる。
(……俺、なにをやってんだ)
後輩が奏に近づいてきただけで、あんなに声を荒げるなんて。頭では「ただの友達だ」ってわかってる。でも、胸の奥でチリチリと嫉妬が燃え上がった瞬間、もう理屈なんて消えていた。
あの場で感情をぶつけなかったのは、単に見られたくなかったから。後輩の前で、情けない俺を見せたくなかった。
……けど、結局奏とふたりきりになってからは、感情を抑えきれずにグチグチ言ってしまった。自分の弱さだけじゃなく、醜いところも見せてしまう結果になった。
奏のあの表情――困ったような、怯えたような目。あれが頭の流れからずっと離れない。
(俺は……奏を守りたいだけなんだ)
そう自分に言い聞かせても、胸の奥に引っかかるのは別の感情だった。守ると言ってるクセに、奏を縛ろうとしてたんじゃないだろうか。
ポケットの中でスマホが重い。メッセージアプリを開けば、奏の名前がすぐ目に飛び込んでくる。なにか言わなきゃ……謝らなきゃ。
けど、指は動かなかった。素直になればいいだけのことが、やけに難しく感じる。吐く息が白く夜に溶けていく。遠くで電車が通り過ぎる音がして、やけに心に染みた。
翌朝、目覚ましが鳴るより早く目が覚めた。頭は重く、眠った気がしない。昨日の奏の目が、何度もまぶたの裏に蘇ってきたせいだった。
(今日……奏とどう顔を合わせればいいのだろうか)
ちゃんと謝ればいい。それはわかってる。でも、昨日みたいに感情が勝って、また余計なことを言ってしまう気がしてならない。
昇降口で靴を履き替えていると、廊下の向こうに奏の姿が見えた。一瞬、声をかけようと息を吸ったけど――やめた。
(今は……距離を置いたほうがいい)
そう自分に言い訳して、反対側の階段を使う。奏から逃げた反動なのか、足音がやけに大きく響いて、やっぱり胸の奥がちくりと痛んだ。
――昼休み。人影のない廊下に出た瞬間、曲がり角の先から足音が近づいてくる。現れたのは、こちらに気づいた奏だった。
「……あ、蓮」
奏は自然に声をかけ、やっと会えたと言わんばかりに、口元にいつもの見慣れた笑みを浮かべる。
その笑顔を、どこか懐かしく感じた。ほんの昨日までは、こうして目が合えば当たり前のように返していたはずなのに――今日は胸の奥がきゅっと縮む。
「奏……」
短く返し、ふと立ち止まる。どうにも視線は合わせられなかった。顔を見たら、昨日のことが全部蘇りそうで。
「蓮、あのね、今朝見かけたのに、声かけなかったよね」
「ああ……悪い。用事があって、あのときは急いでたから」
本当は足を止めて、奏に声をかける勇気がなかっただけだった。
「……そっか、そうなんだ」
奏の笑みが薄れる。その変化が、思った以上に胸に響いた。
「昨日のこと……悪かった」
なぜか声が掠れる。謝罪の言葉はきちんと用意していたはずなのに、口にすると自分の中の距離がさらに広がる気がした。
「蓮に謝られると、なんか距離を感じるな」
その言葉に、心臓が大きく跳ねた。距離――それは自分があえて作った壁だった。
「そう感じさせたなら悪かった。俺は相変わらず、言葉が足りないみたいだな……」
「蓮は本当に、悪いって思ってる?」
必死な形相の奏に問い詰められ、思わず息が詰まる。本当は自分のため――奏を守るなんて言い訳で、実際は自分の不安を押し付けた形になっている。そんな事実を、言葉にできなかった。
ふたりの間に沈黙が流れる。斜め下を見て俯く俺と、まっすぐ俺を見つめる奏は目が合わないまま、ムダに時間だけが過ぎていった。
「わかった。じゃあ、次の授業があるから」
奏はみずから背を向けた。それを見て、慌てて一歩踏み出しかけたが、やはり足が止まる。引き止めたら、また昨日みたいに言いすぎる――そんな予感が全身を縛り付けた。
廊下に響く足音だけが、どんどん遠ざかっていった。