夜明けを迎え、三キロ先に展開する大軍を前に『暁』も防備を固める。意気揚々と『血塗られた戦旗』を迎え撃とうとしている彼らではあるが、懸念も同時に存在していた。
「空模様が怪しいですね」
「そうですね。雨が降らなければ良いのですが」
シャーリィがカテリナと一緒に見上げている空には、分厚い雨雲によって覆われていた。
夜明けこそ陽の光が大地を照らしていたが、徐々に増えつつあった雨雲が空を覆い、今にも雨が降るのではと思われた。
「雨が降れば、程度にもよりますが射撃精度の低下は避けられません。なにより、雨天の塹壕内は過酷です」
マクベスの言葉の通り、地面に掘られた塹壕内には雨水が溜まり衛生環境を急激に悪化させ、常に水に浸かった状態を強いられる兵士達の体温と体力を奪っていく。
更に雨が降れば視界も限られてくるため、射撃精度の低下は避けられない問題となる。
「マクベスさん、状況は?皆をトーチカ内部に移動させられますか?」
「トーチカも増設しておりますが、全ての兵を入れることは出来ません。敵が大軍である以上此方も射線を広く確保しなければなりませんので、雨に濡れる兵は少なくありません」
「では雨具の支給を急いでください。攻撃は間近に迫っていますから」
「既に手配しております、お嬢様。お任せを」
正午前、小雨が降り始めた。シャーリィはいつもの夏用ブラウスから迷彩柄の野戦服に着替えて、敢えて塹壕の一角で待機。兵士達と一緒に塹壕内に溜まり始めた雨を掬い出す作業に従事していた。
その時、『血塗られた戦旗』の陣営から騎馬が二騎出てきて陣地へと近づく。男女二人組であり、偵察員達はその顔を直ぐに確認した。
「傭兵王自らお出ましですか」
「その様です。どうします?シャーリィお嬢様」
傍らで双眼鏡片手に観察していたエーリカも偵察兵達と同じ結論を出したことで、シャーリィも少しだけ思案する。
そして、側に居るカテリナへ顔を向ける。
「戦う前に口上でも述べるつもりでしょうか?シスター、この場合狙撃したらどんな事態を招きますか?」
「三下共からは、傭兵王はバカな奴だと嗤われるでしょう。しかし、こんな古典的なやり方を好む連中からの信頼を失うことになります。裏社会にも通すべき道理はありますからね。そして上位の連中ほど道理を好む傾向があります」
カテリナは愛娘の問いに答える。
「ふむ、道理ですか」
「どうするんだ?お嬢」
「では相手に合わせてあげましょう。狙撃するより良い効果を得られるかもしれませんし」
「なら一緒に行くか」
「待ちなさい、ベルモンド。シャーリィには私が同行します。貴方は待機しなさい」
「シスター?」
「一応俺もお嬢の護衛なんだがな」
「今回は譲りなさい、ベルモンド。シャーリィ、構いませんね?」
「ベルが良ければ」
「仰せのままに、さ。留守番しとくよ」
「シャーリィちゃん、私も一緒に行って良いかい?」
「エレノアさん?」
「傭兵王と一緒に居る女とは因縁があってね。大丈夫、話し合いを邪魔したりはしないよ」
エレノアが隻眼で迫り来るカサンドラを睨み付ける。
「分かりました、行きましょうか」
三人はそれぞれ馬に乗って駆けて、双方はちょうど中間地点で距離を取って対峙した。
「『血塗られた戦旗』の頭を張ってるリューガだ!」
「『暁』代表のシャーリィです。初めまして」
互いに馬上から言葉を交わす。
「お嬢ちゃんが?まだ子供じゃねぇか」
「これでも十八歳です」
「はははっ!ガキであることに変わりはねぇよ!」
「それで、ご用件は?」
リューガの嘲笑を聞き流し、シャーリィは本題に入る。
「なぁに、簡単な話だ。ここらで手打ちにしねぇか?」
「手打ち、ですか?」
「これまでは雑魚相手に運良く勝てただろうが、今回は違う。『エルダス・ファミリー』の馬鹿共とは違ってこっちは百戦錬磨の傭兵だ。武器だって『ライデン社』の新兵器を持ってる」
「続けて下さい」
「更に数も四倍以上。塹壕を用意してるみたいだが、此方にも最新の戦車がある。踏み潰すのは簡単な話だ」
「それで?」
「俺はな、お嬢ちゃん。弱いもの虐めは大嫌いなんだ。素直に『黄昏』を明け渡せ。そうすりゃ見逃してやる。もちろん全員な」
「悪い話じゃないよ、命を粗末にする奴は二流だからねぇ」
カサンドラもリューガの言葉に合わせる。
「何ならうちで面倒を見てやっても良い。どうだ?無駄死するのはバカのやることだぜ?」
「……分かりました」
俯いたシャーリィは静かに言葉を呟く。
「そうか!英断だな!」
リューガは嬉しそうにするが、ゆっくりと顔を上げたシャーリィの表情を見て顔を強ばらせる。
「あなた方は、私の敵ですね」
満面の笑みを浮かべたシャーリィは、明確に敵対意思を示した。
「本気か?これ迄運良く勝てたからって、調子に乗ってるんじゃねぇか?」
「これ迄の勝利は運ではありません。必然です。そして今回も勝ちます」
「良いねぇ、お嬢ちゃん。気に入ったよ。その綺麗な顔を傷物にしてあげようか?そこのエレノアみたいにねぇ?」
カサンドラが愉しげな笑みを浮かべる。
「寝言は寝てから言いな、カサンドラ。傷物になるのはアンタだよ」
そんなカサンドラをエレノアが睨み返す。
「へぇ……泣いて命乞いしてた小娘が、吠えるじゃないかい?弟の眼を抉ってやった時の顔が眼に浮かぶよ」
「っ!てめえ!」
カサンドラの言葉に、エレノアは腰のカトラスへ手を伸ばす。
「エレノアさん」
「っ!……ん、分かってる」
シャーリィに制されたエレノアは、そのまま力を抜く。
「おやおや、今度はこんなに可愛らしいお嬢ちゃんの番犬かい?子犬の間違いじゃないかい?」
「カサンドラ、止めとけ」
尚も挑発を続けるカサンドラを止めるリューガ。
「はいはい、お楽しみは取っておくよ」
「シスターカテリナ、アンタの名前は傭兵の世界でも知られてる。アンタなら、無謀なのが分かるだろ?こんなところで惨めに死なすのは勿体無い。うちに来てくれよ。絶対に納得する待遇を用意する!」
「そうですか。では貴方を含めて『血塗られた戦旗』全員が今すぐ自決するなら考えてあげましょう」
「……は?」
思わぬ言葉に唖然とするリューガ。それに構わずカテリナは言葉を続ける。
「知らないようなので教えてあげますが、シャーリィを育てたのは私です。で、貴方は先ほどからうちの娘を虚仮にしてるわけです。ちゃんと死体が残らねぇように殺してやるからガタガタ震えて祈りながら待ってろ」
カテリナから放たれた殺気の籠った視線と言葉を受けて、リューガも気圧された。
「ちぃ!後悔しても知らねぇからな!先ずは痛い目に合わせてやる!その後もう一度だけチャンスをやるから、よぉく考えるんだな!」
カテリナに気圧されたためか、リューガは捨て台詞を吐きながら引き返す。
「残った眼も綺麗に抉ってやるから楽しみに待ってな、エレノア」
「豚のエサにしてやるよ!」
カサンドラもまたエレノアと言葉を投げ合い、リューガを追う。
「口ほどにもない。シャーリィ、問題は?」
「ありません。エレノアさんも因縁があるみたいですし、あのカサンドラって人は海賊衆に任せますよ」
「おう、任せときな」
シャーリィ達もまた陣地へと引き上げる。手打ちの話は消えて、双方が激突することが決定した瞬間であった。
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