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都築七美
360
#初心者だからつまんないかも....
海夏
33
浪霧(らむ)
213
ピデピー
1,156
彼がこの部屋に住み始めてから、そこそこ日が経った。 最初の頃は、私はできるだけ姿を見られない場所に隠れていた。
見えるはずもないのに。
何となくそんな気分だった。
というより、人の生活をじろじろ観察する趣味はなかったからだ。
そう──なかったはずなのに。
気付けば私は毎日、彼を見ていた。
部屋の中央にはちゃぶ台しかない。
テレビもない。
洗濯機もない。
電子レンジすらない。
辛うじて小さな冷蔵庫が置いてあるだけ。
引っ越してきた直後の仮住まいみたいな部屋で、彼は毎日ノートパソコンに向かっていた。
ちゃぶ台に肘をつき、背中を丸め、カタカタとキーを打つ。
見ているだけで肩が凝りそうだった。
「そんな姿勢続けてたら死ぬわよ」
私が言うのだからそれなりの説得力があるはずだ。
彼はもちろん反応しない。
ただ数分後──
「いててて……」
首を鳴らしながら肩を回した。
私は少しだけ満足する。
別に私の言葉が聞こえたわけじゃない。
でも言いたかった。
そういう気分だった。
食生活はもっと酷かった。
コンビニ弁当とカップ麺ばかりで、冷蔵庫の中もいつ見ても似たようなものしか入っていない。
「野菜食べなさいよ」
コンビニ袋を覗き込む。
サラダの一つもない。
「ビタミン知らないの?」
──その翌日。
珍しくサラダを買って帰ってくる。
私は思わず頷いた。
「えらい!」
誰目線なのか自分でも分からない。
何だか楽しんでいる自分がいる。
そんな生活だからなのか、部屋へ訪ねてくる人もほとんどいなかった。
来るのはハルさんくらいだ。
女性の影なんてまるでない。
別に気にしているわけじゃない。
ないけど──ないならないで、不思議だった。
三十近い男の人ってもっと違うものじゃないんだろうか。
知らないけど。
洗濯は週に一度。
コインランドリーへ行っているようだ。
ある日、洗濯を終えて帰ってきた彼は部屋で固まった。
服に白い紙くずが大量に付いていた。
「あっ」
多分、ポケットティッシュを洗ったんだ。
彼は無言で頭を抱えた。
私は堪えきれず吹き出した。
「馬鹿なの?」
服をぱたぱた振る姿が妙に面白い。
こんなに間近で見たのは初めてだ。
やっぱり居るんだ、こんな人。
あんなに笑ったのは久しぶりだった。
夜になる。
彼は薄い布団を敷く。
驚くほど薄い。
どう見ても快適そうには見えない。
「腰痛くならない?」
そのまま横になる。
数分後──
ゴオオオオオ。
部屋中に響く大きないびき。
私は天井近くで浮かびながら顔をしかめた。
「うるさい!」
ゴオオオオオ。
「うるさいって!」
ゴオオオオオ。
全然負けない。
なんなら勝っている。
迷惑だ。
本当に迷惑だ。
だけど、その騒音を聞いているうちに、ふと胸の奥が引っかかった。
こんな夜があった気がする。
誰かが隣の部屋で寝ていて。
誰かが文句を言っていて。
私はそれを聞いていて。
そんな気がする。
でも、よく思い出せなかった。
「本当にうるさいんだから、もう……」
文句を言いながら天井を見上げる。
何だったんだろう、今の。
ある晩。
仕事を終えた彼が着替えを手に立ち上がる。
風呂だ。
私は察して部屋の隅へ移動した。
彼が来てから風呂の時間には自然と姿を消すようになっていた。
別に見たいわけじゃない。
むしろ見たくない。
当然だ。
なのにその日は、玄関の方から物音が聞こえた。
「がたん」
気になってそちらへ向かう。
「なんだ」
扉に立て掛けていたほうきが倒れたみたいだ。
確認して戻った瞬間だった。
浴室の扉が開く。
「っ!?」
ちょうど鉢合わせになった。
慌てて私は壁の方を向く。
「ちょっ!」
当然聞こえない。
聞こえないけれど、心臓が跳ねた気がした。
心臓なんてないくせに。
「タイミング考えなさいよ!」
彼は何も知らずに冷蔵庫へ向かう。
私は壁を見つめたまま動けなかった。
髪を拭く音がする。
冷蔵庫を開ける音がする。
ただそれだけなのに妙に意識してしまう。
しばらくしてから、恐る恐る振り返った。
もう服は着ていた。
少し安心する。
……安心している時点で変だ。
別に見たいわけじゃない。
本当に。
浴室から湯気が流れてくる。
温かいんだろうな、と思う。
石鹸の匂いもしているはずだ。
でも分からない。
嗅ぐことも。
触れることも。
もうできない。
少し前まで当たり前だったことなのに。
冬が近づき始めた頃。
夜中に窓が少し開いていることに気付いた。
カーテンがゆっくり揺れている。
窓の外では木の枝も揺れていた。
寒いんだろうな、と思う。
自分ではもう分からないけれど。
彼は気付かず眠っていた。
私は窓の前へ行く。
物を動かすこと自体は昔からできた。
この部屋へ来た配信者たちを追い払うために、嫌というほど練習したからだ。
おかげで最近は少し上達した。
全く嬉しくない経験値だった。
集中する。
窓がわずかに動く。
ギギ。
また少し。
ギギギ。
最後に勢いよく押す。
ガタン。
窓が閉まった。
「ふう……」
幽霊なのに息なんてないけれど。
達成感はあった。
振り返る。
彼は眠ったまま、
「……ハルさん……ありがとうございます……」
と寝言を言った。
私は無言になった。
しばらく彼を見つめる。
「私なんだけど」
返事はなかった。
当たり前だ。
私は天井へ浮かび上がる。
部屋を見回す。
ちゃぶ台とノートパソコン。
端に寄せられた洗濯物。
薄い布団。
相変わらず何もない部屋だ。
そういえば昨日は肩が痛いと言っていた。
サラダを買って帰ってきた日もあった。
洗濯物を抱えて戻ってきたと思ったら、服中ティッシュまみれになっていて笑った。
寝てしまえばいびきもうるさい。
思い返してみると、本当にどうでもいいことばかりだ。
でも、五年間の中でこんなに毎日何かあったことはなかった。
放っておけばいいのに。
気付くと探してしまう。
「……まあ、暇なんだろうな」
そう呟く。
けれど、その言葉は何だかしっくりこなかった。
コメント
3件
やあ、ピデピーさん。第5話読了です。 このエピソード、日常の積み重ねがじんわり効いてくる構成、すごく好みでした。特に「サラダを買ってきた」→「えらい!」の流れ、幽霊なのに誰目線でもなく楽しんでる感じが絶妙でしたね。あと洗濯物のティッシュまみれ事件、声出して笑いました。彼女の「馬鹿なの?」に心の中で全力同意。 「心臓なんてないくせに」跳ねる感覚や、浴室の前で壁を見つめるしかできない距離感が、幽霊という設定を活かした繊細な心情描写で素晴らしかったです。そして最後の「私なんだけど」の徒労感と、それでも閉めた窓に彼女の変化が表れている……。 あの「しっくりこない」理由、つまり彼女が自覚し始めた感情の正体が、次回どう動いていくのか、とても気になります。