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寝言は寝てから言いやがれ。
その日、十年来の恋人であり、昨夜『俺と一生一緒に生きて欲しい』とプロポーズされたばかりの相手から衝撃的な言葉を投げつけられた松葉朝陽は、思わず暴言を吐きそうになった。
「だから、そこにいる君は一体誰だ? どうして俺の病室にいる?」
心根の強さを印象づけさせる鋭い眼差しが、容赦なく射貫いてくる。きっといつもの朝陽ならば、艶のある黒髪の美丈夫に見つめられるだけで胸を躍らせていただろう。
だが、今日ばかりは違った。
「…………はいぃ?」
右の耳から入り、左の耳へと抜けていった言葉に、朝陽は呆然と立ち尽くす。
今、目の前でこちらに怪訝な視線を向けている男、天生隼士が交通事故に遭ったと連絡を受けたのは一時間前。それからすぐに勤務先の料理教室を飛び出し、息せき切らせて駆けてきたというのに、この男は何てことを言ってくれるのだ。
「オイ隼士、お前、いくら親友を安心させたいからって、冗談ぐらい選べよ。朝陽の奴、笑ってねぇぞ」
あまりの物言いに呆れたのだろう、朝陽よりも先に病室にいた隼士の勤務先の先輩であり友人でもある飯野光太が、爽やかな顔に冷たい笑みを浮かべながら隼士が使っているベッドの足をガツンと蹴った。
「親友? 朝陽? 一体、光太さんは何のことを言っているんです?」
ベッドに上半身を起こした状態で座っている隼士が、心底不思議そうな顔で光太を見上げる。
「ああん? てめぇ、いい加減にしとけよ。ボケかます前にまずは朝陽に謝れ。コイツがここに飛びこんで来た時の、今にも死にそうな顔見ただろ? それぐらい心配かけてんだぞ」
「はぁ、そこにいる彼が飛びこんで来たのは見ましたが、てっきり病室を間違えたのかと……違うんですか?」
口角を引き攣らせながら苛つきを見せる光太に、隼士はさらに問う。
そこで朝陽は、やっと隼士に起こった異変に気づいた。
光太は人よりも短気で切れやすい。故に出会った当初は冗談の加減が分からず、何度も怒らせた覚えがある。そんな人間と仕事でほぼ毎日顔を合わせている隼士が、光太にわざわざ青筋を立てさせるなんておかしい。
「光太さん、ちょっと待って下さい。何か変じゃないですか?」
「あ? 変って何がだよ」
「いつものコイツなら、こういう時に冗談は言わない……」
朝陽の言葉に反応して、光太が眉を寄せる。
「言われてみれば確かにそうだよな。……オイ隼士、俺が誰だか分かるか?」
「誰って光太先輩でしょう?」
慎重な面持ちで問いかける光太に、隼士は当然のごとく答える。光太は栗色の髪を揺らしながら、ヨシ、と頷いた。
「じゃあ、コイツは?」
続けて光太がこちらに向かって指を差し、同じように尋ねる。
朝陽はゴクリと息を呑んだ。
「さぁ……光太さんの知り合いですか?」
瞬間、絶望が舞い降りた。見慣れたはずの端麗な顔が、どんどん遠くなっていく気がした朝陽は、我を保つためにグッと拳を握り締める。だが、それはすぐに動揺に屈して震えた。
「朝陽、今すぐ先生呼んでこい」
「分かり……ました」
こちらをチラリと見てから短い息を吐き出した光太が、朝陽に指示を出す。
正直よく言ってくれた、と朝陽は光太に感謝した。今、どんな顔をして恋人のことを見たらいいか分からない。
朝陽は無言のまま病室を出ると、すぐにナースセンターへと行って事情を話した。