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「……ご主人さま、死んじゃダメです」
楽園を見つけてから約半年。
予期せぬ侵入者によって、高阪の人生は不安定な状態に陥った。
再び安定を取り戻すためには、男と決着をつけなければならない。
自分の身に危険がおよぶことだってあり得る。だから姉妹の顔を見に入こうと高坂は決めた。
「……なぜ俺が死んではいけないんだ」
「それは……」
ふたりは目を合わせ、それからゆっくりと高阪の表情を確認した。
「ご主人さまが死んじゃったら、ご飯がたべられなくなるからです」
……飯。
たしかにそれはそうだ。
俺は何かを期待していたのか。
「俺がいなくなっても飯は出てくるはずだ。心配するな」
高坂なりに気を使ったセリフであった。
共感という難解な感情が理解できない高坂ではあるが、それでも自分の意見を伝えると、胸がすっきりとした。
腹のあたりでうごめいていたもどかしさが和らぐような感覚だった。
もし俺が死んでも、あの男がこいつらの面倒を見てくれるだろう。
少なくともこいつらの気持ちを、俺よりは理解できるだろうからな。
ただ残念だ。
俺が丹精込めて築いた楽園に、ヤツは努力もなく居座るのだから。
高坂の思考には、共存という選択など存在しなかった。
大人は子どもと違い、自らの考えを持つ。
だから共存もできず、ゆえに解放などあり得ない。
……殺そう。
姉妹の部屋から出た高阪は、やはり男を殺すことが最善だと判断した。
当初はキッチンに閉じ込めたまま、飢え死にさせる予定だった。しかし考えれば考えるほど、その方法が正しくないことがわかってきた。
時間が経つにつれ男の体は回復し、さらにはキッチンには食料まである。
火をつけて肉を焼けば二酸化炭素中毒になるかもしれないとも思った。しかし一食を用意した程度で、成人男性が死ぬほどキッチンは狭くない。
となるとむしろ不利なのは、こっちではないのか。
飢え死ぬどころか体力を回復させてしまっては、万が一命の危険にさらされることだってあるかもしれない。
少しでも早く決着をつける必要があった。
「そうだな。さっさと殺してしまおう」
高阪は残る2匹の猟犬を連れて、キッチンの窓の外に立った。
「中にいるヤロウが窓から出てきたら、すぐに噛み殺せ」
高坂の命令に、猟犬たちの目の色が変わった。
「はじめるぞ」
高坂は手にしたバールで、窓に打ちつけてある釘を抜きはじめた。
木版をはがすと、すりガラスが半日ぶりに日光を浴びた。
ガラスに男の姿は映っていない。
おそらく窓のすぐ下で待ちかまえているに違いない。
窓を開け、俺が進入した瞬間を狙うしかないだろうからな。
ぶざまだな。
恐怖に体を震わせながら、武器にもならないイノシシの骨を片手に持って俺を待ってるんだろ?
……笑わせるなよ。
2匹の猟犬と、鋭いナイフ。
いざとなったら猟銃を使うことも辞さん。
いや、待て……。
相手はイノシシではなく、人間。
生け捕りが目的ではなく、単に殺せば済む話だ。
ナイフを刺す場所は体のどこだってかまわない。全身のすべてが標的だ。
高阪はじっと窓を見つめたまましばらく待機した。
予想通り、男が窓を開けて出てくることはなかった。
「さあ、心理戦のはじまりだ」
高阪は窓から約10メートルほどの距離に、キャンピングチェアを置いて座った。
男がいきなり窓から出てきても、十分に対応できる距離だ。
男はすりガラスによって外が確認できない。だからこそ徐々に心理的に追い込まれていくはずだろう。
いつ窓を壊して攻め込んでくるかもわからない相手を、狭いキッチンの中でただひたすら待つしかないのだ。
時間が経つほどに消耗することは目に見えている。
だからこそ高阪は椅子に座って待った。
男の気力が尽きるまで、ただ椅子に座って休んでいれば作戦の半分は成功となる。
ふと猟犬と目が合った。
2匹の鍛えられた犬たちは、変わらない忠誠心をその瞳の中に秘めている。
*
「出てこないか。なかなかの忍耐力だな」
時折、空を舞う鳥の鳴き声が耳に届く。
廃工場の窓を堺に向かい合うふたりの男。
高阪伸太郎と侵入者の男は、長くじれったい沈黙の中に存在する、千載一遇の機会をじっとうかがっていた。
先にしびれを切らしたのは高坂のほうだった。
「おまえはここを守っていろ。そしておまえは俺についてこい」
高阪は言葉ではなく、目で猟犬たちに指示を出した。
1匹の猟犬を引き連れて、廃工場の入り口の方へと歩いていく。
工場の壁に沿って入口を抜け、かつて作業場だった区画を通り、男のいるキッチンへと近づいていく。
キッチンの錠前は、あらかじめ外しておいた。
扉には鍵の外れた金具だけが引っかかっている。いきなりキッチンに奇襲をかけるには、解錠音を立ててはならなかったためだ。
作戦は極めて単純だった。
扉を開けてすぐに猟犬を投入し、その間に内部を把握する。
あとは相手に合わせて適切な対処をするだけ。
運が悪ければ敵の攻撃によって猟犬が死ぬかもしれない。しかし猟犬が死ぬことを事前に想定しておけば、実戦でフリーズすることもない。
「猟犬が1匹死んだところで、道具をひとつ失うだけのこと」
高阪は猟犬を見つめてそう考えようとしたが、実際にはそれ以上の感情があった。
長く命令に従った忠犬だ。できれば死なせたくはない。
ただ猟犬なくして突進するなど、自ら死へと突き進むのと同じだった。
相手がもつのは骨を削っただけの不甲斐ない武器。それでも大人の男である。キッチンに何かを仕掛けてある可能性もあった。
高坂は猟犬の頭を一度撫でた。
猟犬は主人を見ることなく、扉だけを凝視している。
ふぅ、と息を吐き、呼吸を整えた。
突入の時間だ。
ドアノブにそっと触れ、猟犬を見つめる。
「扉を開けたらすぐに突進しろ」
猟犬は高阪の言葉なき命令に気づき、ぐっと低い姿勢でかまえた。
「行くぞ」