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「〜〜なさい」
とても深い、海のような場所で、誰かに語りかけられる。
「☓☓☓年、〜〜〜〜。そして、20☓☓年に」
水泳部に入っている夏希は、地上に出ようと必死に泳ぎ続ける。
だが、泳ごうとすればするほど、深いところまで沈んでいく。
「あなたは〜」
「いっ……」
そこで夢から覚めた夏希は、額を濡らす冷や汗を拭う。
(参ったな……)
夏希はすっかりお手上げ状態だった。
だが、夏希の思いに反して、夢は日に日に長くなっていく。
近くの時計に目を向けると、針は6時24分を指していた。
「え、うそでしょ!!?」
夏希の家のスケジュールでは、いまごろ朝ご飯を食べ始めている時間だ。夏希は慌てて、バタバタと音を経てながらリビングへ降りた。
寝たばかりなのに、なんでだかまだ眠たい。
リビングに着いた頃には、寝グセのついた母親が、腕を組んで待ち構えていた。
「ちょっと夏希。いつまで寝てんの!!」
「ごめんなさい!」
この時間帯、母親はいつも不機嫌だ。
夏希は母親から目線を逸らし、黙々とトースターパンを咀嚼する。
(なんか気まず……)
半年前、父親の不倫が原因で離婚した母親は、自分にも関心を持たなくなってきている。
夏希はそう感じていた。
(まあ、どうせもうすぐ卒業するんだし)
高校を卒業して成人したら、この家を出る。
夏希はそう決めていた。
そこから一人暮らしをして、それからそれなりの企業に就職して、それなりの収入でそれなりの暮らしを送れればいい。
かつて夢見ていた吹奏楽の事など、いまや頭の片隅にもなかった。
(あともうちょっとだけの我慢だよね)
そう心のなかでつぶやき、夏希はほくそ笑んだ。
(もうちょ…っ…とだけ……の…)
半年後。
いつのまにか見なくなった夢のことを忘れて、夏希は頬を赤らめていた。
上品な着物に、みんなの温かい視線。そして、降り注ぐ光。
夏希は半年前の自分に教えたいと思った。
母親は、自分の事を愛してくれていた。
そもそも愛していなければ、あそこまで育てあげてはくれなかったろう。
過去の自分に、「ちゃんと親孝行しなさいよ」と言いたい。考えを改めた夏希は、ついこの前の幼い自分のことを思い返し、親のようなほほえましい気持ちになった。
「〜〜て!」
(え……)
瞬間、記憶が蘇る。
夏希は目を見開いた。だが、人の姿はそこにはない。
声の一部にはモヤがかかっていて、うまく聞こえない。
「夏希…!」
(あ……)
震えた声が、夏希の耳に残る。
「ねぇ、なんで……!」
抑えきれず溢れた慟哭が、夏希の心を強く揺さぶる。
(お母さん……)
2025年、キャンバスのように白い部屋で、青白い顔をしてうずくまる女性がいた。
もう二年も眠ったままの娘の可愛らしい寝顔を、不安げに見つめる。
その寝顔を、幸福な気持ちで見つめることすらできない。
女性は、窓の外の雲を強く睨んだ。
四歳にして難病を患い、植物状態となり、今この瞬間息を止めてもおかしくない娘の病気を直してほしい、自分の命でも捧げる。今日も、そう願わずにいられなかった。
「眠りなさい」
夏希は、声の主を見つめる。
その瞳の力は、今にも目を瞑ってしまいそうなほど弱かった。
だが夏希は眠らない。
なんだかんだ優しい母親のことを待っているんだろうか。
声の主──紗奈は、小さくため息をついた。
だが、すぐに気持ちを切り替え、深呼吸をしてから、言った。
「眠りなさい」